03

 と同時に、ノックの音がする。

「…………」

 唇が触れ合う寸前で動きを止めた彼が、横目にドアを強い力で睨んだ。最初二回ワンセットで鳴ったノックが再び鳴り響く。

「……誰か来ました」
「居留守使いましょう」

 早口にそう囁いて彼が気を取り直す前に、もう一度ノックがされる。

「……怪我して動けないのに居留守も何もありません」

 和成さんの顔が、大嫌いな苦い苦いピーマンを口いっぱいに頬張ったこどものように歪んだ。
 わたしはそそくさと立ち上がり、スライド式のドアを開ける。

「こんにちは」
「お邪魔します」

 立っていたのは、ふたり組のスーツの男性だった。警察手帳を見せられて、はっとする。

「一応ね、お話お聞かせ願いたいんですよ」

 警察は正義の味方、そう思ってはいるけれど、やっぱりなるべく関わり合いにはなりたくない人種であることは間違いない。
 被害者側であろうと加害者側であろうと、お世話になるよりはお世話にならない生活のほうがいいに決まっているからだ。
 ちらりと和成さんのほうを振り返ると、どうやら寝たふりを決め込んでいるようで、再び横になり目を閉じている。

「お休み中でしたか? 目を覚ましたと聞きましたが」
「あ、えっと」

 何て答えたらいいのか思いあぐんでいると、刑事さんたちは無遠慮に病室に立ち入ってきて、メモ帳を開いた。

「先にお知らせしておきますが、麻生直毅の所持していた靴の底とあなたの部屋にあった靴跡が一致しましたので、空き巣も奴で間違いないです。本人も自白しました」
「……そうですか」

 ぎゅっと拳を握り、歯を食いしばる。できれば、そうでないほうがよかった。なんて思うのは甘いと、また寿や繭香に言われてしまいそうだけれど。
 けれどやっぱり、一度は好きになった人だから。

「あとね、麻生の家に、あなたの写真だの個人情報だのたくさんありましたよ、平野さん」
「……え?」

 刑事さんは、和成さんが寝たふりをしているのを分かっているようだった。
 個人情報って、どういうことだ。

「……俺の?」

 狸寝入りがばれていたのを勘づいたのか、和成さんが重たげに瞼を押し上げて刑事さんを睨む。

「ええ、あなたの。特に、手紙形式で、いついつにどこどこで何をしてただの、そういう個人情報がね」
「手紙形式って?」

 思わず口を挟むと、もうひとりの刑事さんもため息をついて口を開く。

「送信者不明の、消印つきの手紙が何枚も出てきました。指紋は麻生のもの以外は郵便局員のものと思われるものしか検出されませんでしたが」
「どういうことですか……?」

 意味が分からなかった。直毅が捕まって、それで全部終わりだと思っていたのに。

「彼の供述によると、最初のうちは平野さんの履歴書じみた経歴が送りつけられてきたようです。その後、あなたと仲睦まじい様子をつぶさに報告されていたようですね。まるで誰かが彼を凶行に煽り立てるかのように」
「……」
「あの」

 不意に、和成さんが声を出す。それから、よっと声を出して腹をかばいながら起き上がり、わたしを手招きする。近づくと、ゆるゆると頭を撫でられた。

「あんまり彼女を不安にさせるようなことを言わないでくれませんか。自作自演の可能性だってあるわけでしょ?」
「まあそうですが……」
「俺の経歴くらい、ちょっと調べれば分かるもので大した個人情報でもないんですから」

 刑事さんたちは、値踏みするようにわたしと和成さんを見つめている。それに厳しい視線を返しながら、和成さんは言った。

「で? 俺たちから聞きたいことは何ですか? 俺は一応怪我をしているし、多英さんも疲れているので、手短に済ませてほしいんですけどね」
「これは失礼。では、詳しい事情はまた後日お伺いするとしましょう」

 ねっとりとした視線だけを残し、刑事さんたちは病室を出て行った。
 残されたわたしは、ベッドに横になった和成さんを見る。

「あの……直毅以外にも、わたしや和成さんをつけてた人がいるってことなんでしょうか……」
「どうでしょうね。それは俺にも分かりません。でも少なくとも……」

 そこで、彼は言葉を切って何かを探るように目を細め、顎を指でさする。

「少なくとも、多英さんに直接危害を加えるような人間ではないと思います。そのつもりなら、そんなまどろっこしいことはしないだろうし」
「でも」
「言ったでしょ、自作自演の可能性もあるって」

 そうだとしても、わたしばかりか和成さんまで目をつけられていた事実は、気味が悪い。それに、なぜあの刑事さんたちはあんなに探るような視線を投げかけていたのだ。……考えすぎだ、空き巣に入られたときの聴取でも、彼らは疑惑のこもった目でわたしを見ていたのだから、きっとそういうふうな顔をするのが仕事なのだ。
 ベッドのとなりにつけた丸椅子に腰かけると、やさしいまなざしに包まれる。

「大丈夫。仮に別人からの手紙だとしたって、俺が守りますから」
「……」
「多英さんは、何も心配しなくていいんです」

 にっこり笑って、直後彼は顔をしかめた。

「痛い」
「えっ、大丈夫ですか?」
「痛み止め切れたみたいです……」
「看護士さん呼びます?」

 とっさにナースコールに手を伸ばしかけたわたしの手を、細い手が阻止する。手首を握りしめられたとき、彼のてのひらが少し震えていることに気づいて、震えるほど痛いんだ、と焦る。

「もう邪魔をされるのはごめんです……」
「そんなこと言ってる場合ですか!」

 もう片方の自由な手でナースコールを押す。
 和成さんが文句を垂れながら看護士さんと医者のされるがままになっているのを見ながら、ふと窓の外に目をやる。
 直毅が逮捕されて、もう全部終わった。のだよね。
 もう、わたしを見張っている人間はいないはずだよね。
 それなのに、それは分かっているのに、窓の外から見える空から、誰かの視線がそそがれているような気がしてならなかった。