01

 寿が頭を下げる。

「マジに取らなくてほんとうにごめん!」

 目の前には、彼が奢ってくれた苺のパフェが悠々とそびえ立っている。それを長いスプーンでつつきながら、わたしはため息をついた。

「いいよ。寿にどうにかしてもらおうと思って相談したわけじゃないから」
「ああなんか、その許され方はすっごく心に痛い」
「許すも許さないもないんだってば」

 クリームをすくって口に運ぶ。甘ったるいそれは、舌の上でもったいぶるようにゆっくり溶けていく。
 本来なら、謝罪を受け入れるどころかわたしは彼にパフェを奢ってもらう理由もないのだが、彼がどうしても奢りたいと言うので、冬季限定の苺パフェが食べたかった欲望に負けた。
 きちんと手入れされているのか毛が生えてくる気配のない剃り込み部分を神経質にひくひくさせながら、寿が頭を掻いた。

「まさか麻生先輩がストーカーするとか、夢にも思わないだろ……」
「……わたしも、まだ信じ切ってはいないんだけど」
「多英は甘い! ナイフ向けられてんだぞお前は! 殺されかけた自覚を持て!」

 声が大きい。ナイフ、殺されかけた、という物騒な単語に、辺りの視線が一瞬集まって、寿はきまり悪そうに黙った。
 そう、あんなふうに直接的な殺意を向けられて大事な人を傷つけられても、まさか直毅が、とわたしは未だに信じられないのだ。あの明るい直毅があそこまで変貌してしまったことを認められないでいる。
 命を狙われた本人でもない寿がなぜこんなにもいきり立つのか。部外者はいつもこうだよな、と思いながら苺アイスと下部にあるフレークを混ぜていると、で、と彼が切り出してきた。

「で?」
「ん?」
「その、平野さんとやらは無事なの」
「うん。明後日には退院できるみたい。検診とか抜糸でしばらく通院はするけど」

 そっか。ほっと胸を撫で下ろした寿が不意に辺りをばかかるように見回して、声をひそめる。
 病院の近くのファミレスである。お昼どきとあって、主婦や学生、サラリーマンなどさまざまな人でにぎわっている。席同士は遠くないので、聞き耳を立てようと思えばいくらそうして寿がひそひそと喋っても、聞き取れてしまうだろう。そして案の定、彼の話は密やかにするようなものではなかった。

「ずっと気になってたんだけど、あの人と何関連の知り合いなの?」

 カツアゲされていた、という男性からすれば屈辱以外の何物でもないだろう事実を告げてしまっていいのだろうか。考えあぐねて、結局お茶を濁す。

「わたしが落とした定期入れを拾ってくれて……」
「そんだけ?」
「そのときに、わたしが泣きそうだったとかでハンカチ貸してくれて、それを返しに行って」
「泣きそうって、何でまた」

 アイスとフレークが混ざったところをすかさずスプーンですくう。フレークの硬い感触と、溶けかけたアイスの緩やかな甘みが絶妙なハーモニーを奏でている。

「まあ、平たく言えば、そのとき希世と直毅のこと知って荒んでたの」
「……ああ。そういえば、お前希世のこと許したらしいじゃん」

 納得いかないと言わんばかりに付け加えられたその事実に、首を傾げかけて思い出す。彼の中で希世は裏切り者であったことを。

「直毅がストーカーかもって教えてくれたのも、希世だよ」
「問題の核はそこではない気がする……」

 やれわたしが甘いだの、希世が狡賢いだの、散々ぼやいてから、寿の顔が仏頂面からにやにやと下世話な笑みに変わっていく。

「なんか、俺も遠くから、多英と一緒に歩いてるところ見たことあるけど、ほんとにあの人頼りになる?」

 細い棒のような身体と幸の薄そうな顔で、彼はだいぶ人生を損しているところがある気がする。なんだか、あんなにも頼りになる和成さんが可哀相になって、わたしは皮肉のひとつでも言ってやることにした。

「少なくとも寿よりは」
「マジでそういうの痛いからやめて……」
「でも寿は、繭香がいるんだからわたしの相談なんか軽く蹴って当然なんだよ」

 そう、和成さんだってきっと、わたしが一年前に彼を助けなければ、わたしが煙草を吸って泣きそうになっていようがどうでもよかったに違いない。
 何せ自分にも他人にも興味がないと言い切ったのは本人だし、肉親にもカブトムシがどうこう言われていたくらいなのだから。
 それにしても、和成さんがカブトムシに限らず何かを愛でている姿はあまり想像がつかない。

「……それなんだけどさ」
「え?」
「繭香と今喧嘩中で」
「えっ」

 お互いがお互いをアクセサリ程度にしか見ていない関係で、喧嘩などという事件が勃発するものなのか。
 大げさに驚いてしまってから、パフェを食べていた手を止めてスプーンを置いた。寿が思いのほか真剣な顔をしていたから、なんだか喋る以外に口を動かすのは失礼かもしれないと思ってしまう。

「なんで?」
「実は俺が……」
「うん」
「繭香の携帯を勝手に見た」

 唖然とする。恋人の携帯を勝手に見るという暴挙もさることながら、彼がその暴挙にどんな心境でいたってしまったかのほうが気になる。

「わざとじゃない、わざとじゃないんだ……俺のと繭香の携帯、機種一緒で……」
「な、なんだ」
「でも、間違えたことに気づいてからも、つい出来心でメッセージ系のアプリとかアドレス帳とか開いてしまって……」
「それはアウトじゃあ……」
「うん、分かってる」

 完全にやってはいけない行為の代表格ではないか。繭香が怒るのも無理はない。

「……何か、まずいもの見ちゃったの……?」
「……」

 寿は黙っている。浮気の証拠を掴んでしまったか、はたまた自分の悪口を見てしまったか。
 しかし、次に寿が発した言葉は、意外なものだった。

「もうすぐ俺誕生日じゃん?」
「あ、そうなの?」
「うわ、傷つく」

 そういえば、和成さんの誕生日っていつだろう。
 寿の、いかにも傷ついたような大げさな反応を無視し、今日お見舞いに行ったときにでも聞こうかな、と考えていると、彼の話はまだ続いているようだった。

「で……友達と、俺の誕生日パーティのサプライズ考えてくれてたみたいで……」
「……その計画のやり取りを見てしまったと……」

 繭香からすれば切実なのだろうが、部外者が聞けば少し微笑ましい事件だ。可愛らしい、とでも言うか。
 それにしても、寿にも、彼女の交友関係が気になるという情熱的な側面があったのだな。

「お前失礼じゃねえの」
「だって寿が、繭香はアクセサリだから、とか言ってるから」
「アクセサリにだって愛着はわく」

 なかなかにひどいことを言っている。けれどその表情は、ぶすっとして赤くなっている顔は、たぶん繭香をアクセサリ以上に見ているだろうことがありありと分かるものだった。
 パフェを平らげて、わたしは席を立つ。

「じゃあ、わたし病院行くから。ごちそうさま、ありがとう」
「おう。気をつけろよ」

 ひらひらとこちらを見ないままふてくされて人払いするように手を振っている寿を席に残し、わたしは出口へ向かう。

「あ、多英」
「ん?」

 呼び止められて振り返ると、彼はこちらを見ないまま、そっぽを向いて言う。

「あのさ、また何かあったら、今度こそ真剣に聞くから、相談しろよ?」
「ふふふ、ありがとう」

 彼なりに、わたしの相談をないがしろにしたことをほんとうに後悔してくれているようだ。それでじゅうぶん、友達がいがある。それに。

「でもいいの。寿より、和成さんを頼りにしたいから」
「……ごちそうさまです」

 ざわざわとした空気に、寿のげっぷのようなため息が溶け込んだ。わたしは、彼が見ていないのを分かっていてにっと笑い、今度こそファミレスを出た。
 コートのポケットに両手を突っ込んで歩く。日差しは暖かいものの、日陰に入ると空気が凍てつくように冷たい。今日も今日とて、わたしは精一杯できる限りの厚着だ。着ぶくれしているのが若干気になるくらいに。
 それでも、日なたはやっぱりぽかぽかしていて、病院に着く頃にはかすかに汗ばむくらいだった。