カラコンの有無


 嵐斗くんの心配事はとりあえず解決したんだろう。あたしが深く考えないタイプの女でほんとうによかった。
 腕枕してもらって、一緒のベッドに入る。

「えっちしないの、久しぶりじゃない?」
「うん、俺らアテナちゃんが生理だろーがなんだろーがヤれちゃうからな」

 そりゃそうだ、あたしが生理だろうが、嵐斗くんにハメる分にはまったく不都合がない。あたしは生理痛が軽いというかほぼないに等しいので、つまりあたしたちに「駄目な日」はどっちかの急な体調不良以外ない。
 ぐ、とあたしを抱き寄せて首筋に顔を埋め、嵐斗くんはものすごい勢いで息を吸った。おい、嗅ぐなよ。

「アテナちゃんから俺とおんなじシャンプーの匂いすると、すげえ安心するわ」

 その言葉でなんとなく、嵐斗くんは自分の生い立ちをあたしに話すことがものすごく不安だったんだろうな、って実感してしまった。
 施設で育ったのって、たぶん人によっては負い目になるんだよなあ。それが原因でいじめられたとか言ったし。あたし的には両親揃った家庭で育ったクズもいっぱいいるから、育った場所ってそんなに大事じゃないと思ってるけど。

「嵐斗くんさ、今度お休みいつ?」
「んあ? いつだっけ……」
「たまには一日デートとかしたくない?」
「したいけど……アテナちゃんの休みと合うことってほとんどなくない?」
「だよなあ」

 お互い痛いと知っていつつも腕枕の上をごろごろ転がると、案の定嵐斗くんが痛いと文句を言ってきたので、おとなしくする。
 嵐斗くんの職場は、シフトだけはホワイトだし有休も取ろうと思えば取れるらしいから、来月火曜日に有休取ってもらおう。
 そう思っていると、嵐斗くんの目がとろんとしてきた。

「眠い?」
「ん、いや、まだ起きる……」
「めちゃ眠そうじゃん。おやすみ〜」

 腕に抱かれたまま、嵐斗くんのおなかのあたりをぽんぽんすると、まだ起きる、とか言ってたくせにソッコーですこやかな寝息を立て始めた。
 あたしも、嵐斗くんの寝顔を十秒くらい見て、寝た。



 朝。嵐斗くんより早く目が覚めた。

「んん……」

 トイレ、と思ってひんやり冷たい床に足を下ろすと、後ろからくんっとスウェットの裾を引かれた。

「んあ、おはよう」
「……おはよ」

 目をこすりながら、嵐斗くんはぐいぐいとあたしのスウェットを引っ張って、ベッドに引き戻そうとしている。

「嵐斗くん離して、トイレ行きたい」
「ここでして」
「は〜!? 朝からハードだね!?」

 寝ぼけているのだろう、ベッドでの放尿を強要してくる嵐斗くんを足蹴にして急いでトイレに駆け込む。用を済ませて寝室に戻れば、嵐斗くんがベッドに座り込んで起き抜けの煙草に火をつけているところだった。

「おーはよ」
「ん、おあよ」

 寝室の窓はベランダに続いているから大きくて、カーテンを引いているから薄暗くはあるけど、隙間から光が漏れていて、今日は晴れか、と思った。

「嵐斗くんさあ〜寝ぼけてたね」
「え? 俺今起きたとこ……」
「覚えてないの? あたしがトイレ行くって言ったら、ここでしろ、って言ったよ」
「マジかごめん」

 ソッコーごめんが返ってきたあたり、寝ぼけていても記憶があったのかもしれない。寝癖が好き放題飛び跳ねている髪の毛を撫でると、煙を吐き出して笑った。

「まあでも、してもよかったよ」
「朝からシーツ洗うのマジ勘弁だよ〜」
「問題そこなんだ」

 とか、和やかに喋っているうちに家を出なきゃいけない時間が近づいてきたことに気づく。あたしたちは今日どっちも仕事だ。
 顔を洗って、嵐斗くんが顔を洗って髪の毛をセットしているうちにメイクを済ませる。……嘘です、嵐斗くんの毛づくろいの間に終わるメイクじゃないです……。
 嵐斗くんが顔を洗って髪の毛をセットし終え、簡単に朝ごはんをつくって着替えているうちにも終わらなかったメイク……。

「メシつくったけど、メイク終わった?」
「あと十分くらい〜」
「オッケー、ゴミ出し行ってくる」

 せ、生活感……。
 ゴミをまとめてマンションのゴミ捨て場に行って戻ってきた嵐斗くんが、アイラインを引いているあたしを見て笑った。

「いつも思うけど、俺アテナちゃんがメイクしてんのめちゃくちゃ好きなんだよね」
「んー?」
「すっぴんもかわいいけど、メイク一個作業終わるたんびにめちゃくちゃかわいくなってくから」
「やめろ照れちゃうでしょ」

 手元がぶれてかわいくなくなっちゃうでしょ。
 瞳だけ動かして睨むけど、にやにやしている嵐斗くんにはまったく効果がない。
 ご飯食べるからリップはあとにして、三十分かかったメイクは終了した。ダイニングに移動して、嵐斗くんが用意してくれていた朝食を食べる。

「いただきます」
「いただきまーす」

 もぐもぐしながら、スマホで時間を確認する。うん、これなら出勤に間に合う。今この時間でのんびりしてるってことは、嵐斗くんは今日遅番なんだろう。
 ご飯を食べて、並んで歯磨きして、リップを塗って、着替えようと思ってクロゼットを開ける。その様子を見ていた嵐斗くんが、となりから口出ししてきた。

「これは汚していいやつ」
「うん? こっちは?」
「うーん、これはわりに最近買ったから……」

 結局、昨日はいてたブラックデニムスキニーに、嵐斗くんが許してくれた嵐斗くんのシャツを着て、コートをはおる。

「うっわ寒い」
「あれ? アテナちゃん昨日巻いてたマフラーは?」
「あっ忘れてきた」
「取りに戻るか?」
「うーん、めんどっちい!」

 首元がめちゃくちゃすーすーするけど、すでに階段を降り始めてしまったので、部屋に戻るのはめんどくさい。
 エントランスを出て、寒い寒いとわめくあたしにため息をついて、嵐斗くんが自分のマフラーをあたしに巻いてくれた。

「えっいいよぉ、嵐斗くん寒いじゃん?」
「いいの、見てるこっちが寒いから」

 じっと見つめると、嵐斗くんはちょっと顔を赤くして照れたように視線を逸らした。嵐斗くんは優しいことをするとき、けっこうこうやって憎まれ口を叩く。
 にい、と口角が上がってしまったのをごまかすように、嵐斗くんのお尻を思い切り叩く。

「いって!」
「次のお泊りはちゃんとえっちしようね! ぐっずぐずのとろっとろにしてやんよ!」
「外でデカい声で言うな!」

 言葉のボリュームを否定されたけど言葉自体は否定されなかったので、嵐斗くんはぐずぐずのとろとろにされたいのだと、あたしは都合よく解釈して、手をつないだ。
 ちなみに職場に着いたら、カンタさんがほんとうに何気なく「カラコンしてないから嵐斗の家から来たんだな」と指摘してきたので、今度嵐斗くんの家にカラコン置いておこうって思った。

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