話さなきゃいけないこと


 目の前でがつがつとハンバーガーを食べている嵐斗くんをじっと見る。豪快に口の端にソースをつけて、それを指で拭ってぺろりと舐めて、ペーパーナプキンをつつくようにして指をきれいにした。

「……なん?」

 口の中にハンバーガーが入っているから、もごもごと、嵐斗くんは舌足らずにあたしの視線に応えた。
 はー、とため息をついて、黙っておくべきなのかそれとも話したほうがいいのか、悩んだ昨日の夜を思い出す。
 結局あのあと魚雷女は店に戻るあたしについてきて、軒先できゃんきゃんわめいていた。けど、なんだなんだと騒ぎだしたサロンの内側に恐れをなしたのか、さすがに分が悪そうに捨て台詞を吐いて帰って行った。

「あなたなんかに嵐斗を幸せにできないから」

 あたしは嵐斗くんを幸せにしてやろうとか大それたことを思っているわけではない。ただ、一緒にいて楽しい、うれしいって思ってくれていたらいいなってくらいだ。
 あと、コンビニでは気づかなかったけど、腕にかけていたコートがオフホワイトのAラインのやつで、うわって思っちゃったことは内緒だ。なんと、袖口と襟にファーがついている。普段そういう服を着ている女を見てもなんとも思わないけど、あのいかにも〜なコンサバコートの下にアンサンブルを着ていると思っただけで地雷度が増しちゃう。

「……嵐斗くん、今幸せ?」
「は? 何急に」
「いや実は昨日あたしんとこに、嵐斗くんのモトカノが来たんだけど」

 そこで嵐斗くんがたぶん、飲み込みかけていたハンバーガーを、変なところに詰まらせた。口を手で押さえて咳き込む嵐斗くんにコーラを差し出しながら、頬杖をつく。

「え、なん、なんて?」
「だから〜、昨日、あたしに嵐斗くんのモトカノが会いに来て〜」

 一晩悩んで思ったのは、あれは完全にルールを外れた卑怯な行為だったのだから、あたしが嵐斗くんに告げ口したところで彼の心がそちらに動くわけもなかろう、ということだった。
 入ってはいけないところにハンバーガーを入れてしまった嵐斗くんが涙目になっているので、とりあえず落ち着くまで待つことにする。
 ややあって、嵐斗くんが気まずそうに、呟いた。

「もしかして、髪が長くて背が低くて、おとなしそうな顔しててきれいめの服着てる子?」
「たぶんそれ」

 あたしは、美容師就活だったからいわゆる大学生の就活は経験していないけど、短大出て就職してる友達が「履歴書とか面接では短所も長所っぽく言うのが大事」とか言ってたのは記憶にあって。
 地味な顔、はおとなしそう、無駄にコンサバ、はきれいめの服、ってものは言いようだよなと思った。

「名前は聞いた?」
「名乗りもしなかったよ。文句だけ言って逃げてった」
「…………ごめん……」
「別に嵐斗くんが謝ることじゃなくない? あの人が勝手にやったことなんだし」

 がやがやとうるさい夜のマックで、嵐斗くんは誰か人が死んだみたいに黙りこくっている。
 そして、ぽつんと呟いた。

「その子、マナミって言うんだけどさ」
「はあ」
「俺と同い年で、幼馴染で、マナミが大学生になったくらいからずっと付き合ってた」

 意外だ。嵐斗くんは恋愛に関してかなり誠実だと思ってはいたけど、ってことは、経験人数はかなり少ないんだな。
 ん。待てよ……。嵐斗くんと同い年ってことはあの魚雷女は二十七歳で……。

「結婚の話も出てたけど、俺がずるずる決めないでいるうちに、アテナちゃんと出会って……」

 十代のころから二十代後半まで同じ人と付き合ってみたとして、その人と結婚を意識していたとして、いきなりフラれたらあたしでもたぶん、「一番楽しい時期を無駄にした」とかくらい思うかもしれない。
 あたしですら考えたらそう感じるかもなんだから、ああいうタイプの女はきっと、嵐斗くんと付き合ってきた十年近くの時間を無駄にされたと思ったのかもしれない。で、矛先が恋敵に向いちゃった、と。

「なんで結婚しなかったの?」
「……」

 何気なく聞いたけど、もしかしてこれは触れてはいけないところだったのかも。嵐斗くんが黙ってしまった。
 いや、まあ、その、なんだ、あの地雷っぷりは結婚踏み切らなくて正解だったとは思うけど……うん……。

「……俺、アテナちゃんとの将来を、けっこう真剣に考えてる」
「お、おう?」
「だから、いつかは話さなきゃいけないとは思ってたんだけど」
「ま、待って、それ今ここで話して大丈夫なやつ?」

 慌てて止めれば、嵐斗くんがはっとあたりを見回した。騒がしいマックの店内、誰もあたしたちの会話なんか聞いちゃいないけど、そんなふうに、話さなきゃいけない、みたいな覚悟が必要な話はもっと落ち着いた場所ですべきじゃないの?
 そうだな、と呟き、嵐斗くんはほんの少し残っていたハンバーガーを口に入れ、席を立った。
 続けて立ち上がり、鞄とフェイクファーのコートを取って外に出る。嵐斗くんは、いつもと違う少し緊張したような雰囲気で、少し先を歩いていく。

「俺んちでいい?」
「うん」

 手に触れると、ぴくりと反応して握り返してきた。となりに並べば、嵐斗くんは少し眉を寄せてあたしを見て、ふいと顔を逸らす。
 何を、そんなにビビっているのか、これから嵐斗くんが話してくれることはあたしにとってマイナスなことなのか、なんにも分からないけど。
 嵐斗くんが安心してくれたらいいなって思って、ぎゅっと手を握りしめた。
 ……やっぱり、モトカノが突撃してきたこと、言わないほうがよかったかな、と、ちょっとだけ後悔した。
 そうすれば嵐斗くんは、こんなふうに不安になることなかったかな、って。

 ◆

maetsugi
modoru