魚雷が突撃してきた午後


 嵐斗くんにあんなにかわいい一面があることは、当然誰にも言っていない。あたしにだって、彼の世間体とか、夜のことを周りにべらべら喋らないとか、そういう常識は分かっている。
 あたしたちのえっちが、世の中のふつうじゃないことくらいは当然分かっている。
 でもこの世にマイノリティが存在しちゃいけないなんて法律はないもんね?
 美容室の近くのコンビニで、お昼ご飯をとろろそばにするか半日分の野菜がとれるあんかけ焼きそばにするか悩んでいると、となりにふと人が立った。

「……?」

 お昼時を少し過ぎているとは言っても、渋谷のコンビニの麺コーナーに立ち寄る人がいないわけではないので最初は気にしなかったけど、その人はじっとあたしを見ている。
 明らかに地雷っぽい女だ。
 襟元にビジューのついたサックスブルーのアンサンブルに膝丈の上品なフレアスカート、リボンのついたバレエパンプス。内巻きワンカールの暗めの茶髪はそろそろ美容院に行ったほうがよさそうな感じ。しないほうがいいんじゃ……って思うくらいの地味な化粧は、およそこの街に溶け込むとは思えなかった。
 そんな、地雷っぽい女は、あたしとしばし見つめ合ったあとで口を開いた。

「あなたが、嵐斗の今の恋人なのね」
「へ?」

 尖った声だった。敵意に満ちていた。あたしを嫌いだと言いたげな色をしていた。
 急に振られた話題に思わず、へ、なんて間抜けな声を出したけど、あまり頭がよくないあたしにしては即座にフル回転させてこの女が「なんなのか」を理解した。
 こいつ嵐斗くんのモトカノか?

「……だったらなんすか」

 あたしも立ち仕事だからヒールの高い靴は履いてなくて、それで女のほうが背が低いってことは、正真正銘あたしのほうが背が高いってことだ。あたしが百六十センチくらいだから、五十前半ってとこか。
 とってつけたみたいになった丁寧語に、女のまなじりがつり上がった。まあ、見た感じ年上っぽいし、年下に舐めた口利かれてイラっときたんだろうな。
 ぶわりと敵意を剥き出しにした女が、あたしを睨み上げながら少し震えた声で言った。

「嵐斗をどうやって言いくるめたの? こんな馬鹿丸出しのギャルと付き合うなんて、どうかしてる」

 とろろそばにすっか。頭の隅っこでそう決めて、あたしは商品を手に取り女に向き直った。

「言わせてもらうけど、あんたが今やってっこと完全にルール違反なんすわ。終わったカレシの交友関係に口出しして貶しに来るの完全にイタイ女だし、だいたいあたしが選ばせたんじゃなくて向こうからあたしと付き合いたいって言ってきたんで」

 マジで、別れた恋人の次の恋人に難癖つけに来るとか、地雷っつーかもはや魚雷じゃん。突撃してくんじゃねーよ、嵐斗くん本気で趣味悪いな……。
 ちなみに、あたしと嵐斗くんの馴れ初めについてはまったく嘘偽りがない。嵐斗くんはもともとあたしが入ってくるより前からのうちのお客さんで、すごい勢いであたしを口説いてきたのだ。で、まあ、いろいろあって付き合うことになった。
 だからうちのサロンの人たちはみんな嵐斗くんを知っているし、あたしが口説き落とされる過程を、それはそれは面白がっていた。
 で、今の本題はこの魚雷女。渋谷よりはもっとオフィス街っぽいところにいそうな、OLらしさを考えた結果必要以上にコンサバに走った女、みたいな格好をした魚雷女は、なんだか泣きそうな顔をして言い募った。

「嵐斗があなたみたいな女の子と付き合うわけないじゃない、ああ見えて堅実だし一途だし誠実なのよ」
「知ってますよ」

 将来のために貯金してるし、あたしを口説き落とした手順はチャラかったものの付き合ってみればめちゃくちゃ一途だし、後ろめたい飲み会(何つながりかは知らないが女の子のいる飲み会とか)に行くときは必ず報告してくれて、あたしの家のほうに帰ってくる。
 嵐斗くんはチャラチャラした見た目に反してものすごく真面目だから、周りにいるパリピの友達とは反りが合わないんじゃないかって思っちゃうくらいだ。
 付き合う前からチラ見えしてたその性格に、あたしは、いいケツしてんなあ、と思いながらもこの人はなんであたしみたいなゴリゴリのギャルの見た目をしているあたしに狙いを定めたのだろう、と不思議に思っていたのだ。

「嵐斗くんは、誰よりも真面目で人生に真剣なんすよ」

 手の中のとろろそばを見下ろしながら、ぽつんと呟く。
 気になることは聞いちゃうから、あたしは嵐斗くんに「なんであたしのこと好きになったの?」って聞いたことがある。答えは超意味分かんなかった。

「俺、出勤のとき開店準備中のサロンの前通るんだけど、アテナちゃん自分の客じゃねえのに俺のこと見たらめっちゃ笑顔で挨拶してくれるじゃん。で、ある日アテナちゃんが俺に気づかない日があって、あれって思いながら声かけようとしたらさ、アテナちゃんすげえ真剣な顔して地面見てんの。何? って思ったら、軒先にツバメの巣あるじゃん、あそこから雛落ちてたっぽくて、それじっと見てんの。俺声かけるじゃん、そしたらアテナちゃん、泣きそうな顔して、巣に戻そうと思ったけどもう独り立ちしてそうなサイズだから飛び立つのを見守ってる、って言っててさ。俺めっちゃ感動しちゃって……」

 その出来事にはたしかに覚えがあって、あたしはそんなような答えを返した記憶もあった。
 嵐斗くんの惚れるポイントほんと分かんないな〜って思って、実際それを本人に言ったら、嵐斗くんは照れたように頭を掻きながら笑った。

「俺だったら巣に戻すか自己中に保護しちゃうなって思ったから、この子優しいんだなって」

 あのときあたしは泣きそうな顔をしていた自覚がないので、んん、という感じではあったが、嵐斗くんにはそう見えたのだろうし、ってことはあたしは泣きそうな顔をしていたんだろう。
 ぼんやりと思い出に浸っているところを、現実がビンタする勢いで構ってくる。

「そうよ、嵐斗は、だから私と一緒にいたのに……、急に別れてほしいなんておかしいと思った、あなたがそそのかしたんでしょ」
「……堅実だからあんたと別れたんだし、ちゃんと別れてほしいって言ったってことは誠実っしょ……」
「あなたに嵐斗の何が分かるの、あんなに苦労してきたんだから幸せにならなくちゃ……」

 そこで、魚雷女がこれ見よがしに涙を拭うしぐさを見せた。いや、一滴も流れてねーからな?
 嵐斗くんの昔のことは知らない。半年くらい付き合ってるけど、嵐斗くんの家族のことも、どんな学生生活を送っていたのかも、そういう過去やプライベートなことは、知らない。
 わざわざ取り立てて聞くことでもないし、話したいなら勝手に話してくれるんだろうし、って思っているからだ。
 だから、あんなに苦労してきた、というフレーズが引っかかりはしたものの、そこを深追いすることはしなかった。
 嵐斗くんがあたしに言わないことを、この女から聞くのは駄目だ。

「つーかさ、あたし今昼休みだしご飯食べなきゃなんで、もういいっすか」
「話終わってない」
「そもそも自分のカレシのモトカノと話すことなんか一個もないっすわ」

 とろろそばと、ミックスジュースを棚から取って、レジに向かう。さくっとキャッシュレスで支払いを済ませてコンビニを出たところで捕まった。

「あなたは嵐斗のこと何も知らないじゃない! 私はずっと嵐斗のそばにいたのに、どうしてあなたなんかに……!」

 し、しつけえ〜。

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