お嬢さんをください


 嵐斗くんが、駅を出てからずっとぶつぶつなんかぼやいている。
 なに、と聞くと、精神統一してるだけだから気にしないでくれと言う。
 いいよって言ったのに、嵐斗くんはお土産を持って行くって言って、ヒカリエでなんかチョコを買っていた。

「今日さ、平日だけどお父さん、いるのかな……」
「パパはシフトのお仕事だから平日もいることあるよ。今日は分かんないけど」
「薬剤師ってシフトなの?」
「うーん、よく分かんないけど、薬局勤務だからじゃない?」

 家の前に着いて、ここ、と言うと嵐斗くんの背筋がぎくりとこわばった。

「めりぽん鍵持ってる?」
「持ってる。あれ? てなちむ持ってないの?」
「忘れちゃった」

 めりぽんが鍵を鍵穴に挿して回してドアを開ける。

「あっ、ちょっと待って心の準備が」
「ただいま〜」

 後ろで嵐斗くんがなんか言ってるが、無視する。

「おかえり、アテナ、めりあ」
「ねえ〜、今日パパいる?」
「いるいる。なんなら有休取りやがったのよ」
「え〜……あたし顔合わせたくないし、外行こうかなあ」
「めりぽん!」

 となりでちっさく怒鳴ると、しゅんとして目を潤ませた。
 出迎えてくれたママが、そわそわと嵐斗くんのほうを見る。

「で、そちらが……」
「ん」

 おどおどしている嵐斗くんを引っ張って、ママの前に立たせる。

「初めまして。五十畑嵐斗です」
「ねえ〜、ママなんにも聞いてない〜! 急に!? 急にどしたの〜!?」

 身体をくねくねさせてテンション上がってるママを無視して、とりあえず家に上がろうと靴を脱ぐ。
 めりぽんが、パパがいるんだろうリビングに入るのをためらっているっぽいので、あたしがドアを開けちゃう。

「ただいま」
「おかえり」

 玄関でのやり取りが聞こえてたんだかどうなんだか、ダイニングの椅子に座っているパパがもっともらしい仏頂面でおかえりって言う。

「パパ、めりぽんのことぶったんだって?」

 つーん、とわざと冷たい声を出すと、あたしの背中からちょびっと顔を出しているめりぽんを見て、パパがばつの悪そうな顔をした。

「それは……悪かった」
「てか、マジであたしが独り暮らしはじめたのが理由なんだったら、ひどいよ」
「……だって」

 いい年してだってとか言い訳してんじゃねーわ。
 眉を寄せると、パパは唇をぷちゅっと尖らせて(残念ながら一ミリもかわいくない)もごもごと喋りはじめた。

「だってアテナ、お正月しか帰ってこないし、東京は楽しいんだろ、カレシもいるみたいだし? パパのことなんか忘れて楽しくやってるんだろ?」
「そりゃそうでしょ……カレシといるときパパのこと思い出すわけないし、いちいちいつでもパパのことなんか考えてらんないっしょ……子離れしろよ……」

 あれ? てか、嵐斗くんとママは?
 めりぽんも同じことを思ったらしく、玄関の様子を見ようと少しあたしから離れた。

「ママたち、遅くない?」

 そう言ってドアから首をひょいと伸ばしためりぽんが、ママ〜、とのんびりした声を出す。すぐに、ふたりが玄関からリビングまでやってきた。
 嵐斗くんの手からママの手に渡ったチョコレートをにこにこと見つめながら、ママが言う。

「お茶にしようよ〜、あ、嵐斗くんはコーヒーと紅茶どっちが好き?」
「あ……お構いなく、どちらでも大丈夫です」
「どっち!?」
「……じゃあ、コーヒーで」
「あ、最近コーヒーメーカー新しくしたの!」

 カルディで仕入れてきたコーヒー豆をメーカーにセットしているママを横目に、嵐斗くんに椅子に座るように勧める。
 おそるおそる座る嵐斗くんのとなりに座り、めりぽんはお誕生日席に座った。反対側のお誕生日席には、パパ。

「……初めまして、五十畑嵐斗といいます」
「……アテナの父です……」

 もしかしてパパまだ拗ねてんの? めりぽんを叩いたのは自分のくせに?

「えっと、今日は……」

 ここで、対面式のキッチンから、ぎゅいいいいん! とコーヒーメーカーが豆を挽く音が鳴り響き、嵐斗くんが思わず口を閉じる。
 ママはほんと空気の読めなさ一級品だよな。
 嵐斗くんに目配せして、しばし待て、という気持ちで首を横に振る。嵐斗くんも、ママも揃ってからのほうがいいと思ったのか、頷いた。

「ね〜、嵐斗くんとてなちむは、いつ籍入れるの?」

 めりぽんの空気の読めなさってママの遺伝だよな。



 コーヒーと、嵐斗くんが買ったチョコがテーブルに並び、家族四人と嵐斗くんが席についた。
 にこにこしてるママとめりぽんとは対照的に、パパが渋い顔をしている。

「えっと、アテナさんと、お付き合いさせていただいている、五十畑嵐斗です。アテナさんとは、結婚を見据えて真剣に付き合っています。というか、結婚したいんです……」

 それにしても嵐斗くんの買ってきたチョコ、めちゃくちゃ美味しそうだな……。
 と思っていると、ママが言う。

「アテナは、どうなの?」
「どうって?」
「結婚のこと」
「ん〜、今すぐじゃなくても、あたしは別にいいけど、結婚するなら嵐斗くんかなあって思ってる」
「今すぐじゃなくていいならしなくていいだろ、というかそこの意識のすり合わせもできてないなんて、ほんとうに意思疎通できてるのか?」

 パパがそれっぽいこと言ってなんか反対の空気出してきてるけど、あたしまだめりぽん叩いたこと許してねーかんな。

「あたしは、今すぐでも今すぐじゃなくてもいいって言ってんの。どっちでも、いつでもいいの、嵐斗くんのタイミングですればいいじゃんってこと。つーかパパ、反対なの?」
「そ、それは……」
「ま、反対するなら駆け落ちするしかないよなあ……」
「え」
「アテナちゃん!」

 チョコに手を伸ばしながらパパを焦らせるつもりで言った言葉が、どうやら嵐斗くんを焦らせたらしい。
 むっとして、パパを睨みつける。

「マジで子離れして、パパ。嵐斗くんの何が気に食わないとかじゃないんでしょ、意味もなく反対しないで」
「う……」
「てか嵐斗くん、パパとママにアレ、言うの?」
「あれって?」

 びくっと肩を引きつらせた嵐斗くんに、ママがきょとんと首を傾げる。めりぽん、マジで空気読め〜。

「……あたしが言う」
「アテナちゃん」
「嵐斗くんは、孤児なんだ」
「孤児……」

 パパとママの目が丸くなる。

「父親がちょーっとやらかして、それでほかの人の養子になって、長野にある施設で育ってんの。こないだそこ行ってきたんだよ、お母さん、すごいいい人だった。でね、嵐斗くんはほんとはもっと早く挨拶に来たかったんだけど、そういうの気にして、来れなかったの」
「そっ……」

 ママが何か言いかける。言いかけて、ちょっと考えて、また口を開く。

「アテナさ、それ聞いてどう思ったの? 嵐斗くんが、挨拶に行けないって言ったの聞いて」
「え……? なんでそんなこと気にすんのって思ったけど……」
「じゃあよし! 結婚しろ!」
「は?」

 だん! とテーブルをてのひらでぶっ叩いたママに、ぽかんとする。

「それでこそママの娘! あんたが大将!」
「いや意味分かんないんだけど」
「だって、アテナは嵐斗くんのことを、嵐斗くんとして好きになったんでしょ? 育った環境なんて関係ないって思ったんでしょ?」
「そりゃそうでしょ……?」

 ちらっと横目でパパを見ると、渋い顔をしたまま、腕を組んで目を閉じている。寝てないよな?

「それって簡単なことじゃないの。だから、ママたちはちゃんとアテナを育てられた気がして、とっても誇らしい」
「……」
「当然、パパもそう思うよね? 嵐斗くんとの結婚に賛成だよね?」
「…………別に最初から反対なんかしてないじゃん……」

 なんか煮え切らない調子でぶつぶつ言うパパにイラっとしつつも、よかった、って思った。
 うちの親が嵐斗くんを育ちのことで差別するクズだったらどうしよう、と少し心配していたのだ。
 そんなふうにパパたちを疑ったあたしが駄目だったな、ってちょっと恥ずかしくなった。

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