丁寧すぎると失礼になる


 翌日の土曜日、ほんとはあたしはシフトはお休みだったのだけど、魚雷女との約束だったから渋谷まで出てきてサロンのスタッフ通用口横の花壇のふちに座っていた。
 スマホをいじっていると、目の前に影ができた。顔を上げる。

「おはよう。あなた今日お休みなのね」
「……なんで分かるんすか」
「だってすっぴんにマスクだから」
「……」

 すっぴん隠しのマスクを下げて顔を見せる。まつエクしてるしカラコンも入れてるからまあイケるだろと思っていたけど。
 あたしの正面にしゃがみ込み、魚雷女は眉を下げた。

「ごめんね、特定できなかった」
「……なんで……?」
「二〇〇四年の児童虐待事件を調べてみたけど、県単位だとやっぱり範囲が広すぎたし、こんな言い方は嫌だけど、どれだけ被害児童が心に傷を負っても、亡くなったりしない限りなかなかニュースにはならないわね……」

 一瞬迷った。あたしは答えにたどり着いてしまったことを、言うべきか言わないべきか。
 調べ方のヒントをくれた魚雷女に言わないのはだましたみたいで嫌だけど、でも、嵐斗くんの過去をべらべらと喋っていいのか分からない。
 それに昨晩、愛子さんにも言われたのだ。

『私が情報をあげすぎてしまったのよね、仕方ないわ。でも、お願いだから嵐斗には言わないで。傷つけたくない』

 秘密を持つと抱えきれずに誰かに言ってしまうもの。愛子さんはそう言っていた。ほんとうにそうだ。あたしはこれを、ずっとひとりで抱えていかなくちゃいけないのか。
 歯を食い縛って、魚雷女に言わないことを選んだ。

「また調べてみるけど……アテナちゃん、何かほかに手がかりを知らない? 何でもいいの」
「……愛子さんは、ほかには何も……」

 後ろめたくて目を逸らす。マスクをまた鼻まで引き上げて、手に持っていたキャップをかぶり立ち上がる。

「……あたしも、また調べるけど……」
「うん……どうしたの? 具合悪い?」
「……こないだ嵐斗くん風邪引いてたから、もらったかも」
「そう? お大事にね」

 ふらふらと魚雷女の横を通り抜け、駅に向かう。
 歩きながら、嵐斗くんのことを考えた。
 嵐斗くんは、自分の父親が殺人者だとしても自分のルーツを知りたいだろうか。それとも、そんなことなら知らなくてよかったと、知ったあとで嘆くんだろうか。
 分からない。愛子さんの言うことを聞けばいいのか、自分の最初の頃の信念に従えばいいのか。
 知る前だったら絶対、自分を信じてあげていたけど。
 渋谷の駅前まで戻ってきて、ハチ公と向かい合う。じっと睨んでみるけど、銅像は何にも言わないで待ち合わせスポットとしての役割を果たしているだけだ。
 土曜の渋谷は人が多いなあ。平日もまあまあ多いんだけど。

「……うーん」

 せっかくだし、ちょっと気を紛らわせるのも兼ねて買い物でもして帰るか?
 って一瞬思ったけどあたし今すっぴんにカラコンという超ミスマッチなことしてるドブスなのだった。完。

「激萎えですわ……」

 ひとりでぶつぶつ呟きながらおとなしくおうちに帰るために山手線に乗る。
 乗り換えて駅のホームで降りた瞬間、間違えたことを悟った。ここは嵐斗くんちの最寄り駅じゃないか。

「あー……んー……」

 嵐斗くんは今日は早番だったと思う。今お昼時だから、帰ってくるのにもしばらくかかる。
 でもせっかく来たし電車賃もったいないし、それに。

「使ってみっか」

 あたしは先日の風邪引き嵐斗くん事件のおかげで、部屋の合鍵をもらったのである。
 なんでも、いつ来てもいいし勝手に入ってご飯食べててもいいし、俺がいない間に来ていないうちに帰って行ってもいいらしい。
 嵐斗くんの防犯意識ががばがばで心配だ。って別にたんすとかあさる気ゼロだし、嵐斗くんはそれだけあたしを信頼してくれてるってことなんだけど。
 さっきまでの下がり切ったテンションは鳴りを潜め、あたしはちょっと鼻歌すらうたいながら嵐斗くんのマンションを目指した。
 嵐斗くんの住むマンションは、間取りが広めに取られているけどオートロックとかはなくて、エントランスの大きな扉の横に集合ポストがあり、三階建ての建物にエレベーターはついていない。そして嵐斗くんの部屋は三階にある。
 軽い足取りでマンションに着くと、ポストの前で右往左往しているおっさんがいたので軽く避けて部屋に向かう。

「……そ、挿入〜」

 嵐斗くんがいたら「馬鹿」とか言って笑いそうな言葉とともに合鍵を挿し、回す。開いた!
 部屋に入って後ろ手に鍵を閉めロックも下ろしちゃう。あ、待ってロックしたら嵐斗くんが入れないね?
 そっとロックは解除して、靴を脱いで部屋に入る。荷物を置いて手を洗い、ダイニングの椅子に落ち着いたところで、一応連絡は入れておかなくちゃ、と思い立つ。

「合鍵使ってみた〜! ご飯つくって待ってるね!」

 早番だったらもうランチには出ちゃってるかな〜と思いつつ、冷蔵庫を開ける。お、見事になんもない、近くのスーパーで適当に自分の昼ご飯と、夕飯の材料買って来るか。
 スマホを開き、レシピをちょちょっとネットでさらって、何をつくろうか考える。うーん、オムライス!
 ネットのめちゃくちゃ美味しそうなチーズオムレツの材料部分をスクショして、部屋を出る。
 エントランスまで戻ってきたところで、嵐斗くんから電話がかかってきた。歩きながら電話を取る。

「もしもし、嵐斗くん?」
『あ、出た出た』
「あたしお化けじゃないんですけど〜」
『今俺んち?』
「を出て夕飯の買い出し〜」

 三月の終わり、春が来ると言っても、陽射しはあたたかいが風が冷たい今日この頃。嵐斗くんの風邪はもらわなかったものの、小学三年生以来熱を出したことのない健康体であるものの、風邪には気をつけなければ。
 休憩時間らしい嵐斗くんときゃっきゃ話しながらスーパーに向かう途中、さっきエントランスのポスト前でうろうろしていたおっさんがついてきているのに気がついた。

「……ねえ嵐斗くん」
『ん〜?』

 声を小さくして身体も小さくする。電話の向こうでたぶん煙草を吸っているんだろう、時々細いため息が聞こえる。嵐斗くんがのんびりした相槌を打った。

「なんか変なおっさんに尾けられてる」
『……ア!?』
「マンションのポストんとこにいたんだけど、今めっちゃ後ろにいる」
『スーパーまで走れ! そんで警察呼べ!』
「いや〜言うてひょろひょろだしイケるっしょ」
『アテナちゃん! あんま自分の力過信しないの!』

 電話の向こうで嵐斗くんが焦っているのが手に取るように分かる。あんまり嵐斗くんを刺激するのもな、と思っておっさんに反撃することは諦め、足早にスーパーに駆け込む。
 警察に通報はさすがにしないけど、これ、買い物終わって出てきたら待ち伏せされてるとか嫌だなあ。
 ちらりと振り返ったおっさんは、背が高くてスーツを着ていて、そしてひょろんと針金みたいに細いおっさんだった。あと、眼鏡をかけていた。
 とりあえずスクショしたオムライスの材料と、自分の昼ご飯用にレンチンのパスタを買って出る。

「うお」

 案の定待ち伏せされとる〜。これはもうやっちゃっていいのでは?
 いつでも通報できるようにスマホを片手に持ちながら、帰り道をたどる。やっぱりついてくる。やべーやつじゃん……。
 そそくさとマンションのエントランスに逃げ込むと、声をかけられた。

「あの」
「……」

 声をかけられてしまった時点で、嵐斗くんの部屋に逃げ込むことは諦めた。だって部屋は窓も閉めてて逃げ場がない箱みたいなものなんだから、押し入ってこられたらいくらなんでもガチでヤバい。
 しぶしぶ、レジ袋を地面に置いていつでも技をかけられるように身構える。

「失礼ですが、わたくしこういう者です」
「……」

 おっさんが名刺を差し出してきた。手を精一杯伸ばして距離を取りつつ、それを摘まみ上げる。

「五十畑嵐斗さんと、お知り合いですね?」
「…………」

 警戒を緩めないまま、名刺をちらっと見る。そしてハッとした。
 青山弁護士事務所の島崎卓也さん、事務所の住所は仙台市。
 その住所は、あたしが昨日掴んでしまった真実と、無関係どころか関係しかないのだろう。睨みつけると、おっさんが口を開いた。

「そのご様子だと、ご事情をご存じのようだ」

 ごって三回言ったな……。

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