育った場所で


「うお〜! めっちゃ城じゃん!」
「城だねえ」

 松本城を前に、ぱかっと口を開けて見上げていると、となりで嵐斗くんがのほほんと相槌を打った。
 城って初めて生で見たかもしれない、と思いながらスマホを構えて写真を一枚撮る。

「東京にはないから、あたしお城って初めて見たよ!」
「……いや……東京にもたしか城あったろ……」
「え、マジ? 見たことない……」
「あー、もしかして跡しかないのか?」

 写真を撮るあたしを撮りながら、嵐斗くんがぶつぶつぼやいている。
 お城のほうに近づきながら首の角度をどんどん上向けて、呟いた。

「これ、上に行けるの?」
「うん。いくらかかるっけ……」
「行きたい! てんしゅかく? 登りたい!」
「いいけど、今日はあんま時間ないから明日な」

 松本駅で降りて、嵐斗くんはとりあえずお城の前まで連れてきてくれたけど、あたしが予約したあずさがちょっと遅めの時間だったため、あたしたちにはあまり時間がない。
 だって前日が遅番で、どうせ勉強の居残りもやって帰宅が遅くなるって分かり切ってたから、あんまり早い時間だと起きられないで電車逃すの分かり切ってたもん……。

「いや、アテナちゃん、いくらなんでもお昼すぎの電車はなくない?」
「え、あたしけっこうギリだったんだけど」
「マジかごめん」

 まあでもたしかに、電車で三時間弱かかっちゃったから今はもう四時過ぎなのだ。てか長野、寒い。
 ぶるるっと震えると、嵐斗くんがため息をついて自分の首に巻いていたマフラーをあたしのマフラーの上から巻いてくれた。

「アテナちゃん、寒いの嫌いなくせにすげー薄着よな、いつも」
「だってもこもこするのヤだ」
「そんでいつも震えてんじゃん。チワワかよ」

 笑いながら肩をすくめる嵐斗くんは、寒くないのだろうか。

「あ? まあ慣れてるからなあ……俺けっこう厚着してるし」
「たしかに。嵐斗くん、いつもタマネギかよってくらい着込んでるよね」
「タマネギ」

 何かがツボに入ったらしく爆笑している。
 ひとしきり笑ったあと、じゃ、行くか。そう言って、嵐斗くんがあたしの手を引いた。

「施設はどの辺にあるの?」
「松本から電車でちょっとだけ」
「ふーん」

 まだ電車乗んのか〜と思いながら切符を買っている嵐斗くんの指先をじっと見る。生まれてこの方、あたしはピッで電車に乗ってきたので、切符を買ったことがない。
 慣れた手つきですいすいと目的の区間の切符をゲットした嵐斗くんに一枚手渡され、それをまじまじと見る。

「なんだよ。あずさに乗るのも切符だったろ」
「そうだけど……」
「都会っ子はこれだから……」
「好きで都会っ子なんじゃないも〜ん」

 たまたま親戚がみんな関東に住んでるだけだもん。
 電車の本数の少なさに圧倒されながら(山手線は三、四分に一回くらい来るのに……)ちょっとだけ電車に揺られ、また降りる。
 のどかな風景にちょっぴり町がある、みたいな景色の中を、きょろきょろしながら嵐斗くんに手を引かれるまま歩く。
 駅から十分くらい歩いたところに、施設はあった。

「ここ?」
「うん。連絡してあるから、入って大丈夫だと思う」

 そう言って迷いなく正門っぽい大きな入口から入っていく嵐斗くんにくっついていく。建物は大きいものがふたつあって、どうやらこどもたちの部屋があるところと、食堂や職員室(って言っていいのかは分かんない)とかの部屋は別の棟になっているみたいだった。
 その、食堂とかがあるほうに向かい、嵐斗くんは歩いて行って、入口から中に入って靴を脱いだ。

「園長室にいると思う」
「さっきから、思う思うばっかり」
「だって、いなかったらヤバいじゃん」
「あたしたち不法侵入?」
「え、ヤバ」

 冗談みたいに言いながら、園長室とやらを目指す。ほかの部屋のドアとちょっと違う、両開きのつくりになっているドアの前で立ち止まり、嵐斗くんがそのドアをノックした。

「はい〜?」
「嵐斗だけど」

 内側から、女の人の声がして、嵐斗くんが名乗った瞬間どたどたとすごい足音が近づいてきて、ドアが開いた。
 外開きだったから、危うくあたしと嵐斗くんにぶつかるところだった。

「嵐斗!」

 現れたのは、小柄なおばさん、いやおばあちゃんと言っても……、いやうーん、くらいの年齢に見えるおばさんだった。
 丸い眼鏡をかけて、白髪混じりの髪を丁寧に丸いショートカットにして、全体的に丸い。

「久しぶりねえ、元気にしてた? 病気してない? 東京の生活はどう? ちゃんとやれてる? ご飯はあったかいの食べてる? あらやだ耳にいっぱいピアス開いてる〜!」
「……愛子さん、そんな一気に言われても答えらんないから……」
「あらごめんねぇ。さ、さ、入って。……あなたも!」
「あ、はい……」

 にっこり笑ったおばさんに手を引かれ、あたしと嵐斗くんは部屋の中に入り、ドアが閉まる。
 室内は、大きなデスクが窓際に背を向けて置いてあって、その手前のスペースにはソファが二対、ローテーブルを挟んでセットされている。応接室、って感じの部屋だ。
 そのソファの片っぽに座らされたあたしたちに、部屋の隅の電気ケトルとかなんかいろいろ置いてあるスペースでお茶の用意をしながら、おばさんはにこにこと笑顔で喋りかける。

「なにで来たの? 東京からだとあずさかしらね。疲れたでしょ、あ、お嬢ちゃんコーヒーは飲める?」
「あ……砂糖とミルクほしいです……」
「はいはい、お砂糖とミルクね!」

 インスタントのコーヒーに、自分で調節できるようにだろう、スティックシュガーとコーヒーフレッシュが入ったカゴをつけてもらって、あたしは砂糖を二本、コーヒーフレッシュを二個入れた。
 向かい側のソファに腰を落ち着けたおばさんは、相も変わらずにこにこしている。

「元気そうで安心したわあ。たまに連絡はくれるけど、帰ってはこないから、嵐斗はよっぽど向こうが楽しいんだねえって職員とお話してたのよ」
「ごめん、なかなか帰れなくて」
「いいのよ、便りがないのは……って言うでしょ」

 便りがないのは……なんだ?

「あ、この子、小森アテナちゃん。俺のカノジョ」
「まあ、まあまあ! かわいい子じゃない!」
「で、アテナちゃん、この人が五十畑愛子さん。俺の育ての親」
「こんにちは。初めまして」

 嵐斗くんの苗字も五十畑なので、養子に入ると苗字も変わるんだなあ、と思った。
 嵐斗くんが、近況、と言うよりかはこっちに帰ってこられなかった言い訳を延々と連ね、それを楽しそうに聞いている愛子さんをじっと眺めている。
 ほんとに、いい人そうだ。善意のかたまり、って皮肉でも何でもなく思う。まあ、嵐斗くんも若干そういうところあるしな。

「でも、俺がここを出てもう十年近く経つから、もう俺のこと知ってる子はいないかな」
「そうねえ……いても、嵐斗のことなんか覚えてないくらい小さかった子しかいないわ。それももうみーんな高校生だとかになっちゃってる」
「うわ〜、時が経つのは早いな……」

 思い出話に花を咲かせている嵐斗くんが、あの子は? とかあいつは? とか、きっとかわいがっていた年下の子たちの進路を聞いている。それにいちいち丁寧に答えながら、愛子さんがコーヒーをすする。

「そっか……みんな、ちゃんと大人になってんだな……」
「嵐斗もすっかり、大人じゃない」
「そう? ハハ、そう見えてるならいいけど」
「懐かしいでしょ、園内を見てきたら? 嵐斗のことを知ってる職員もまだいるから、挨拶もしてきなさいよ」

 うん、と頷いて立ち上がった嵐斗くんに、あたしはどうすればいいんだろう、とちょっと立ち上がるのをためらっていると、愛子さんがあたしににっこり笑った。

「アテナちゃんはここにいなさいな。嵐斗が話さないような嵐斗のことが聞きたいわ」
「うわ。アテナちゃん余計なこと言うなよ!」
「は〜い」

 すぐ戻ってくる。そう言って、嵐斗くんがドアの向こうに姿を消して、少しだけ沈黙が走る。破ったのは、愛子さんだった。

「……アテナちゃん、嵐斗は、ほんとうにうまく東京でやれてる?」
「え、全然。あたしより家事できるし、今、渋谷のめっちゃ人気のファッションブランドのお店で副店長なんですよ!」
「そう? ならいいけど……」
「……あのぉ、愛子さん……」
「ん?」

 今しかチャンスはないと思った。

「嵐斗くん、自分の親のことについて、知りたがってます」
「……」

 愛子さんの丸い目がすっと細くなった。

「嵐斗くんの幼馴染だっていう人が、東京にいて。その人に嵐斗くん、聞いたんだけどはぐらかされたらしくて。嵐斗くんが知りたいって思うのを、あたしも応援してあげたいから、……もし、話せるようなことなんだったら、教えてほしいです。嵐斗くん、十二歳より前の記憶がないって言ってて、それってなんか変だろって思って、嵐斗くんにも、知る権利はあると思います」

 あ、権利。あたしも好きなんかな、権利。
 愛子さんは、じっと黙っている。……やっぱ、今日初見のギャルには教えてくれないか。

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maetsugi
modoru