信用なんかできないよ


 恵比寿の駅前から少し離れたカフェのテラス席を覆う背の高い植込みからこっそりと顔を出す。じっと見つめる視線の先には、室内席に座っている嵐斗くんと魚雷女がいる。

「……」

 むむ、と眉が寄る。変装代わりにつけたサングラスのブリッジをくいと指で押し上げてじっと見つめる。
 屋外のこの場所からでは、ふたりが何を話しているのかは分からなかった。でも、楽しい話をしているわけではなさそう。真剣な顔をしている。
 嵐斗くんが、身振り手振りで何やら訴えたあと、魚雷女が首を横に振って否定する。そしてそのまま口が動いて今度は魚雷女が何かを主張し、それに嵐斗くんは頷いた。
 何話してるんだろう……。気になる……。
 あたしが今こうしているのは、ほかならぬ嵐斗くんが、「明日マナミと会ってくる」と言ったからだ。
 嵐斗くんは、あたしに対して誠実であろうとするあまりに、そういうことを包み隠さず言ってしまう。やましいことはない、と伝えたいのかもしれないけど、言われた側としてはそれで安心できるわけではない。
 なんだったら黙って会ってきてほしかった、と思うくらいだ。
 だって、会ったことを知らなければあたしはずっと幸せでいられる。
 そして知ってしまった以上、こうなるよね。ちなみに仕事は風邪で休んだ…………ごめんなさい……。
 植込みに隠れて店内の様子をうかがっているあたしがめちゃくちゃあやしいのは承知の上だ。さっきから店員さんがあたしに声をかけていいものかどうか悩んでいるのも見えている。
 いい加減周囲の視線が痛いので、あたしは見張りの場所を、カフェの入口が見える少し離れたコンビニに移すことにした。
 コンビニの入口で、煙草も吸えないので自販機であったかい紅茶の缶を買って手を温めながら、じっとカフェを見る。

「はあ……」

 だんだん、あたしは何やってるんだろう、という気持ちになってくる。
 会話を盗み聞きできるわけでもなく、ただふたりが会っているのを見張って、しかも嵐斗くんは安心してもらうつもりであたしに告げたのに、それを信用しないでこうして尾行して。

「帰ろかな……」
「帰るの?」
「ハ?」

 ため息とともに吐き出した言葉を拾われて思わず反応してしまった。しまった、と思う。
 視線だけ声のほうに向けるといかにもチャラそうな、嵐斗くんとはまた違った意味で軟派っぽい男があたしを引き留めようとこちらを覗き込んでいた。

「帰るんなら遊ぼうよ〜。俺美味い酒出すとこ知ってんだ〜」
「……」
「てか髪の毛めっちゃいいね、かわいい〜」

 うるせえし香水臭い。歩くトイレの芳香剤かよ……。
 なんか今日散々だな、嵐斗くんに黙って嵐斗くんのあとつけてひとりで嫌な女になった気持ちの挙句、芳香剤にナンパされて……。
 無視して歩きはじめると、焦ったように呼び止める声がする。それすら無視すると、今度はその声に怒りが混じった。

「無視すんなよ、どうせ暇だろ!」

 興味ないなら無視するでしょ……。ため息をついてそのまま歩きだせば、腕を力任せに掴まれた。
 恵比寿にもこういうのいるんだなあ……と思いながら振り向いて、睨みつける。

「暇だとしてもお前に興味ないんだっつの、離せよ」
「はぁ!?」

 腕を力任せに握りしめられて、痛い、と眉をひそめる。
 そして視界の端に、カフェを出てきた嵐斗くんと魚雷女が入り込んだ。あ、と思った一瞬の隙に男があたしの腕を捻り上げて大声を上げる。

「調子乗ってんじゃねーよ! どうせお前尻軽なんだろ、こんなとこで暇そうにして、ナンパ待ちだろーが!」

 ふざけんじゃねーぞクソ野郎が。

「アテナちゃん!」

 カフェを出たふたりが大声に反応して、それであたしに気づいた。魚雷女がこっちに向かって走ってくるのを尻目に、あたしはすでに行動に出ていた。

「こっちが黙ってりゃ言いたい放題言ってくれんなテメーはよ!? ざっけんじゃねーぞクソゴミが!」

 男の足を払い、思い切り地面に引き倒す。そのまま固め技をキメて男にダメージを与えているところに、驚いた顔をした魚雷女が突入してきた。

「大丈夫!?」
「見りゃ分かるでしょ……」

 うめき声を上げている男を解放し足蹴にすると、よろ、と立ち上がってこちらを怯えた目で見て逃げて行った。
 あとから追いついてきた嵐斗くんが、ため息をついてあたしの頭に軽く拳を落とした。

「アテナちゃんが強いのは知ってるけど、ああいうのは危ないからやめてよ」
「……ごめん」
「……」
「あ、マナミ、アテナちゃんは柔道黒帯だから」
「え」

 説教するわりには、あたしは大丈夫だって分かってて魚雷女みたいに駆けつけてこなかった嵐斗くん、そういうとこけっこう好きだよ。
 で、と嵐斗くんがそのじっとりした目を更にじっとりとさせる。

「なんでここにいるの。偶然じゃないよな、今日仕事は?」
「ウッ……」
「俺ちゃんと、マナミと会って話してくるから心配すんなって言ったよな?」
「…………だって」

 嵐斗くんが目尻をつり上げた。

「だって、なんだよ。俺そんなに信用ないか? 浮気だと思って尾けてきたのか?」
「違うよ! 嵐斗くんは全部そうやって、女の子がいる飲み会とか報告してくれるけどさ! 逆に聞くけど、あたし、それ言わなきゃ疑うような女だと思われてんの!?」
「そうじゃないけど」
「嵐斗くんが付き合いで女と会っても、あたしは嵐斗くんのこと信用してるから、何とも思わない……は無理だけど信じて待つけどさ、そうやっていちいち言われてもなんにも安心できないってば!」

 嵐斗くんが、傷ついたような顔をした。言い過ぎたと思った。でも、今更言葉を引っ込められない。

「モトカノと会ってくるって言われて何とも思わない女いるか!? いないだろ! いくらやましい気持ちないの分かってても嫌だし、分かった、って送り出せる女どれだけいるんだよ!?」

 ほんとはあたし自身知りたくなかった、あたしのじめじめした部分。それを、嵐斗くんにさらけ出してしまうのは、嫌だった。でも、仕方なかった。
 嵐斗くんと喧嘩らしい喧嘩をしたのは、もしかして今この瞬間が初めてかもしれなかった。
 あたしはあたしで嵐斗くんの優しさに甘えていたし、嵐斗くんのほうはあたしに何度も言葉を飲み込んだ瞬間があったかもしれない。
 でも言わなくちゃ。言われたそのときは、そっかって軽く返したけど、やっぱり何を話すつもりであろうと、モトカノに会うのなんて嫌だ、やめてほしいって思ったことを。

「なんで、この魚雷女と会ったの。教えて」
「……それは」
「言えないんだったら疑うけど、いいの?」
「…………」

 張り詰めた空気の中で、魚雷女がそっと口を開いた。

「私から話す。でもその前にひとついい? あなた私のこと、魚雷だと思ってたの?」
「あたしどころかサロンのスタッフ全員あんたのこと魚雷だと思ってます」
「えぇ……」

 口元を引きつらせ、魚雷女はため息をついて、あのねと言う。

「あのね、嵐斗は私に、お願いがあったのよ」

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