01


 花嫁衣裳を身にまとったセレネは、背筋が震えるほどにうつくしく、シディアンはとなりにいるのが自分であるという事実にひどく狼狽していた。透き通った白い肌に雪が落ちてゆく。ヴェールをおもむろに持ち上げて、青と緑の瞳を見つめてその細い手を握った。
「すまない、新婚旅行にも行けなくて」
 極度の緊張で吐きそうになっていたセレネは、シディアンの家に戻り、胴を締め上げる衣裳から解放されてようやく一息ついたようにシディアンに寄りかかる。ベッドに腰かけたセレネが、不思議そうに呟いた。
「しんこんりょこう、って、なに?」
 しまったな、とシディアンは密かに歯噛みした。セレネは新婚旅行を知らなかったのだ。あえて言ってしまって余計に羨ましがらせることになってしまったかもしれない。けれど、シディアンはそれについてごまかすだとかうやむやにするだとか、そういったことはしなかった。
「ふつう、結婚式を挙げたあとは旅行に行くんだ。そうだな、この国の観光名所は南のほうにあって、そこはいくらかあたたかいから、一週間くらい過ごす人もいる。俺の仕事の都合上どうしてもそんなに時間を取れなくて……すまない」
「……わたし、シディアンがお仕事してるのだいすきだから、そんなのなくていいよ」
 強がりなのかどうかは、セレネの目を見れば分かる。彼女はひどく正直で、その色の違う一対の瞳は嘘をつけない。そのためシディアンは、感動に胸を打たれてしまう。
 自分の仕事をもちろん誇りに思うし、間違った選択をしたとは思っていない。けれど、こういうときにセレネに我慢を強いるのはいただけないと思う。けれど彼女はそれでもいいと言ってくれる。計算もなにもない、純粋な思いで。
「使用人の宿舎は、お友達たくさんできたけど、やっぱりシディアンがいない夜はさみしいから、わたし、またこのおうちに帰ってこられて、よかった」
「……そうか」
 自分が言えない言葉たちをいとも簡単に並べてみせる。そんなまっすぐさが心地よいのと羨ましいのと、そしてわずかばかり妬ましい。シディアンとて、そのような甘い言葉を紡いでセレネを喜ばせたいのはやまやまなのだ。
 相槌に留め、シディアンはそっとセレネの頬に手を当てた。屋外での挙式だったため、すっかり冷え切っている。
「冷たいな」
「シディアンの手は、あったかいね」
「冷えとは縁がないんだ」
「気持ちいい」
 窓の外ではすっかり日も暮れて、そろそろ暖炉に火をくべるに相応しい気温になってきている。しかし、シディアンは暖炉まで行くのが億劫になっていた。
 あたたかいてのひらに自分の頬を擦り寄せたセレネが、心地よさそうに目を閉じた。銀色の睫毛が縁取るその目元を指で撫で、シディアンは唇を寄せた。押し当てたとき、最初こそセレネは怯えたように肩を浮かせたものの、シディアンに身を委ねるように力を抜いた。
 そのままくちづけは深くなり、シディアンがセレネの身体をベッドに倒そうとすると、そこでようやく彼女が目を細く開いて戸惑うようにシディアンを見た。
「シディアン……?」
「初夜という言葉は知っているか?」
「……? 知らない……」
 首を傾げたセレネの胴のくびれを掴み、シディアンは耳元に唇を落とし、囁いた。
「きみさえ嫌でなければだが」
「……?」
「きみを、抱きたい」
 一瞬遅れ、シディアンの囁いた言葉を理解したセレネが、顔を真っ赤に染め上げた。口をぱくぱくと開いたり閉じたりしながら、俯く。
「……嫌か?」
「っ」
 背中を気遣わしげに撫でる手に、セレネは弾かれたように顔を上げ、首を横に振りたくった。
「い、いやじゃない! でも……」
「でも?」
 そこで言葉を切り迷うように視線を泳がせて、目に涙を浮かべる。
「セレネ?」
「わ、わたし、傷いっぱいあるし、あんまりきれいじゃないかも……」
「そうか、俺も同じだ」
「え……?」
 きょとんとしたセレネから少し離れて、シディアンは着ていた服を脱いで上半身をあらわにした。とっさに目を逸らしたセレネの顔を上向け、シディアンが胸の少し下を示す。
「これは、戦地で敵の剣を受けた傷だな。もうすっかりいいが、なかなかの大怪我で、痕は残っている」
「……」
「こっちは、……馬ごと谷に落ちたときのものだな。雪が深くて油断したんだ」
「……」
 恥ずかしさをこらえてセレネがシディアンの身体を見れば、たしかにその肌は傷だらけだった。そっと、戦地でつけたという胸の下の傷に指を這わせる。
「……こういうの、勲章って言うんでしょう」
「まあ、名誉の負傷と言う人はいるな」
「わたしの傷は……」
 情けない気持ちでセレネが自分の身体を見下ろした。セレネを抱き寄せて、シディアンはゆっくりと、耳元で、凝り固まったセレネの心を解きほぐすようにひそひそと呟く。
「きみの傷は、きみが頑張った証だ。きみが、耐えてここまで生きてくれた証だ」
「……」
「俺は、セレネが今こうして俺のそばにいてくれることを、とても幸せだと思う」
 セレネが鼻をすすった。シディアンの肩にしがみつき、その肌を濡らす。シディアンはその背を撫でながら、ふと眉をひそめた。
「それにしても、きみが心囚われているのが俺ではないというのが、憎いな」
「え?」
「忘れろとは言わないが、考える余裕はなくしてやりたい」
 なんのこと、とセレネが聞き返そうとしたと同時、シディアンの手がそっとセレネの衣服のボタンに伸びる。それを、拒否する間も抵抗する間もなく外されて、裸にされてしまった。
 セレネの雪のように白い肌にはたしかに、消えないだろう痕がたくさんありはしたものの、それはシディアンの気持ちを塞がせたものの、そのすべてが、傷までもがセレネを構築するひとつの要素であると思えば、醜い痕もすべていとおしく思えるのだった。

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