05


 寒い、冷たい。
 意識が浮上してまずそう思った。目を開けたが、薄暗い。まだ夜なのか。そう思ってセレネはもう一度目を閉じてそれから、ここがいつものシディアンの家のふかふかのベッドでないことと、自分が別に眠っていたわけではないことに気が付く。
「……?」
 再度、目を開ける。暗いが、真っ暗闇ではない。薄暗いその空間がどこなのか把握できずに戸惑う。寝転んだ頬や体に当たる感触は冷たく硬い。石のようだ。
 何度かまばたきをすると、不意に視線が輝く何かを捉えた。
「お目覚めか」
 ヴェルデの声だ。とぼんやりした頭で思う。
「それにしても、シディアンの奴がこんな希少種を囲ってるとはな。驚いた」
 違う。ヴェルデじゃない。似ているが、微妙に声質が違う。それにヴェルデはこんな乱暴な口調じゃない。
 セレネが、そのゆらゆらと光が輝くほうへと目をやると、そこにはヴェルデとは似ても似つかない暗い色の髪の毛を短く整えた大男がランプを持って立っていた。誰だろう。そしてここはどこなんだろう。
 ゆっくりと起き上がると、頭がずきずきと疼いて、セレネは思わずうめき声を上げた。それを見た男が近づいてくる。
「少し手荒な真似をしたことは謝ろう」
「……」
 謝る気が微塵も感じられない声の主が近くまで来て、その男が、背が高くがっしりした体型のシディアンよりもさらに大柄であることが分かる。暗いと思った髪の色は、若干赤みを帯びていて、錆びた鉄のような色をしていた。武骨な顔立ちが光に照らされて、その目が面白そうに歪んでいることにも気づく。
 言いようのない、恐怖に駆られる。ここはどこなんだ、シディアンの家じゃない。
「セレネ、と言ったか。ヴェルデとシディアンの会話が聞こえていたことは、幸運だった」
「……」
「失うもの、ね」
 はっきりとしてきた意識で、辺りを見回す。石を積み上げて壁がつくられていて、床も石畳だ。壁の上のほうに、小さな切り取られたような穴が開いていて、そこから満月の明かりが差し込んでいる。
 痛む頭を押さえながら、男から逃げるように体をずらす。それを咎めるでもなく、男は面白そうにセレネのその様子を見ている。
「あなた、誰……?」
「名乗っても仕方ないと思うが、一応教えてやろう」
 しゃがみこんだ男は、にいっと笑って手に持っていたランプを床に置いた。
「アージュ。この国の王となる男だ。覚えておくと、あとあと役に立つかもしれないな」
「……」
 ふと、セレネの中で光るものがあった。シディアンの頬の傷だ。ヴェルデが、その名前を挙げていたような気がする。でも、それ以外この男に関して分かることは何もない。
 王となる男?
「王様になるのは、ヴェルデさんだよ」
「ふん。シディアンに何を吹き込まれた? そんな戯言は通用しない」
 セレネの言葉を鼻で笑ったアージュはランプを床に置いたまま立ち上がり、こつこつと足音を立ててこの部屋のどうやら出口らしいところに向かう。そして、扉を開けたところで思い出したように立ち止まってセレネのほうを向いた。
「しばらくここにいろ。お前を使って、シディアンを抱き込む予定なんだ」
「……?」
「俺が王になるのはたやすいが、それ以後の不安因子も消しておきたい。シディアンを言いなりにさせるには、お前を使うのが手っ取り早いようだしな」
 そう言い残し、アージュは扉の向こうに消えた。セレネは、しばらく言葉の意味を理解しようと努めたが、少し難しかった。シディアンを言いなり?
 そういえば……シディアンが、ヴェルデが王様になるかどうかはこれから決まる、と言っていた。この国には王子が二人いる、と。それは、あの大男のことなのだろうか、あの男がいるからヴェルデが王様になるかどうかが分からないということだったのだろうか。だとすれば、アージュというあの男は、ヴェルデの敵、ひいてはシディアンの敵ではないのか?
 シディアンの敵は自分の敵だ。セレネはそう結論づけた。
 自分を使えばシディアンが言いなりになる理由はよく分からないが、とりあえずここにいれば、家に帰ってきたシディアンが自分がいないのに気付いて心配するだろうことは分かる。帰らなくては。
 ふらふらと立ち上がる。記憶をたどる。頭が痛いのはたぶん、玄関先で何者か――ほぼ間違いなくアージュというあの男――に襲撃された際に何かで殴打されたせいだ。
 以前シディアンに、危機感が足りないと怒られたことを思い出す。よく考えればすぐに分かったはずなのに。忙しいはずのヴェルデがシディアンの家を訪ねてくることが、おかしいと。

maetsugi
modoru