03


 セレネは、家の掃除をしていた。
 ちなみに花はすっかりしおれてしまい、最後の花びらが散った際にはセレネは分かっていてもつい涙ぐんでしまった。落ちた花びらとしおれた残骸を家の裏に埋めたのを見て、シディアンは少しだけ笑った。
 新しく花の芽が生えてくるだろうか、とセレネが期待を込めて呟いたそれは、シディアンの、種がないから駄目だろうな、という気遣いのかけらもない言葉に一蹴されてしまった。
 そして、今度の休日もシディアンと出かけることになっているので、セレネは今度は白い花を買ってもらおうと思っていた。ただ、シディアンは最近忙しいので、次の休日がいつ来るのかは分からない。
 ヴェルデが王様になれば、シディアンは今のように忙しくはなくなるのだろうか。そんな期待を込めてはいるが、いかんせん今のシディアンの多忙っぷりを見ていると希望は薄い。
 朝早くに家を出て、セレネが夕飯を食べ終えて待って待ってもう寝ようかというくらいの時間に帰ってくるシディアンが、いったい城で何をしているのかは知らない。しかし、疲れた顔をしている彼には何も言えない。さみしいとも、不安だとも、何も。
 セレネが知らないだけで、きっとシディアンは国でも偉い人の部類に入るのだ。よく考えれば、以前一緒に市場に行った時、皆がシディアンのことを知っていて、隊長さん、と親しみを込めて呼んでいたではないか。
 皆に慕われて親しまれるシディアンと、どこの誰かも分からない素性の自分。
 なんだか急にシディアンが遠い世界の人間に思えてしまう。自分で考え始めたことなのに、とてもつまらない気持ちになる。
 午前中に市場での買い物を済ませ、セレネは掃除を終え自分が食べる昼食の準備をしているところだった。
シディアンがシディアンがと、とりとめもないことを考えながら、簡単に野菜を煮込んだ具だくさんのスープをつくる。
 食べながら、少し煮足りない、と思いつつもじゃがいもを口の中で転がしながら、セレネはテーブルの真ん中に置いてあるコップを見る。水も花も入っていない。けれど、そのままそこに置いてある。それが、自分がここにいることの証明のような気がして少しだけ安心する。
 食事の手を止めて、物思いにふける。最近、そういうことが多くなった。
 考えるのは主にシディアンのことで、そういえば最近暖かくなってきたので一緒のベッドで寝ずにシディアンが床に寝ることや、それが無性にさみしいのと同時にどきどきしなくて済むなとか、そういったことだ。
 セレネの例の家の主が床で寝るなんて、という抗議に対してシディアンは、俺はどこででも寝られるので床でも大丈夫だ、と言っていた。しかしやはりふかふかのベッドで寝たほうが気持ちいいだろうしとセレネは思うのだけど、彼はかたくなに床で寝ることを選んだ。
 シディアンの言いつけをあまり守らず背中にへばりついていたのかもしれない。だから、暖かくなってきたのを言い訳にして、ほんとうはセレネと寝たくないのかもしれない。そう思いつつ、怖くてシディアンの本心を聞けないでいる。
 厄介になっている居候の身分なのだから自分が床で寝ればいいのに、と思ってシディアンにそう言えば彼は、女の子を床に寝かせるなんてとんでもない、と少し声を張り上げた。
 シディアンの中で、自分が女の子であることがこんなにもうれしいのは、やはりちょっとどこかおかしいのではないだろうか、と思う。でも、できればシディアンには女の子ではなく女性として扱ってほしい気持ちはある。そんなことは、あまりにおこがましくて厚かましいので言えないし、言わないが。
 ぼんやり、そんなことを考えているうちに、スープはすっかり冷めてしまった。セレネは、その冷めた野菜を口に運びながら小さくあくびをした。シディアンが出かける時間に合わせて起きると、少しセレネには早いのだ。それでも、シディアンが起きて準備をしている気配や音に過敏に反応してしまうのは避けられないし、じゃあ昼寝、という選択もセレネにはない。
 二度目のあくびを噛み殺した時、家の扉がノックされた。
「セレネ」
 小さく届いたその声は、ヴェルデのものだった。セレネは、久々のヴェルデの訪問にうれしくなってコートに手を伸ばしかけたが、もう隠す必要がないことを思い出し、やめた。
「はあい」
 返事をしたが、ヴェルデが入ってくる様子はない。いつもなら、セレネの応答のあとゆっくりと優雅にノブを回すのに。不思議に思ったセレネは、食べている途中のスープを放って扉まで近づいた。
 ゆっくりとノブを回し、ヴェルデを迎え入れようと扉を開ける。しかし、そこにはヴェルデどころか誰もいなかった。
 セレネが首をかしげたその次の瞬間、頭部に鈍い衝撃が走ってセレネは訳も分からないままに玄関に倒れ込む。
「う、あ」
 痛みにうめき声を上げる。
かすむ視界の端からにゅっと伸びてきた大きな手に頭を掴まれて、セレネの意識はそこで、途絶えた。

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