02


「セレネ。これからしばらく夜は遅くなるかもしれないから、一人で飯を食えるか?」
「……なんで?」
 夕食の時間、シディアンはきょとんとしたセレネに、かいつまんで国の現状を説明した。
「実は、今の王様が病気になって、新しい王様を決めなくてはならないんだ」
「……ヴェルデさん?」
「ヴェルデになるかもしれないし、ならないかもしれない。それを決めるんだ」
 スープに口をつけながら、セレネは耳をぴくぴくさせながら真剣に聞いている。その顔が、スープの熱さに少ししかめられた。
「だから、これから俺は少し忙しくなる」
「なんで?」
「ヴェルデが王様になれるように、準備をしなくちゃいけないからだ」
「ふうん……」
 おそらく、あまり意味が分かってはいないと思うが、これ以上細かく説明したところで何か得があるかと聞かれるとそうでもないため、シディアンは黙ることにした。
 セレネは、耳をふそふそと動かして、視線をちらちらとシディアンとスープとを往復し、呟いた。
「ヴェルデさんが王様になったら」
「うん?」
「シディアンはもっと忙しくなる?」
「……分からないな」
 想像してみる。新王が決まればその前後はごたごたするだろうが、別に一騎士団隊長の自分にそこまでの新しい重責がかかるとは思えなかった。
「……」
 スープに目を落とし、セレネはぽつりと呟いた。
「ヴェルデさんも、忙しくなる?」
「それは、そうだな」
 そちらのほうは間違いない。ヴェルデが王になれればの話だが。
「もうここに遊びに来てくれなくなる?」
「……」
 シディアンは、沈黙するしかなかった。王になれば、今までのように軽々しく執務を放り出してここへ、ということは難しくなるだろう。今だって、あまり褒められることではない。一応、必要なことや重要で先を急ぐようなことはやってからここに来ているらしくはあるがそれでもだ。
しかしそれを言葉にして肯定してしまうのはあまりにセレネが可哀相だ。何せ、シディアンが仕事に出ている間一人ぼっちでいるのを、時折訪ねてくるヴェルデが慰めていたようなものだから。
 ただ、そんなことはない、と否定するのも嘘になってしまうのでどうにもできず、黙るしかないのである。
 困り果てたシディアンのそんな空気を察したのか、セレネは短くため息をついて食事を再開する。
「セレネ」
「?」
「……ヴェルデが来なくとも、俺がいるだろう」
 悔しいのだ。セレネが、自分の不在よりもヴェルデの来訪の有無を気にしていることが。しかしそれを口に出せるほど器用でもなかったので、自分の中の精一杯の言葉を舌に乗せると、セレネはぽかんとしてから呟いた。
「ほんとう?」
「は?」
「シディアンは、一緒にいてくれる?」
「……今までも、ちゃんといたと思うが」
 そう、肯定の意味を込めて言い返せばセレネは安心したように笑った。
「不安になるの」
「何が」
「わたしは、記憶もないし、帰る場所もないから。自分が、誰でもないような気がして、不安になる」
「……」
「そうすると、シディアンが近くにいてくれるのかも不安になるから、だから」
「くだらないことを考えてないで、ほら、スープが冷める」
「う、うん」
 セレネが、腑に落ちなさそうな顔でスープを飲む。スープはそんなに熱いとシディアンは感じないが、どうもセレネは猫舌らしい、息を何度も吹きかけて熱心に冷ましている。
 どうにもできない。セレネが不安になるのも分かるし、心配になってしまうのも分かる。せめて記憶が戻れば、とセレネは思っているのだろうが、シディアンには薄々予想がついている。セレネの失われた記憶が、彼女に絶望をもたらすことを。
 そして、自分はそれでもセレネの記憶が必要なことも、分かっている。
 彼女の絶望ひとつを対価に、自分の復讐が報われることも知っている。
 だからシディアンは、セレネに大好きだと言われたり、なつかれたりするのを無視するしかないのだ。ひとつとしてそれに何かを返してやれるはずがないのだから、ひたすらにセレネの気持ちをないがしろにするしかない。
 こんな自分が愛の花を、彼女に捧げられるはずもないのだ。

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