01


 その日、城は衝撃に揺さぶられた。
 シディアンとヴェルデは、会話を交わすことなくお互いに厳しい表情で並んで廊下を歩いていた。途中の道のりで、大臣やほかの兵士とすれ違うが、皆どこか重たい顔をしてヴェルデに一礼し足早に去っていく。
 ヴェルデの執務室に入り、二人はようやく息をついた。
 二人をこんなにも緊張させている原因は、王族専属の医師連中から告げられた衝撃的な内容だった。
「……父上がまさか」
「……」
 独り言のように呟いたヴェルデに、シディアンは無言でうなずいた。ヴェルデは、口元を拳で覆い何か考えるように視線をうろつかせながら椅子に座った。いつも温厚で冷静なヴェルデにしては珍しく動揺が目に見えるが、それを面白がっている状態でもないし、そんな余裕はシディアンにもなかった。
 ヴェルデの父親、つまり現王が病に倒れたのである。
 そして、医師連中の診断結果は沈痛な、「国王様は、もう長くありません」の一言だった。それは瞬く間に城に広まり、城下町をはじめ国中を侵食しようとしていた。王を襲った病はすでに投薬や何らかの治療では修復不可能なところまで彼を蝕んでいた。
 国王の不在ほど国にとって危険なことはない。もう長くないのなら、次期国王をできるだけ速く決めなければならないのだ。
 そして、この国には候補が二人いた。側室の子であるヴェルデと、正室の子であるアージュだ。常識的に考えれば、年下であるとは言え正室の子であるアージュが王位を継承するのが道理である。
 しかし、王の側近たちはこぞってそれに反対している。理由は、シディアンがそれに反対するものと同じようなものだ。国のこれからの発展を考えれば、アージュよりもヴェルデに従いたいと思う大臣は少なくない。
 ただ、そうするには圧倒的にヴェルデが不利な条件があった。
 それは、病に倒れた国王が病的なまでにアージュを溺愛していることだった。昔から大人びていて子供らしいところがなかったヴェルデよりも、王は年老いてからできた天真爛漫なアージュを好いていた。
 世襲制である以上、そして国王の意識がある以上、その意思を尊重するのは当然のことわりである。
 現王のそういった意思が覆らない限り、ヴェルデが王位を継承するのは困難だ。
「シディアン」
「はい」
「父上を説得することができると思いますか」
「……国王様は今体調も悪く疑心暗鬼に駆られていらっしゃると思われますので、これ以上の説得は無意味かと」
「そうですね……。しかし、アージュに継がれてはこの国はめちゃくちゃになってしまう」
「……」
 ヴェルデは、机を人差し指でとんとんと苛立たしげに叩いて、ため息をつく。
「やはり、外堀から固めるしかないですね」
 とは言っても、騎士団連中のうちのアージュを盲信している一部はともかく、側近や大臣たちのほとんどはヴェルデが王位に就くことに賛成なのだ。国民の支持率も圧倒的にヴェルデのほうが高い。これ以上どこを固めると言うのだ。
 シディアンは少し考えて、しかしやはり外堀から攻めるしか方法はないという考えに帰着する。
 もちろん、アージュも父親の溺愛にあぐらをかいてはいないだろう。何か仕掛けてくることはほぼ間違いない。少ない味方の側近を使ってほかの側近たちを抱き込みにかかるだろう。
「しばらく、忙しくなりますが」
「構いません」
「セレネをひとりぼっちにさせることに関しては」
「……彼女が露と消えるわけではありません」
 もちろん、心配ではある。しかし今はそれどころではないのだ。ヴェルデは思わしげに眉を寄せ、深いため息をついた。
「まさかこんなに早く、父上が……」
 国王とヴェルデはあまり親子らしいやり取りをかわしていたわけではない。むしろ、ヴェルデが幼いころから上司と部下のような間柄であった。それでも、やはり悲痛に思う気持ちはあることにシディアンは少しだけ安堵する。
 とりあえず、今日家に帰ったら、しばらく忙しくなるであろうことをセレネに伝えなければ。さみしげに揺れる瞳を想像すると心苦しいものはあるが、仕方ない。国の未来のためだ。
 ヴェルデに一礼して執務室を出たところで、ちょうど廊下の向こうからやってきたアージュと鉢合わせる。シディアンは一応礼をしてその場を立ち去ろうとしたが、アージュに呼び止められる。
「なあ、シディアン」
「なんでしょう」
「あがいても無駄だぞ」
「……」
 無言で睨みつけると、アージュは肩をすくめて意地悪く笑った。
「部下に、ずいぶん嫌われたもんだ」
「俺の上司は団長ではありませんから」
「言ってくれるな」
 ふんと鼻を鳴らしたアージュが、今度は何とも形容しがたい不気味な笑みを浮かべた。少し気味悪く思うが顔には出さず、シディアンは今度こそ一礼してその横をすれ違った。
 つかつかと廊下を歩きながらぼんやりと、セレネの顔が見たい、と思った。

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