02
ヴェルデが優しく声をかけて、セレネのうつむいた頭を撫でた。
シディアンとは違う、細くて繊細な手がゆっくりと、セレネの頭をフード越しに行ったり来たりする。それからヴェルデはぽつんと呟いた。
「罪な男がいたものですね」
頭頂部辺りをしつこく撫でながら、ヴェルデが急に話題を変えた。
「ところでもうすぐ冬は終わってしまいますが、まだ寒いですか?」
「……え?」
「コートを脱ぐ気配もないし、フードを取る気配も微塵もない」
「……」
そっと顔を上げると、ヴェルデはにこやかに微笑んでいる。セレネが思わず耳のあたりを押さえると、ふう、とため息をついて、ヴェルデは言った。
「僕とあなたは友達でしょう? 今更、あなたが猫さんだからと言って対応を変えたりしませんよ」
「えっ」
ばれている。と思った。なぜだろう、しっかり隠していたはずだったのに、見えていた?
セレネがおずおずとヴェルデを見ると、彼は微笑んだまま、もう片方の手の人差し指を唇に当てた。
「僕にはなんでもお見通しです」
「……」
「シディアンには内緒で、見せてくれてもいいでしょう?」
「……どうして、シディアンに内緒なんですか?」
「彼は怒るかな、と思って」
「お、怒られる?」
「いいえ、セレネではなく、僕が怒られるだけです」
にこにこと、まるで怒られることを楽しみにしているような顔で、ヴェルデはセレネが着込んでいたコートのフードを脱がせた。ふわりとそのまま、指がセレネの細い髪の毛をかきわけて、耳に触れた。その優しい刺激に、ぴくり、とセレネの意思とは別に、耳が動く。
「髪の色とお揃いですね。きれいな銀色だ」
ふわふわと撫でられて、セレネは気持ちよさに目を細めた。
「ちなみに、失礼を承知でうかがいますが、しっぽは?」
「な、ないです」
「なるほど」
微笑んだヴェルデが耳を軽く引っ掻いたその時、扉が開いた。
「ただいま……ヴェルデ様、何をしておいでですか」
「おや。隊長殿のお出ましですね」
セレネが扉のほうに目をやると、シディアンがしかめっ面で仁王立ちしていた。今日は早いんだな、とぼんやり思っていると、近づいてきたシディアンが怒りをあらわにしてヴェルデの、セレネに触れているほうの腕を掴んだ。
「ご挨拶ですね」
「勝手に、触れないでいただきたい」
「別に君のものではないでしょうに」
「……」
呆れたような表情のヴェルデに、シディアンが黙り込む。セレネはなんだか妙に険悪な雰囲気の二人をぼんやり眺めていて、そしてあることに気が付いて、あっ、と声を上げた。
「セレネ?」
「シディアン、怪我してる!」
「……ああ、昼間、団長の剣を避け損ねた」
シディアンが頬を押さえた。そこに走っている決して小さくはない赤い切り傷を見て、セレネは慌てて台所へ向かい、布を持って戻ってくる。そして、背の高いシディアンの頬にそれを当てる。シディアンはそれを優しく押しのけた。
「消毒も済ませてあるから、問題ない」
「そうなの? もう痛くない?」
「ああ」
ほっとした表情を浮かべたセレネの横で、ヴェルデは苦い顔をした。
「また、アージュですか」
「……訓練中の自分の落ち度です。別に彼が故意にしたわけでは」
「アージュにはよく言っておきます。あまり部下をいじめないようにと」
「あなたがそれを言うと、また波風が立つでしょう」
「訓練中のうっかり、であっさり死んだらどうするんです」
「……シディアン、死んじゃうの?」
ヴェルデの言葉が引っかかり、セレネが眉を寄せて不安げにシディアンを見る。
「死なない。ヴェルデ様は少し大げさです」
「アージュならやりかねませんよ」
セレネは、アージュが誰なのか聞こうとしたが、それより先にヴェルデがひらひらと手を振って帰ろうとしていることに気付いて、慌てて近寄って声をかけた。
「ヴェルデさん、もう帰るんですか?」
「そろそろ仕事に戻らなければ。また来ますよ」
「ふうん……」
「セレネ。例の花の件ですが」
びくっと体が跳ねた。シディアンは不審げな目をしてそのやり取りを見ている。セレネが、何を言われるのかとびくびくしていると、ヴェルデはにっこりと笑って耳打ちした。
「シディアンにきちんと聞いてみればいいんです。もちろん、あの花を贈ることの意味も知らせてやればいい」
「そんなの……」
戸惑ってヴェルデを見つめると、顔を離し、彼は不敵にシディアンを見やって言う。
「大丈夫。僕はあなたの味方ですから。悪いようには絶対にしません」
「……」
何やら、二人の間に不穏な空気が漂っている。と察したセレネは、心配そうにシディアンを見た。視線に気が付いたシディアンは、セレネの頭を少し撫でてヴェルデにひやりと言った。
「セレネに妙なことを吹き込まないでいただきたい」
「ふふ。妙かどうか、隊長自身が確かめればよいのでは?」
「……」
「それでは、ごきげんよう」
ヴェルデが扉の向こうに消えると、シディアンが深々とため息をついた。そのため息のあまりの深さと長さに、セレネはシディアンの呼吸が止まるんじゃないかと心配になるほどだった。
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