01


 シディアンに買ってもらった花は、結局家中探し回っても見つからなかった花瓶の代わりに、少し背の高いガラス製のコップに水を入れて活けてある。
 テーブルの真ん中に飾ったそれを、用事を終わらせてからテーブルの面に頬をくっつけて眺めるのが、セレネの日課になっていた。
 ただ気になるのが、日に日にその桃色の花が元気をなくしていくことだった。
 持って帰ってきたその日はしゃきんとしていたのに、一日二日と時間が経過するほどにしょんぼりとうつむいてきて、四日目の今日、とうとう花びらがひとひら落ちてしまった。白い花にいたってはとっくに、枯れ果ててしまったのだ。それでもどうしてもコップから外すことができず、枯れたままそこに挿してある。
 何がいけないのだろう。水は毎日取り換えているし、じっと観察している。それなのに、きれいな花はだんだん色あせていくのだ。
 セレネがそわそわと、命を燃やしていく花を眺めていると、扉がノックされてヴェルデの声がした。
「セレネ、遊びに来ましたよ」
 はっとしてコートを着込み、返事をする。扉が開いたその先にはいつものように、気楽でありつつも豪奢な衣装を身にまとったヴェルデが微笑んで立っている。セレネもにこっと笑い、ヴェルデを迎え入れた。
 セレネが紅茶のためのお湯をわかしていると、ヴェルデが驚いたように声を上げた。
「シディアンの家に、花があるとは」
「あっ、それは」
「しかしずいぶんとしおれていますね」
「……」
 ばっさりと指摘され、セレネがしょんぼりすると、それを見たヴェルデが不思議そうに首をかしげた。
「どうして落ち込むのですか?」
「だって、せっかくシディアンが買ってくれたのに」
「……シディアンがこれを?」
 ヴェルデが怪訝そうに眉をひそめ、花とセレネを視線で行き来する。その視線の意図が分からずにセレネが首をすくめると、ヴェルデは、なるほど、と短いため息をひとつついて眉を上げ、呟いた。
「彼は知らなかったんですね」
「え?」
 ヴェルデが口元を軽く握った拳で覆う。笑ってしまうのを隠しているようなそのしぐさにセレネが首をかしげると、ヴェルデも真似して首をかしげた。
「あなたも、どうやら知らないらしい」
「何をですか?」
「この花」
 ヴェルデがにこやかに笑って、落ちたひとひらの花びらを撫でる。
「我が国では一番有名な、愛の告白に使われる花です。なんと言っても、花言葉は『熱愛』ですから」
「あい……」
 数秒セレネはその言葉の意味を考えて、それから顔がじわじわと赤くなっていくのを感じる。愛の告白、熱愛。
花は詳しくない、と言っていたシディアンにそんな気持ちはなかったのは分かるが、それでも、こうして事実を知らされると、どうしていいのか分からなくなる。
 真っ赤になったセレネを、ヴェルデは微笑ましげに眺めて言う。
「花も生き物です。こうしていつか枯れてしまうのは自然のことわりですから、何も気に病むことはないですよ」
「……」
 顔を赤くして黙りこくって、まるでヴェルデの慰めを聞いていないセレネに苦笑いし、ヴェルデがとある提案をする。
「そうだ。枯れてしまう前に、押し花にしてはいかがですか?」
「押し花?」
 きょとんとしてセレネがおうむ返しに言うと、ヴェルデはにこっと笑って頷いた。
「花を乾燥させて、きれいなまま保つ方法です。厚手の布や本に挟んで、暖炉のそばに置いておきましょう。本を読むときのしおりにしたり、額に入れて飾ったりすればいい」
 セレネは少し考えた。シディアンにせっかく買ってもらった花を大事にしたい気持ちはある。きれいなまま保てるならそれに越したことはない。でも。
「……いいのですか?」
 のろのろとかぶりを振ったセレネに、ヴェルデははてと首をかしげ、花の茎を撫でる。ヴェルデの指が触れた、弱弱しくて今にも折れてしまいそうなそれをセレネはじっと見つめて、うつむいた。
「あ、愛の花だったら、押し花にしちゃったらシディアンに迷惑がかかるかもしれないから」
「どうして?」
「もしかして、シディアンはほかに、それを渡したい人がいるかもしれない」
 そう、ひょっとしたらシディアンは、ほんとうはほかに花を渡したい人がいるかもしれないし、自分なんかただ匿っている行きずりの女の子に過ぎないのだ。そう考えるとなぜか、胸がちくりと痛んだ。
 シディアンの優しい目つきや頭を撫でてくれる大きくてごつごつした手を思い出す。見つめられるとどきどきしたり、触れられるとそわそわしたりするけれど、拾われた身分で、世話をしてもらっている身分で、そんな甘い気持ちを抱くなんておこがましい。
 そう、シディアンは優しいから自分を放っておけないだけで、自分のことを何とも思っていないことなど、知っている。だから、愛の花を押し花になんかできないのだ。
 それに、自分には記憶がない。ここに来るまで何をしていたのかも分からない。由緒ある貴族のお嬢さんならいざ知らず、そんな意味の分からない自分を、シディアンが好いてくれるとはとても思えない。
「……わたしは、シディアンのお荷物だから」
「お荷物?」
 ヴェルデが眉を寄せた。
「シディアンが、そう言ったのですか?」
「ううん、違う」
「それなら」
「でも、だってシディアンにほんとうは、お花を渡したい人がいたら、でもわたしがいたら邪魔だから」
 だんだん声が涙まじりになって、小さくなっていくのが自分でも分かる。これではヴェルデを困らせる。だから自分はお荷物なんだ。気持ちが、深く深く水の底まで落ちていってしまう。
「セレネ」

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