01


 気まぐれでも、なんでもないのだ。シディアンは、そう考えた。
 目の前の台所で慌ただしく調理をしているセレネを見て、シディアンは微笑ましい気持ちと罪悪感という相反する感情を持て余す羽目になっている。野菜を切りながらも、鍋の中身をしきりに気にする姿は可愛らしい。
 自分の目的のためにセレネを拾って世話していることに対して後ろめたい気持ちがないわけではない。もちろん、雪野原に倒れていたセレネを見つけたことは偶然だし、その時はただ助けなければと思った。ただ、シディアンが彼女を医者に連れて行くことをしなかったのは、ひとえにその特異な姿のせいだった。
 猫の耳をした種族、というのはひどく珍しい。シディアンも遠征先で一度遠巻きにその集団を見たことがあるだけだ。その彼らの誰もが、セレネのように端整な顔立ちをしていた。人間離れした美しさに、いつしかその猫の耳は不老不死の妙薬になるという話も一部の人間の間で出ている。もちろんシディアンはそんなことは信じてはいない。
「できた!」
「ああ」
 物思いにふけっていたシディアンの耳に、高い声が響く。顔を上げると、セレネが料理の盛り付けられた皿を二枚テーブルに置いたところだった。名前をつけるほどでもない、肉と野菜をいためたものとスープとパンだ。
「いただきます」
「いただきます」
 セレネがフォークで野菜をつつきはじめたのを見て、シディアンもスープに口をつける。
「そういえば、今日もヴェルデさんが来た」
「仕事を終えてから来たのか、ちゃんと聞いたのか」
 またか、と思う。最近セレネから、しょっちゅうヴェルデがこの家を訪れた話を聞いている気がする。職務はきちんとまっとうしているのか、立場が立場でなければ正座をさせて問い詰めたいところである。ちなみに、ヴェルデの仕事は事務仕事がほとんどで、その作業を行う執務室に誰もが気軽に立ち入れるわけではないので、窓から脱走されるとお手上げなのである。
「うん。シディアンの差し金ですか、って笑ってた」
「そうだろうな」
 セレネが楽しそうにヴェルデの話をするのに、少しだけ安堵するとともに、面白くない気持ちにもなる。最初はシディアンにもおびえてばかりだったセレネが、ヴェルデと仲良くしているのは微笑ましいが、なぜだろう、少しだけいらいらする。
 セレネは、シディアンの言ったことを気にしてか、ヴェルデが来訪した際にもコートを着込んで耳を隠すらしい。それは、賢明なことだ。ヴェルデが猫の耳を見つけたらシディアンはなんて言われるか分かったものではない。
 気付けば、食事の手が止まっていたらしい。セレネが、宝石を砕いて粉々にしたような色の瞳でシディアンをじっと見つめていた。吸い込まれそうな引力の、大きな瞳。心臓が少しだけ跳ねた。
「シディアン?」
「ああ、少し、考え事を」
「疲れてるの?」
「……分からないな」
「あのね」
 セレネは知らないのだ。自分がどれほど希少な存在で、それを悪用しようとしている人間が大勢いるかを。自分は悪用するつもりはさらさらないし、むしろそういったものを殲滅したいくらいに憎んでいるが、利用するつもりは多少あるのが、シディアンの正義感をちくちくと罪悪感が刺激する原因でもある。
 無言でパンを噛みしめていると、セレネが手を突き出した。
「ヴェルデさんが、疲れたら甘いものを食べなさいって言ってたから、これ」
「……」
 セレネの差し出された小さな手のひらに乗っていたのは、薄紙に包まれた飴だった。今日ヴェルデにもらったものなのだろう。ポケットの中に入れていたらしい。それをじっと見つめていると、セレネはおずおずと言った。
「あの、甘いもの、きらい?」
「……いや。もらっておこう。ありがとう」
 礼を言って飴を手のひらからつまみ取れば、セレネの顔はぱあっと輝いた。セレネは、シディアンの役に立ちたいと常々思っている、とシディアンは思う。セレネからしてみたら、シディアンは訳も分からず雪野原に倒れていた自分を助けてくれた恩人であるのだから、それは当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。
 ただ、シディアンは純粋な人助けのつもりでセレネを助けたわけではないだけに、その献身的な気持ちに少し、胸が痛むのだ。それでも。
 セレネに親切にするのはいいが、本来の目的を取り違えないようにしなければ、と身を引き締める。
「シディアンは」
「ん?」
「ヴェルデさんとお友達になれないんでしょう?」
「……そうだな」
「だから、わたしがヴェルデさんとお友達になるよって言ったの」
 一国を担うことになるかもしれない存在に思い切ったものだ、と少々驚くが、そこは国のことを詳しく知らないセレネだからできる芸当だ。
「そうしたら、なんて?」
「喜んでくれた!」
「そうか」
「それでね、ヴェルデさんは、今度お見合いがあるんだって」
 そういえば、そうだった気がする。二十八歳にもなって浮ついた話はあれどしっかりとした縁談がないので、母親であるメイジャが焦っているという話は人づてに聞いている。第一王子でありながら側室の子供であるヴェルデは、立場としてはあまり強くないのだ。メイジャはヴェルデを王にしたくていろいろ手を回している。その一端が権力者の娘との結婚だ。

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