羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 あの後、我ながら青臭いことを言ったなと思い返して恥ずかしくなってしまったが、口から出てしまったものは仕方ない。嫌がられてはいないようだし、結果オーライということにしておこう。
 おそらく気疲れからきていたのだろうそいつの風邪は、どうやら一気に体調を崩して一気に回復するタイプのものだったらしい。「なんか寝て起きたらめちゃくちゃ腹減ってる」と、数時間前にぶっ倒れたとは思えない表情で言う。ほぼ朝飯抜きみたいなもんだったしな。
 俺は、実は猫舌なのだと白状したそいつのために作って少しだけ冷ましておいた玉子粥を器に取り分けた。粉末だしと醤油の適当すぎる味付けだが許してほしい。まあ、食えなくはないと思う。味見したし。
 いつの間にか頭から被った布団を跳ね除けていたそいつに声を掛けると、俺の作った――水と米と卵と調味料を鍋にぶち込んだだけのものに対して作ったなんて言うのもおこがましい気がするが――玉子粥を見て、「おれ、誰かにこうやって食事作ってもらうの初めて」なんて言ってはしゃいだ。
「味には期待すんなよな」
「おれのために作ってくれたってだけで嬉しいよー」
「ささやかすぎだろ。もっと欲張っていけ」
 軽口を叩きつつ、器とスプーンを渡す。スプーンは木でできていて、ちょっと前にこいつが「コーンスープをね、木のスプーンで食べるのちょっと憧れるよね」なんて言っていたものだから、つい営業の外回りにかこつけて買って帰ってきてしまったものだ。予想以上に喜んでくれて、今となってはコーンスープに限らず木のスプーンを使っているところも何度か見ている。
 今もそいつはひと匙ひと匙をまるでとてつもなく高級な食事をしていますって風に口に運んでいる。その様子を眺めていると、俺が作った料理なんかがとても素敵なものに見えてくるから不思議だ。
「うまいよー孝成さん、ありがとう」
「そうか? 食えるならよかった」
「孝成さんは昼飯どうするの?」
「あー……そっか忘れてた。どうすっかな」
「前にハンバーグしたときの残り、冷凍してあるからそれでよければ」
「お前マメだな……っつーか自分の住んでる家の冷凍庫の中身把握してねえ俺がやべえのか」
 下手すると冷凍庫どころか冷蔵庫も危うい。今、野菜室にどんな野菜が入っているのか答えられる気がしない。
 幸い、ネット注文したのは焼くだけで食える味付けすら不要の肉とか、まあ、そういう類のものだったので邪魔になることはないだろう。
 俺は言われた通り冷凍庫の中のハンバーグをレンジで解凍して、横に申し訳程度のレタスとトマトを乗せてついでに白米も乗せて、ワンプレートにまとめてから布団の横へと移動する。この家に一人だった頃はひたすらコンビニ弁当ばかり温めていた電子レンジも、今となっては手作りのハンバーグや温野菜を作るためのブロッコリーなどに、昔と比ぶべくもない活躍ぶりで腕を振るっている。さぞやりがいのある職場だろう。
 そんなことを感慨深く思いながら、DVDデッキを置いている膝丈くらいの棚を机代わりに、床に座って手を合わせた。行儀が悪いが、今は、なるべく傍にいたい。
 そいつは結局、俺が即席のハンバーグプレートを食べ終わっても、まだ嬉しそうに玉子粥を味わっていた。
 殊更ゆっくりと時間をかけて食事を終えたそいつは、歯を磨きたいと言って洗面所へと入っていく。俺はその間に器とコップを片付ける。一人で歩ける程度にはなったようだし、これで夜にはもっと精のつくものを食べて薬を飲んで、しっかり眠れば大丈夫だろう。
 洗面所の方から水の音が微かに聞こえて、大丈夫そうだなと安心する。
 歯を磨いて帰ってきたそいつは、やけに静かになっていた。もそもそと布団の中にもぐりこんで、何か言いたげに見える表情をしている。
「どうした?」
 出来る限り優しい声で尋ねた。今こいつが言おうとしていることは、きっと大切なことだと思ったから。
 そいつが僅かに表情を緩めたのを見て、ああ、大丈夫だ、と思う。
「あのね、おれの話、聞いてくれる?」
「聞きたい。お前が話してくれることなら、なんでも」
 間髪入れずに答えると、そいつは目を丸くした。なんだよ、そんなに驚くことか?
「……孝成さんが、ちょっとでも悩む感じだったら話すのやめようと思ってた」
「そうかよ。俺は予想を裏切る男だぜ」
「そうだね。……初めて会ったときからそうだった」
 本当に家においてくれるなんて思ってなかった、とそいつは言った。今更かよ。そっちから声かけてきたくせに。
「孝成さんと喋ってると言い訳できなくなる気がする」
「言い訳? 何にだ?」
「自分に。諦めたふりしてたんだって思い知らされる感じ」
 そいつは笑った。疲れたようにも見える表情は、体調を崩しているからだろうか。いや、違うのだろう。
 暫く言いよどむようにしていたそいつだったが、やがて「おれ、頭よくないからちゃんと整理して話せないけど」と前置きしてから、尚もこちらを窺うようにしてくる。
「俺が今更、そんなことでお前の話無視すると思うか?」
 半ば呆れながらそう返してやると、そいつは感情を推し量りがたい曖昧な笑みを浮かべて、「……そう思えないのがこわいよ」と内緒話をするように声を落とした。

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