羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 キイチは実はアキラのことが好きなんじゃないか、と、もう何度考えたか知れない。
 別に最初からそんなことを考えていたわけではなくて、ただ、俺がキイチを好きになってから、あの二人の距離感の近さに勝手に焦燥感を抱くようになっただけだ。
 焦燥感、嫉妬心、その他もろもろ。俺がこんな気持ちを抱えてそれでも腐らずアキラと友達付き合いを続けてこられたのは、ひとえに俺がアキラのこともかなり好きで、大切に思っているからだ。こっちはライクの意味。そう、俺はアキラのこともちゃんと好きなのである。好感情と悪感情の天秤があったとしたら前者に大きく傾いている。
 ――逆に言えば、どんなに好きだろうと嫉妬心が消えるわけではないということだ。
 アキラは男女問わず過激な人間を引き寄せることが多かったから、そういう強い感情に巻き込まれて傷付いてばかりいた。バンドメンバーたる俺くらいは、アキラを傷付ける側ではなくて、守る側でいたいと思ってしまう。でも羨ましい。羨ましくてたまらない。複雑な男心なのだ。我ながら、なかなか自制心はある方だと思う。
 キイチとアキラは幼馴染で、昔から――少なくとも俺が把握できている高校時代から――周囲に散々からかわれるくらいには仲が良かった。アキラはあんな感じで人間関係では押しに弱くて流されやすいから、恋人ができてはトラブルで別れてを繰り返していたけれど、その陰に隠れるように、実はキイチも恋人と長続きしなかった。確か、記憶の限りでは一年と続いたことがなかったはず。
 まあ、理由は明白だ。
『アンタどう見てもあたしより明楽の方が好きだよね』
『佐渡くんって、私を優先してくれたことないよね……』
『もう明楽くんのとこ行けば? 戻ってこなくていいよ、無理させてごめん』
 エトセトラエトセトラ……キイチのかつての恋人たちの、印象深かった台詞がこれ。キイチはアキラを好きにならない女子を見つけるのは上手かったけれど、そんな彼女たちをアキラより優先させることがとかく下手だった。俺や伊則の前で女子からの糾弾が始まったことは数知れず。唯一の救いは、アキラが傍にいない僅かな時間を狙い澄ましたかのようにそんな事態が巻き起こっていたということ――だろうか。きっと彼女たちも、アキラは悪くないことが分かっていて、言い争いを聞かせたくなかったのだろうと思う。
「タキ〜? どした? 箸止まってんぞ」
「ん……いや、お前の元カノが」
「はいー? 元カノ? どの?」
「……たくさん? 長続きしたことなかったよな、とふと思い出した」
「えっ今更それ言う〜!? まあ確かに長続きした試しがねえわ。半年以上続いた記憶ねえもん。オレってばこんなに優良物件なのに」
「自分で言うか。優良物件なら別れないだろ」
 俺の言葉にキイチはさも心外ですという風にぎゃんぎゃん騒ぎ始める。
「オレほどのお買い得品はそうそうないだろ! 割と気は利く方よ? 喋るのも相手の話聞くのも苦じゃないしー、体力仕事も頭脳労働もそこそこできる!」
「なんでフラれるんだろうな、それで」
「うー、だってみんなアキラがアキラがって煩いんだもん! 今アキラ関係なくね? みたいな場面であいつの話題出すのなんで!? オレの恋人が変に張り合おうとする対象がアキラなのはおかしくない? 絶対おかしいよ」
 関係ないこともないしそこまでおかしくもない。お前が彼女よりアキラを優先させてきた結果だ。
 ……なんて言えるわけもなく、「お前定期的にマジギレされてたよな、彼女から……」と曖昧にごにょごにょ言っておく。キイチは騒いだことで酔いが回ってきたのか、日本酒をちびりと飲んでからくふくふ笑い、「そだねー……」とゆるい口調で返してきた。
「女子って見限った男に対して容赦なくね? 高校ンときにさあ……『もうお前三浦を彼女にすれば!? 死ね!!』って言われたことある。あれは流石に泣いた……」
「…………コメントしづら……」
「せめて笑ってよぉ。とっておきの持ちネタなのに」
「持ちネタにしてるのかそれを」
「んや、今初めて話した」
「……それアキラは?」
「知ってる。オレの人生で一番アキラに可哀想がられた事件だし……めちゃくちゃ慰めてもらったし……あーこんなことしてっからフラれるんだなってそのとき思いましたし……」
 でも今更この距離感変えられないんだよなぁ、と独り言みたいにしてキイチは言った。だって昔から当たり前みたいに傍にいたし、とも。
 あーあ、と思う。気の利いたコメントのひとつも出せないし、俺は毎日毎秒アキラに負けている。勝てる部分が身長体格くらいしかない。あとはまあ……ドラムの技術とか? 家事の腕も? なんともむなしい話だ。
 ちびちび日本酒を口に運ぶキイチを肴に、俺も先ほどからほったらかしにしてしまっていたビールを呷った。既にぬるくなっているそれは爽快感からは程遠いのどごしだったが仕方ない。
 しばらくは無言で、何を言うべきか迷って、結局俺は不毛な会話を続けてしまう。
「……そのわりにアキラと連絡つかなかった間も恋人作らなかったよな」
「えー? まだ続いてたのその話……?」
 んへへへ、と変な声をあげて笑うキイチは楽しそうだ。何がどうツボに入ったのか分からないが、今のこいつは機嫌がいい。
「まあ確かに……でもまあそういう……アキラのいぬまに恋人作って……んん……どうせ後で別れることになるみたいな……」
 いよいよアルコールにやられてしまったらしく口調がだいぶ危ういことになっている。口調も言ってる内容も何もかも危ないな。えーと、アキラの存在を知らない恋人がもしできたとしても、後からアキラとの交流が復活したならこれまでの恋人たちと同じような事態になると思っている……ということだろう。アキラとの縁が完全に切れることは想定していないらしい。俺もそうであってほしいと思う。仲のいいこいつらのことが、俺は好きだ。
「みーんなアキラのことが好きだもんねー……まあオレもすきだけど……」
「……、お前今日ペース早すぎ。水飲め水」
「はいはーい……タキは心配性だね……」
 口の中で何やらもにゃもにゃと言っていたが聞き取れなかった。ああもう、嫌になる。本当はひとつも取りこぼしたくないのに。
 キイチの目の前にあった日本酒を取り上げて、代わりに水のグラスを押しやる。キイチは少し不満そうに唇を尖らせたけれど、素直に水に口をつけた。ぐびぐびといい飲みっぷりである。水を飲んで少しはすっきりしたのか、いくらか平常に戻った声音が鼓膜を擽る。
「っはー……やば、頭ふわふわする」
「飲みすぎだ。まあ自覚できてるだけマシか」
「そういう気分の日もあんの」
「明日に残らないといいな」
「流石にそこまで代謝落ちてねえよ!? たぶん! まだ二十代!」
 元気だな。いいことだけど。
 キイチはそこからしばらく加齢による体力の低下や徹夜が辛くなってきたことやデスクワークの体の痛み諸々についてぼやいていたけれど、ふと我に返ったみたいに動きを止めて、ゆっくりこちらに目を合わせてくる。そうして静かに、殊更静かに囁いた。
「……また誘う」
 俺は神妙に頷いた。“また”があることに安心しながら。このぬるま湯のような穏やかな関係が続きますように、と。
 今日も俺は、いつかのおしまいが来ないことを祈っている。

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