羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 たまに、どうしようもなくアキラが羨ましいと感じることがある。
 あの立ち位置を得られるなら俺は他の全部捨てたって構わないのに、アキラは当たり前みたいにしてあいつの隣に並ぶことができる。俺が欲しくてたまらないものを、アキラは遠い昔から持っている。

「タキ〜! 疲れたよお〜!」
 金曜日の夜、キイチは残業終わりのちょっとくたびれた足取りで俺のもとへと駆け寄ってきた。日中はうだるような暑さだが、この時間ともなると流石に気温は穏やかなものだ。俺は、「お疲れ」とだけ言ってキイチの方へと足を向ける。
「今日はー……疲れたからガッツリ系で攻めたい! 肉食お肉」
「お前、先週も同じこと言ってたろ」
「美味い肉は毎週食いたいじゃん」
 今日の夕飯は焼肉にすることに決めて歩き出す。実は、キイチとこうして二人きりで出掛けるようになったのは社会人になってからだ。特にアキラと連絡がつかなくなってからは、こいつと行動することが増えていた。それは交流が復活した今となっても変わらない。そのことを嬉しく思っている自分がいることを無視できなくて内心苦笑いする。
 そういえばアキラもよく、『今日は疲れたから肉食お!』とまぶしいくらいの笑顔で言っていた。長年一緒にいると似てくるのだろうか。二人はよく似ている。明るくて人に好かれるところはもちろん、言葉の選び方や好きな音楽、味覚なんかも。
 重ねた時間はどうやったって敵わないのに嫉妬してしまう。どうしようもないことを考えてしまう。もし二人が幼馴染じゃなかったら、こいつの隣というポジションに立候補できたんじゃないか、なんて。
「――そういえば、アキラとはもう普通に会ってるんだよな。その後は大丈夫そうか?」
「んー? 会ってるよ。こないだも一緒に飲んだし。特にトラブルもなく恋人との仲も良好で幸せそうにしてる。羨ましいね〜!」
 けらけらと高い声で笑うキイチの表情を注意深く観察してみても、言葉以上のことは読み取れない。本心なのかそれともノリなのか、羨ましいという感想がアキラに対するものなのか――それとも、アキラの恋人である彼に対するものなのか。俺には何も分からない。
「今日もさ、あいつ誘ったけど『今日は兎束さんが家来るからパス!』ってソッコで断られたわ。イノは今日なんで来ないんだっけ?」
「繁忙期でこの時間は無理らしい」
「そっかー。やっぱ社会人ともなると予定合わせんのも一苦労だよなぁ」
 昔は毎日会ってたのに、と懐かしむような表情を浮かべたキイチは、「タキって昔からこういう誘い断らない」と囁くように言う。
 こいつにとっては、それは確かにそうだろう。キイチの誘いを断ったことなんてきっと数えるほどしかないと思う。
 遊びの提案は大体キイチから。伊則が誘ってくることも、割と。俺はたまに誘うだけ。意外なことに、アキラはこういうことに関して完全に受け身だった。あいつは常に方々から誘われて、自分から誘う暇がなかったからかもしれない。それでもアキラはキイチの誘いを最優先したし、キイチも、アキラのふとした『ここ気になってた』といった些細な呟きを拾って、『じゃあ次の休みに見に行こうぜ』なんて計画を立て始めることが多かった。
「……伊則もアキラも断るときはバッサリだからな」
「あーね! もう慣れたわ。あの二人そういうとこ似てるよな。待ち合わせしてギリッギリにしか来ないとこも一緒」
「はは、そうだな」
 四人で待ち合わせをすると、必ずと言っていいほど俺が最初に到着した。キイチが二番目で、伊則が三番目、アキラが最後。
 俺はそんなとき、伊則が到着するまでのほんの少しの間、キイチと二人きりで過ごす時間が好きだった。
 そういうときくらいしか、キイチの時間を独り占めできなかった。

 キイチの背を追いかけて入った店内は金曜の夜にしては落ち着いた雰囲気で、俺たちは店内の端っこのテーブル席で気兼ねなく肉を焼いた。じゅうじゅうと、肉の焼ける匂い。熱源の近さに肌が汗ばむ。
 網に乗せた牛タンのふちが反り返り、肉汁がぱちんと弾けた。ひっくり返してから少し待ち、生の状態よりもいくらか縮んたそれにレモン汁をつけて食べる。それこそ高校生の頃はカルビに甘辛いタレをたっぷりつけて白米を掻き込んだものだが、年々あっさりした味を好むようになってきた気がする。
「うまぁー……やっぱ高い肉いいわぁ……」
 キイチは肉をビールで流し込んで幸せそうにしていて、俺もつられてビールを一口飲んだ。うまい。
 うまいものを食べているときは会話が減りがちだ。俺たちは、酒をお供にひたすら肉を焼いて食べた。白米もしっかり食べた。キイチがいつにも増して楽しそうでどんどん酒が進んでいるのを、微笑ましいような気まずいような不思議な気持ちで眺めていた。キイチの前に置かれた飲み物がビールからハイボールになり、日本酒になり、目元がほんのり赤く染まる。なんだか見てはいけないものを見てしまった気分になる。
「タキ」
 ふと、食べるのが途切れたタイミングで名前を呼ばれた。「どうした?」と軽く相槌を打つ。キイチは酒が入っていることもあってか機嫌がよさそうで、いつもよりふわふわした口調で柔らかい声をあげる。
「んはは。たのしーねー」
 これからもこうやって定期的に飯食えるといいなぁ、とキイチは笑った。ただ一緒に夕飯を食べるだけのことをこんな、大切そうに語られてしまっては恥ずかしい。それと同時に、ちり、と心臓が焦燥に痛む。いつまでこの関係を続けていけるのか。いつまで誤魔化し続けることができるのか。
 ――俺はこいつのことが好きだった。高校の頃からずっとだ。
 このことは伊則にも言ってない。キイチにだって、言えるわけない。
 ……でも、アキラに一番知られたくなかった。もし応援されてしまったら、きっと俺は、とてもみじめな気分になるだろうと思うから。

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