羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 そよそよと風が吹いている。
 この時期にしては暖かく穏やかな気候だ。人通りはそんなになくて、二人並んで公園内の遊歩道を歩くことができる。この公園は一本の道路を隔ててふたつに分かれていて、ゆっくり歩くと半周が三十分程度。散歩にはちょうどいい場所だ。
 葉のついていない木ばかりなので太陽の光もしっかり届く。ぽつぽつ梅の花が咲いているのが、春の訪れを感じて楽しかった。
「うわあ、もう梅が咲き始めてるね。もうちょっとしたら桜もかな」 
「だな……あ、鴨」
「ほんとだ」
 水辺を悠々と泳いでいく鴨を横目に進む。落ち葉がたっぷりと積もった地面は踏みしめるとふかふかしていて、柔らかく感触がいい。
 いつもの三倍くらいゆっくりと歩いて、到着したのは広場だ。ちょっと不思議なつくりというか、前方にステージ? のようなものがあって、その周りを半円状にベンチやゆるやかな階段が囲んでいる。階段は腰掛けることもできて、ちょうどひな壇みたいな……椅子のない映画館を彷彿とさせる感じ。ベンチも階段も、まばらに人が座っている。かなり広いから、どこに座っていても通行の邪魔にはならないのだ。
「まゆみちゃんどこ座る? ベンチがいい?」
「あー、ハンカチ敷けばいいし別にどこでも……あんまり眩しくないとこがいいな」
「じゃああの辺りにしよっか。木陰になってる」
 行祓が選んでくれた場所にハンカチを敷いて座る。行祓も使うかと思ってもう一枚持ってきた。あと、ウェットティッシュも取り出しておく。
 バッグからラップで包まれた大きいおにぎりを取り出す行祓。割り箸と、プラ容器の中には卵焼きにからあげ。定番のおかずである。食べたら公園内のゴミ箱に捨てていけるように、今日は飲み物もペットボトルだ。
 きちんと手を拭いてからいただきますと手を合わせて、俺はおにぎりを一口食べる。
「……ん。…………今日は鮭」
「当ったりー。焼いた鮭をほぐして入れた」
 そんなわざわざ面倒なことを……。鮭フレークとかでもよかったのに、と言いたいところだが、鮭フレークと焼いた鮭をほぐしたのはまったく別物なので難しいところだ。俺にできるのは、「うまいよ。作ってくれてありがとう」と伝えることくらいである。
 卵焼きもからあげもうまくて、気候もよくて、いい昼下がりだ。こんなに穏やかな気持ちで休日を過ごせるなんて贅沢だなと思う。
「まゆみちゃんはさー……こういう遊びも前向きに付き合ってくれるよね」
「ん……? 散歩とか?」
「散歩とか。やっぱほら、地味じゃん? でもおれはこういうのが好きだから、まゆみちゃんが一緒にきてくれるの嬉しいんだ。弁当作るのも全然苦じゃないんだよ、ほんとに」
「地味……かもしんねえけど、俺は好きだよ。お前の弁当うまいし……」
「あはは、ありがと。喜んでもらえるかなって思いながら作るの、結構楽しいんだよね。鮭ほぐして、骨を取って……そういうの全部」
 鮭の骨を取るなんて面倒なことをしながらそんな風に考えられるのはすごいことだ。前々から思ってたけど、行祓って奉仕精神に溢れてるよな……。
「行祓が楽しいならよかった。こういうの、準備の負担が偏るから……」
「え、そんなことないよ」
「あるだろ。俺、ウェットティッシュ用意したくらいだぞ」
「んんん。なんだろ、まゆみちゃんが行く気になってくれてるのが、おれとしては既に収支が合ってるっていうか」
 よく分からなかったので首を傾げて続きを促すと、行祓は「まゆみちゃんがおいしそうにご飯食べてくれると嬉しい気持ちになるなーってこと」と笑った。
「まゆみちゃんって付き合いいいじゃん。大学でも、飲み会とか断ることってそんなないよね? まゆみちゃんと一緒に居酒屋行ったりする人はたくさんいるんだと思うんだ。でも、こんななんでもない散歩に誘ってまゆみちゃんがついてきてくれるのは、もしかしておれくらいなんじゃない? って思ったりする」
 思わず笑った。「そうかもな。俺のこと公園に誘ってくるのはお前だけかも」こいつ以外に誘われたの、小学生のときとかだろ。遠い昔だ。
「でしょ。まゆみちゃんにとって、色々なことがおれだけのことになってるかもしれない……のが、しあわせだなーって思うんだよ」
「例えば?」
「一緒のベッドの中に入ってきたりとか?」
「っ、あ、あれは……」
 思い出してしまって顔が熱くなった。上手い言葉が見つからなくて、結局おにぎりをもぐもぐと咀嚼することで黙る理由にする。行祓は相変わらずゆるく笑っていて、俺ばかり意識しているようでそれが少し悔しい気もした。
「やっぱり恥ずかしかった?」
「…………そりゃ、そうだろ。普通に」
「でもちゃんと入ってきてくれるのがまゆみちゃんの優しいところだよねぇ」
 のんびりとした声音。きっと本心からの言葉。むず痒くて仕方ない。
 行祓は卵焼きをぱくりと口に放り込んで、「んん。……我ながらいい感じ」とご満悦だ。
 俺は、そんないつも通りの行祓に、ついこんなことを言ってしまう。
「……お前は、恥ずかしくなかった?」
 全然気にならなかったと言われてしまったらちょっと落ち込むと分かっていたのに聞いた。そのくらい気になった。俺ばかりでなければいいのにと思ったから。ちょっとくらいは同じならいいのにと思ったから。
 行祓は俺の質問に答える前に一度おにぎりを頬張って、十数秒後に返答を寄越してきた。
「実はかなり恥ずかしかった! 思いつきで行動しちゃだめだねやっぱり」
 ああ、くそ、やっぱり聞かなきゃよかった。もう耳まで熱い。こんなに元気よく『恥ずかしかった』なんて言われるとは。自分だけじゃなかったことが嬉しくて、そのことが余計に恥ずかしい。
「おれが湯たんぽになるの、柔軟な発想! とか思ってたけど今考えると何が? って感じする」
「っふ、はは、なんだよそれ」
 体の熱さを持て余しつつ、行祓のぼんやりとした言葉に笑ってしまった。この妙な空気感も悪くない。好きだな、と思う。俺じゃ絶対にやらないようなことを行祓はするし、その逆もあったりするんだろうな、なんて考えてみた。
 気付けば二人ともすっかり弁当を完食していて、いい時間だしそろそろ帰るかと立ち上がる。ゴミをまとめて捨てて、ドラッグストアに寄ることを改めて確認し合って――ふと、行祓が俺を見て笑う。
「……今日も布団あっためとく?」
「っな、」
 何言ってんだ、と力の入らないツッコミ。行祓は満足そうに、「反応かわいすぎるよね」と目を細めた。
「あんまからかうなよ……」
「からかってはいるけど、冗談で言ってるわけじゃないからね」
「しかも冗談じゃないとか」
「冗談の方がよかった?」
「……黙秘」
「なるほどー」
 なんなんだよ『なるほどー』って。何がなるほどなんだ。何か分かったのか、俺の黙秘で。
 内心で無駄な抵抗を終えた俺は、行祓の横顔を見つめる。なんだかほんの少しだけ、いつもより血色がいい気がする。
 ……湯たんぽの類を買うのは、もうちょっと先延ばしにしておこう。

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