羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 近頃底冷えのする寒さが続いていて寝つきが悪い。今日なんかは天気予報で気温が上がると言っていたのに、日が落ちてからは流石に意味もないようで。
 なるべく風呂に入る時間を遅らせてすぐにベッドに入るようにはしているのだが、冷たい布団にどんどん体温を奪われて足が冷えるし、暖房は乾燥してしまって長時間つけられない。湯たんぽとかを用意すればいいのだろうか、とぼんやり考えてはいるものの、準備とかちょっと面倒そうなイメージがあるんだよな……となかなか最初の一歩を踏み出せない。
「はー……さむ……」
「まゆみちゃん大丈夫? おこた入る?」
「入る……」
 行祓にも心配そうな顔をされてしまって申し訳ない限りだ。最近は意識的に体の温まるメニューを考えてくれているであろうことが分かるだけに、申し訳なさも倍増である。
 ちなみに今日の夕飯はチキンステーキにクラムチャウダー、温野菜だった。チキンステーキは粒マスタードをつけてシンプルに食べるやつ。クラムチャウダーは具材がたっぷり。温野菜はブロッコリーを中心に緑の濃いもの。流石に食後はぽかぽかと温かかったが、三時間も経つ頃には効力も薄れてくる。
「冷え性大変だね」
「ん……なんか昔からなんだよな。筋肉が足りないとかか……?」
「えーでもおれもそんなに筋肉ある方じゃないよ。やっぱ個人差なんじゃない?」
「手足が冷たいのはともかく夜寝るのに時間かかるのがきついわ」
「もしかしてまゆみちゃんが最近たまに眠そうにしてるのってそのせい?」
「う。そんな眠そうにしてたのか。たぶん……寝入るのが遅くて微妙に睡眠時間短くなってるんだと思う」
 心配させてしまいそうだから黙っていたのに、行祓は俺の体調の変化にしっかり気付いていたらしい。「困ったねぇ」と言ってうんうん唸る。
「まゆみちゃんって暖房苦手だったよね?」
「そう。空気乾燥してるとなんか無理なんだよ」
「眠れないのってやっぱ足が冷たくて気になるとか?」
「たぶんな。寝る前に布団温めておけばいいのかもしんねえけど……んー、そこまでするか? とか思って。でもやっぱ気になるならどうにかして改善しなきゃだよな。掛布団が冷たすぎてどんどん体温奪われてくんだよ」
 分厚くてもこもこの靴下を履いてみたりもしたけれど、結局靴下の中は冷え切っているのだ。あと、なんか靴下でベッドの中に入るのは生理的に嫌だな……といった感覚がある。
 行祓は俺のそんな発言を聞いてからもまだしばらくうんうん言っていたけれど、やがて「……あ。いいこと思いついちゃったかも」なんて俺に笑顔を向けてくる。
「まゆみちゃん、これからもう風呂入って寝るだけだよね? すぐ寝る?」
「ん。ベッドにはすぐ入る予定。行祓は? 風呂夕方に入ったか?」
「そうだね、夕方入っておいた。へへ、いいこと思いついちゃったから準備しよーっと。まゆみちゃんはどうぞ心置きなく風呂に入ってね」
 にこやかに笑う行祓に見送られ、俺は風呂場の脱衣所へと向かう。脱衣所で服を脱いだ時点でかなり寒くて、というかなんなら脱衣所に入っただけでも寒くて、ぶるりと体が震える。
 一体行祓は何を思いついたんだろうか?
 そういえば、前に指先が冷たくて冷たくてどうにもならなかったとき、あいつは紅茶を淹れてくれたよな、ということを思い出す。ロシア紅茶だ。行祓手作りのジャムは甘みがちょうどよくて、自分で雑にティーバッグを使って紅茶を淹れてもジャムの力によってかなりクオリティが上がるからかなり驚きだった。こんな手軽にこんな美味しいものが飲めていいんだろうか、と思ったりした。
 そんな風に俺のつらい部分をどうにか和らげようとしてくれる行祓だから、今回も何かあいつの素敵なアイデアが飛び出してくるかもしれない。そう思いつつ、俺は服を着たまま浴室のシャワーのコックをひねった。ここであらかじめお湯にしておかないとマジで凍え死ぬんだよ。
 寒さで気持ちが沈んでいたのに、すぐにそれを引き上げてくれる行祓は本当に凄い。俺も見習いたいな。

 風呂からあがって寝る前の一通りのルーチン――歯を磨いたり髪の毛を乾かしたり、他にも色々――を終えて戻ったとき、行祓はリビングにはいなかった。
「行祓?」
 口の中で小さく呟きつつ自室まで向かうと、やはりというかなんというか行祓はそこにいる。
 ――なぜか、ベッドの中に。
「えっ」
「あっまゆみちゃんお帰り。ねえねえ、布団温めてみたんだけどどう? 湯たんぽ代わりにできそうなもの全然なくてさ、もうおれがなるしかないかなって。湯たんぽに」
 どうしよう、想像の斜め上だった。行祓はなんだか得意気にすら見えて、そんな様子はちょっとかわいいなと思う。
 俺は掃除機をかけるときとかに行祓の自室に入る。行祓は、持ち物見られたりするのが恥ずかしいとか比較的気にしないタイプだから見られて困るものがない。最初に部屋に入っていいか確認したときに次からは許可もいらないと言われてからは、俺も割と自由にさせてもらっている。だから、行祓にも色々気を遣わずに、俺の部屋に入るくらいのことなら自由にやってくれて構わないと伝えてある。
 いや、でも。だからって俺の部屋にわざわざ入ってまでやることが“布団を温める”なのか……草履じゃないんだから……。
 自分のベッドに自分以外の人間が寝ていることに嫌悪感はなかった。きっとこれは行祓だから大丈夫なのだろう。っつーか、もっと距離感近いことあるしな、正直……。
「ごめん、布団冷たかっただろ」
「おれ実は布団入ってすぐのひんやり感が好きだったりするんだよね」
「マジ? 冷えねえの」
「冷えはするけどつらくはないみたいな?」
 いっこうにベッドから出てこない行祓に内心首を傾げたのだが、ベッドの中で器用に俺の内心と同じく首を傾げた行祓が「まゆみちゃん、寝ないの?」と聞いてきたことに面食らってしまう。
「え、っと、寝るけど」
「早く入っておいでよー、せっかく風呂入ったのに冷えちゃうじゃん」
 待て待て待て、お前が寝てるとこに入れってか? 本気か? ……本気の顔だなこれ……。
 緊張で眠れないだろと思ってしまう俺はおかしくないはずだ。きっと。
 距離感の近さを指摘すべきか一瞬迷って、そんなの指摘したら意識してしまっていることが丸分かりじゃないか、と自分で自分にツッコミを入れてみたりして。なんだか妙に速くなってきた鼓動を感じつつ、半ばやけっぱちな気持ちで俺はベッドの中へと潜り込んだ。せめて向かい合うような恰好は避けよう、と背中を向けて横向きに掛布団を被る。
 ――まず頭に浮かんだのは、うわ、あったかい、という素直な感想だった。
 当たり前だけど人間には体温というものがあって熱を発しているのだというのが身を以て分かる。天然の湯たんぽだ。ぬくぬくとした温かさが心地よくて、驚いたことにじわじわ瞼が落ちてきそうになる。
 もそ、と身じろぎすると足に温かいものが触れた。
「うわ、まゆみちゃんお風呂入ったばっかでこの足の冷えはびっくりだよ」
「んう……悪い、冷たいだろ……」
 声が眠そう、と穏やかな笑い声が背後でする。今俺の足が当たっているのはきっと行祓の足で、そういえば割と身長差があるのに今は寝ているからかいつもより行祓の声が近くから聞こえるな、とそんなことに安心してしまう。
「眠そうだしこのまま寝ちゃおうよ。おれ、適当なとこで自分の部屋戻るからさ」
 そんな俺にばっかり都合のいいようにさせるのは気後れする、と言いたかったのに、もう意味のある言葉が喋れない。
 俺はその日、背中越しに行祓の体温を感じながら、自分でも驚くほどスムーズに眠りの世界へと落ちることができたのだった。

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