羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


 昔から、人に好かれるのが得意な自覚はあった。
 三人姉弟の末っ子というポジション、手前味噌ながらそこそこ整った甘めの顔立ち、人当たりのよさ、そつのなさ、器用さ。諸々ひっくるめて、俺は人に好かれるタイプだ。人を頼るのも人に甘えるのも上手いと思うし、踏み込んじゃいけない部分の線引きも分かってる。女にはモテると思うけど、男にやっかまれるような遊び方はしないし同性の友達も多い。
 ちょっとした失敗も俺なら笑って許してもらえて、他者の親切を肌で感じる機会もきっと人よりたくさんあった。もちろん俺からも意識的に、人には優しくあろうとこれまでの人生努めてきた。
 だからあのときも、俺はごく自然な流れで彼に頼ろうと思ったのだ。

「え、ネット繋がらないんだけど!? なんで!?」
 出社してPCの電源をつけて、急に出鼻をくじかれた。どうやってもインターネットに接続できないのである。
 俺はPCにそこまで詳しいわけじゃない。会社貸与のノートPCがネットに繋がらないなんてこれまで経験がないし、前例がないとなると原因に見当もつかない。
 営業の島は人が殆ど出払っている。ひとまずその残った数名へと適当に話し掛けてみて、どうやら繋がらないのが俺だけらしいという確信を得る。つまり会社のサーバートラブルとかじゃなくて、俺の持ってるノートPC側に原因があるってことだ。Wi-FiルーターがおかしいかノートPCがおかしいかってとこだけど、うーん……。
 試しに一番近くにいた人に軽く質問してみても空振り。PCに詳しそうな開発部の奴らは全員リモートワーク。お手上げだ……と絶望しているところでふとひらめいた。
「……あ。そうだ、情シス」
 こういうときこそ情報システム部の出番だろう。ここは会社のサーバー管理も任されてるから、リモートワークじゃなくて出社勤務のはず。
 光明が見えた俺は、軽い足取りで情報システム部の島へと向かった。とは言っても、大勢がいる部署ではない。この会社には情シスは一人きりしかいないのだ。そこまで規模の大きい会社ではないので仕方ないのかもしれないが、噂を聞いたとき、代替がいない仕事とか絶対嫌だな……と思ってしまった記憶がある。
 一人で業務を回しているくらいだから相当優秀なのだろう。きっと解決するはずだ。

「すみませーん……」
「……あ?」
 振り返ったその人を見て、一瞬だけうわ、と思った。
 声音であまりにも歓迎されていないことはすぐに分かる。それはともかく、全身に思いっきり「警戒心」と書いてあるのだ。
 ふわふわしていそうな黒髪はきっと天然で、重たい前髪の隙間、眼鏡の奥から胡乱げな瞳がこちらを見ている。端的に言って、目つきが悪い。目の下に隈がうっすら見える。寝不足なのだ、きっと。
 漫画にいるような天才マッドサイエンティストとか科学部とか、そういう感じの見た目だ。デスクの上には栄養ドリンクの瓶が置いてあって、うわー……と重ねて思ってしまった。
「……、…………なんすか? おれに何か用でも?」
「あっ! や、お忙しいところすみません。何もしてないのにネット繋がらなくなっちゃって……三浦さん、に見てもらえないかなと」
 首から提げてあった社員証の名前をさりげなく確認して名前を呼ぶと、その人はほんの少し面食らったような顔をして、次いで自身の社員証に目を落として顔を顰めた。かと思えば「何かやらかした奴って大体『何もしてない』って言いますよね」とぼそっと呟いた。
 い、嫌味……! 俺たち一応ほぼ初対面だよな!?
 同期扱いではあるのだが、目の前の彼は中途入社だ。これまで交流は殆どなかった。一人だけ部署が単体で完結しちゃってるし飲み会にも全然来ないし、ほぼ強制参加の忘年会や新人歓迎会は隅っこで黙ってる。こんな間近で話したのも初めてだ。社員証を確認しないと名前に自信が持てない程度には、関わりが薄かった。そのせいで微妙な敬語になってしまう。
 俺のせいで面倒をかけてしまってるのは事実なので何も反論できないが、正直こういう言い方をされると少し傷付く。俺、何かやらかしても笑顔で許してもらえる得なタイプだから余計に……。
「…………すみません」
 思わずしょんぼりと謝ると、三浦さんはますます嫌そうな顔をした。ぼそりとまた何か耳を掠めたが、上手く聞き取れない。聞き返すとまた嫌な顔をされそうだなと迷っていると、「……PC貸してください。早く」と今度は少し大きめに声がかかった。滑舌が悪いのかと思っていたが、どうやら殆ど口を開かずに喋るせいで声がこもっているだけのようだ。
 慌ててノートPCを差し出すと、思いの外優しい手つきでそれが持ち上げられる。ぱち、ぱち、ぱちぱちぱち、という雨だれのようなタイピング音の合間に小さく舌打ち。普通に怖い。
「――兎束さん」
 死刑宣告を待つような気分でいたら、突然名前を呼ばれて飛び上がるほど驚いてしまった。
 永遠のように感じた時間だったけれど、ノートPCのディスプレイに映る時間はまだ二分しか経っていないことを知らせてくる。も、もしかして俺が三十分近く無為な時間を過ごしていたトラブルが二分で解決したのか……?
「あのさあ、おれが先週メーリスで流したお知らせ確認してくれました?」
「えっ」
「社内ネットワーク用のセキュリティ証明書が新しくなるから追加で入れてくださいって全社宛てにメール送ったと思うんですけど。社内掲示板にもお知らせ上げましたよ」
 言われて記憶の蓋が開いた。そうだ、そういえばそんなの見た!
 冷や汗が出てくる。これは完全に言い訳になってしまうのだが、確かあの日はメールと掲示板のお知らせを確認した直後に急なヘルプに呼ばれてそのまま昼飯も食えずに残業コースだったのだ。せめて未読で置いておけば絶対気付いたのに、メールも掲示板も既読していたせいでそのまま放置してしまった。
 完全に俺のミス。週末を挟んだせいで、俺が質問した何人かも記憶に引っかからなかったのだろう。というか、証明書を入れていないとインターネットに繋がらないなんて初めて知った。
「……も、申し訳ないです……確認不足で」
 心の底から謝る。上司に怒られるより怖い、と思いながら。
 はあ、とため息が聞こえた。ちらりと確認すると、呆れたような目がこちらを見ていた。
「……『何もしてない』はマジでしたね。スミマセン。でもやれっつったことはやってくださいね」
「は、はい……」
「まあおれもお知らせ流したの急だったんで……そんなちっちゃくならなくていいですよ。次からリマインド挟みます」
 まだ何かありますかとぼそぼそ呟く三浦さんは、さっさと帰れと言いたげな顔だった。これ以上この人の機嫌を悪くさせるのが嫌で、俺は慌ててノートPCを受け取り再度頭を下げてその場を後にする。
 微かに熱を持っているノートPCを小脇に抱え、自分の島へと戻る途中で唐突に気付いた。
『――兎束さん』
 なんでもない風に名前を呼ばれた。
 けれど、俺の社員証は今ポケットの中だ。
 つまりあの人は――三浦さんは、俺の名前をちゃんと覚えてくれていたということである。

prev / back / next


- ナノ -