羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「冬眞くん。もしよかったら今週末、おれの大学の文化祭に来ないか?」
 そんなことを言われたのは、秋も深まり朝の肌寒さを実感するようになった時期のことだ。春継はどうやら、オレを学校行事に誘ってくれているらしい。文化祭、響きが懐かしすぎる……。
「オレ、行っていいの?」
「来てほしいから誘っているんじゃないか。家族はどうせ来ないしね。せっかく誘うなら冬眞くんがいいなと思ったのさ。それに、学生として文化祭に参加できるのは今年で最後だし」
 家族は来ないのか、そっか。ほっとしたようなオレまでちょっと寂しいような不思議な気分だ。オレの微妙な態度から春継は色々と察してくれたらしく眉を下げて笑う。
「誤解を恐れずに言わせてもらうと、べつに寂しくはないんだよ。元々そんな、家族で一緒に出かけたりするたちでもないしね」
「……そうなの?」
「うん。おれは特に単独行動が好きだったんだ。絵を描いてばかりいた。今更寂しいとかはないけれど、あなたがもし来てくれたら嬉しいだろうなと思うよ」
 行きたい、と言うと、春継はぱっと表情を明るくした。オレがアンタの文化祭見に行くのがそんなに嬉しいの? にこにこするくらい?
 そんな反応されたら、オレだってめちゃくちゃ嬉しいよ。
「後で最寄り駅を送っておくね。駅に着いてからは人の流れに任せて歩くといい。それなりに規模が大きいんだ」
「あ、ありがと……楽しみ」
 おれもだよ、とそいつはまた笑った。ああもう、なんか、ふわふわする。


『お兄ちゃん! 今週の金曜日そっち泊まりに行ってもいい?』
 突然妹から電話がかかってきたかと思えば、そいつは宿を御所望だったらしい。声すら数年ぶりに聞いたから何事かと思った。よかった、誰かが病気とかじゃなくて。
 なんでも、インディーズバンドのライブがこっちでしかやってなくてうんたらかんたら……とのことだ。交通費が高くて宿泊費にまで予算が回せなかったんだろうな。っつーか事後承諾でチケットを取るなよ。オレが断ってたらどうするつもりだったんだ。
「オレの部屋そんな広くないんだけど?」
『だいじょーぶ! 気にしないから! っていうかさ、たまにはこっち帰っておいでよ。お父さんもお母さんも待ってるよ』
「……待ってるって言ってた?」
『言ってた言ってた。あたしは待ってらんないからそっち行くね! お兄ちゃん、暇なら駅まで迎えに来てよ』
「ド平日になんで迎えに行けると思うんだよ」
『夜に着く新幹線だから。ね、夕飯一緒に食べよう。定時上がりの口実になったげる』
 オレが家を出たときまだ中学生だった妹は、すっかり酒も飲める歳だ。まったく、いっぱしの口をきくようになったものである。離れていた期間が長いのにあまり違和感なく喋れているのは、やっぱり家族だから……だろうか。まあ、オレが一人で勝手に気まずいだけなんだけどさ。
「夕飯食うのはいいけど、あんまり羽目外すなよ」
『えっなに、お兄ちゃんがお兄ちゃんみたいなこと言ってる! 心配しなくてもお酒は飲まないよ。一度大失敗して懲りました』
 そんなところは兄妹で似る必要はない! っつーか酒で失敗したときのデメリット、絶対男より女のほうがデカいだろ……。マジで気を付けろよ。
 嫌なところに血を感じてしまってげんなりしつつ、まあ今回はオレが見張ってればいいか、とどうにか持ち直す。新幹線の時間を聞いて、駅まで迎えに行ってやることを約束して電話を切った。
 土曜日は春継のとこの文化祭に行く予定が既に入っているが、妹もきっとその日はライブやら何やらで一日外に出るだろう。念のため、春継には妹が来るというのを伝えておくことにした。あいつはオレの家の合鍵を持っているので、万が一うっかり鉢合わせでもしたら何の言い訳もできない。いや、ほんと、縁もゆかりもないはずの男に自宅の合鍵持たせとく健全な理由、何一つ思いつかねえよ。
 メッセージの既読が思いの外早くついたと思ったらすぐさま電話がかかってきて、ん? と首を傾げる。春継は、現代っ子にしては珍しく音声でのやりとりを好むタイプなのだが、連絡手段としてそれを使うのは話が長くなりそうだと春継が判断したときだ。何か問題があっただろうか?
「もしもし? どうした?」
『冬眞くん、こんばんは。いやあ、もしかしたら誘ったタイミングが悪かったかなと思ってね。おれが先約だからといって優先する必要はないよ』
「あっそういう話!? 別にいいって。まあ確かに数年ぶりだけど……」
『積もる話もあるのではないかな? あなたがご家族と触れ合うチャンスを潰してしまうのは本意ではないんだ』
 ああ、気遣われてるな、と思う。そうなんだよ、こういうときこいつ、気遣ってくれる奴なんだよ……。よく気が回る。美点だけどちょっと寂しい。
「……オレ、文化祭誘ってもらえて嬉しかったんだけど? っつーか、アンタはオレに来てほしかったんじゃないの……」
『ん、ん。もちろん来てほしいよ。でも、ご家族と過ごしてほしいというのも嘘ではないんだ。仲、悪いわけではないんだろう』
 ――あ、そっか。こいつのところは家庭事情が割と複雑なんだった。もしかするとそれもあって、オレの家族仲を気にしてくれているのかも。
 なんとも言えない気持ちになる。春継はいつも堂々としてて明るくてきらきらして見えるけど、けっしてそれだけではないのだ。オレくらいはそのことに寄り添っていたいと思う。
「……じゃ、じゃあこうしよ。文化祭、妹も誘ってみるから。断られたら一人で行くし、オッケーされたら妹と一緒に遊びに行く。アンタのとこに行くっていう予定は絶対変えないからな」
 本音を言うと春継と二人で会いたい気持ちはあった。でも、あいつは学生なんだし自分の学校で文化祭という話ならきっと仕事の割り振りとかもあるはずなのだ。春継はそういうとこ気を回してくれるだろうけど、配慮されてばっかりは申し訳ない。妹がいれば、あいつもオレをそこまで気遣わずに済むんじゃないだろうか。
 まあ、たぶん妹に普通に断られて終わるけど。寧ろ九割方それが狙いだ。せっかく会いたいって言ってもらえたのにポシャらせてたまるか。
 そんなオレのセコい作戦は、気付かれなかったのかそれとも見抜かれた上で見逃されたのか、『そこまであなたが決めているなら、おれからはこれ以上何も言わないよ』という笑い混じりの声で受け入れられた。……も、もしかして呆れられてる? そんなことない?
『突然電話してしまってごめんね。おやすみなさい冬眞くん。よい夢を』
「ん、おやすみ……」
 どきどきしながら電話を切る。プツリ、と通話の切れた後の室内はとても静かだ。
 ……そういえば、妹襲来のお陰でこうして春継の声を聴く機会が増えたんだよな。週末までにあいつの好きそうなお菓子とか買っとくか。

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