羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「しばらくおまえとは会えない」
 遼夜にそんなことを言われて、俺はコントのようにシャーペンを畳へと落としてしまった。「な――なんで? 俺何かしたか?」慌てて詰め寄っても遼夜は申し訳なさそうに首を振るばかりで理由も言ってくれない。
 んなこと言ったって仕事もあるのにと言うと仕事なら構わないらしい。要するに、プライベートでは会えないってこと。もっと赤裸々な表現をするなら――セックスしたくないってことだ。
「すまない……どうしても、今は無理なんだ」
 珍しく頑なな遼夜に俺はそれ以上何も言えず、というか自分の発言内容すらろくに覚えておらず、ふらふらと津軽家をあとにした。

 ――それが今日の夕方のことだ。
「正直心当たりがありすぎて分かんねえんだよ……どうしよう、何がアウトだったんだと思う?」
「知らねえよそんなの……」
 仕事を速攻で終わらせて帰路についた俺はそのまま高槻の店へと直行した。他に客がいませんように、と経営者にぶっ飛ばされそうな祈りを捧げつつ店に駆け込むと高槻はちょうど店内の掃除をしているところで、もしかして早仕舞いするつもりだったんじゃないかと少しだけ罪悪感が湧く。しかもこういうときに限ってこいつは俺の表情から何事かを察したのか特に文句も言わず酒と料理を用意してくれた。
 そんなわけで、カウンターに立つそいつにあまりにもマジトーンで相談してしまっているのが現状である。心当たりは無いのかと言われるとそんなもん気にし始めたら山ほどあるとしか返せない。でも今までずっとそうだっただろ……急にどうしたんだ、遼夜。
「いや、急にっつーか今までのが積もりに積もって耐えられなくなっただけじゃねえの……?」
「は? 俺はあいつにそこまでの我慢を強いてたのか?」
「なんで俺に聞くんだよ。あいつに直接聞けよ」
「いやもうセックス拒否られたのがショックすぎて聞くどころじゃなかった。神は死んだと思った」
 遼夜は元々恥ずかしがりなので、そういう性行為絡みのことであんまりからかいすぎるとたまーに拗ねたりはするけど。でも、そこで「ごめん、あんま拗ねんなよ」って謝ってめちゃくちゃ甘やかすのが様式美っつーか、なんかさあ。そんな感じのがあるんだよ。あるの!
 いやそれにしても、相談してる立場でこんなことを言うのもなんだが他人の惚気混じりの恋愛相談にちゃんと相槌を打ってくれるこいつの心は割と広いと思う。
 高槻は昔から、クラス全体での集まりとかには滅多に来ないけど直接頼めば断らないみたいなとこがあったからな。学校の同窓会は欠席しても個人的に飲もうって言えば来てくれるタイプだ。
「……はー。ん? お前何してんの」
「あ? いい加減お前がうぜえから八代に連絡してる。あいつ経由で聞き出してもらえばよくねえ?」
「うわっ有難え……けど遠回りすぎる……」
「たぶん俺が聞くより八代に聞いてもらった方が早いと思うぞ。あいつこういうのあんま遠慮しねえから『え、めんどいからさくっと話してみてくんない?』とか言う」
「あー、俺らの中で一番遼夜に対応キツくできるの八代だもんな……」
 俺はやっぱ惚れた弱味っつーのがあるし、高槻もなんだかんだ遼夜に甘い。八代は基本的に高槻以外には割とシビアだ。そんなわけで高槻に感謝しつつ、他に客も来ないようなので一緒に夕飯を食べていると三十分ほどで携帯が震える。
 八代だ。こいつ、あまりにも仕事が早いよな……。そんなことを思いながら電話に出ると、開口一番呆れたような声が聞こえた。
『あのさ、まっじでどうでもいい理由だったからお前が直接聞きに行けばいいと思うよ』
「ど、どうでもいいとか言うんじゃねえよ……え、マジで怒られない? 俺気付かないうちに何かやらかしたとか?」
『全然。お前のせいじゃないしお前関係無い話だったし。寧ろお前が怒らないでやってねみたいな感じだったけど』
 一体なんなんだ、遼夜。ありがとうとお礼を言うと、八代は明るく『いいって別に』と返してくれる。かと思えば『高槻は毎日朝早いんだからあんまりくだ巻いて困らせるなよ』と釘を刺されてしまった。ごめんって……。
 夕飯はきっちり食べきって、改めてお礼を言って店を出た。ちゃんと時間を作って話をしよう、と。

 そんなこんなで次の休日だ。俺は、遼夜にせめて理由だけでも教えてくれと頼み込んで一人暮らしの自宅にそいつを連れ込んだ。恥ずかしいからほんとうに勘弁してほしい、と抵抗していた遼夜も、八代から連絡があったことである程度覚悟はしていたらしくたっぷりの沈黙の後にそっと口を開く。
「…………、……太った、から」
「……は?」
「太ってしまったので裸を見られたくなかったんです……」
「…………はああ!?」
 女子か!! と言いたいのをすんでのところでこらえる。冷静になれよ俺。遼夜は遼夜で、「うう……恥だこんなこと……」と自分の発言の内容にショックを受けている様子だった。
 俺はまじまじとそいつを見つめる。……別にどこも変わってなくねえ?
「マジで太ったのか? 俺には違いが分かんねえんだけど」
「太ったんだよ……びっくりした、部活をやめてから二キロ近く体重が落ちてた。最近仕事が立て込んでいたせいで色々とさぼっていたつけがきたんだ、ばか正直に」
「……ん? 落ちた? 増えたんじゃなくて?」
「要するに筋肉量が減った……自分でもよく分からないくらいショックだった……」
 ごめん遼夜、流石にマジでどうでもいい……。
 思わず脱力でがっくりきてしまう。要するに、弛んだ――いや全然弛んでなんかいないけど――体を見られるのが嫌だったってことか。
「……ひと月くらいあれば元に戻ると思ったからそれまで待ってもらおうかと思ったのだけれど、説明も無しというのは誠実ではなかったね。すまない」
「いや、こうしてちゃんと聞けたから別にいいけど……っつーかやっぱ引退してもそういうの気になるもんなのか」
「だって筋肉が減るのすごく怖くないか?」
「人生で一度も気にしたことねえ……」
「ええ……まあおまえは気にすることはないよ、そのままで十分魅力的だから」
 にっこりと笑顔で言われて思わず誤魔化されそうになったが、俺は慌てて遼夜の肩を掴む。……目を逸らされた。
「……俺が何言いたいか分かるよな?」
「わ、分からないです」
「ほんとに?」
「…………ううう」
 察しのいいこいつはちゃんと気付いているようだ。なあ遼夜、俺、今ほんのちょっとだけ、ちょーっとだけ怒ってるからな?
 俺がお前に「しばらく会えない」って言われたときどれほど深い絶望を感じたか……こんなこと二度と繰り返す気が起きないように、ちょっぴり仕返ししてもいいんじゃないだろうか。いいと思う。っつーか嫌われてないことに安心したからヤっていい? いいと思う。
「遼夜、どうせなら二人でできるスポーツしようぜ」
「……おまえ、言葉のチョイスが時折漫画に影響されすぎていると思うよ」
「男の夢だって。……なあ、駄目か?」
 上目遣いでお願いしてみると、「男の夢とか言いながらかわいさをごり押しするんだよなあおまえは」と呻いていたので笑ってしまった。駄目だ、全然怒りが持続しねえ。ちょろくて可愛いなこいつ。
「可愛い顔の俺は嫌いか?」
「すきだよ……」
「セックスする?」
「うん……」
「よっし。ヤろうぜ」
 実はお前もこうなることくらい想像ついてただろ、とつついてみると真っ赤な顔で頷かれたから、要するに据え膳食わぬはなんとやら。
 まあ、あれだ。体重が多少増減したくらいじゃ俺の愛情は変わらないってやつだよ。分かるだろ?

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