羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「響」
「わっ。真砂? どした? っつーか演奏めちゃくちゃすごかったし! おれ泣きそうになっちゃった」
 嘘。泣きそうじゃなくてほんとはちょっと泣いた。恥ずかしいから黙っておこう。
 真砂はほんの少しだけ目元が赤かった。気分が高揚しているのかもしれない。そいつはおれにしか聞こえないくらいの声で、「今まででいちばん狭い会場だったけど、いちばん何かが変わったと思う」とため息を空気に溶かすように言った。危うくまた泣きそうになってしまった。それを言いに真っ先におれのところに来てくれたの、ほんとに嬉しいよ。ありがとう。
「お前のおかげで、このクラスの雰囲気もいい風に変わったと思うよ」
「ん……? じゃあ、お前のおかげでもあるんじゃねえの」
「え、なんで?」
「だって、オレを最初に見つけてくれたのはお前だから」
 ――こんなに嬉しいことばかり貰ってしまっていいのだろうか。こいつから貰うものは全て、宝石みたいにきらきら輝いて見えるのだ。音のひとつひとつ、短い言葉でさえ。
 おれが感極まっていると、担任がへたくそなスキップのような何かをしながらこちらに向かってくるのが見えた。「とっても素敵な演奏でしたねえ! やっぱり小さい頃からやっているんですか?」真砂は頷いた。かと思えば「すみません」となぜか謝る。
「先生に何か謝ることでも?」
「いや……あの、伴奏者足りてないの分かってたのに、去年も一昨年も黙ってたんで……」
「真面目ですねえ。きみの技術は第一にきみのためのものなんですから、好きなように使っていいんですよ」
 担任はあっさりとそんな風に言った。「一から十まで説明してもらわないと事情が理解できないなんてことはないですよ。先生は大人なので」先生も高校生の頃は言いたくないことなんてたくさんありましたからね、今もですけどね、と雑な感じに笑った担任は、「こちらこそ、先生の都合で進路相談の日程ずらしてしまって申し訳ないことをしました」と頭を下げた。
「…………先生ってほんとに大人なんですね」
「ふっふっふ、だてにきみたちより十年長生きしてませんよ」
 おれのかなり失礼な発言も華麗に流して、そのままパンパンと手を叩く。
「さてみなさん、伴奏は神原くんにお願いしようと思いますが問題ないですか?」
 ないでーす、とよいお返事が次々にあがる。おれまで誇らしい。鼻高々な気分でいると、真砂が控えめに声を出した。
「先生」
「はい、なんですか? 神原くん」
「指揮者を推薦したい……ん、すけど」
 おお、真砂が自分からクラスの奴とかかわろうとしている……! ほんと、どんどん変わっていくなあ。ちょっと寂しい気もするけどそれ以上に嬉しい。
 おれはこのとき完全に親鳥の気分で、だから真砂が「指揮者は志波にやってほしいです、オレ」と言ったとき、自分の名前を呼ばれたことに一瞬反応できなかった。
 思わず間抜けな声が自分の口から漏れる。だってこういうのはもっと、真面目でやる気のある子とかが――いや、これも一種の偏見なのか? にしてもなんでおれ?
 担任の「推薦理由をみんなに教えてください」という言葉に、真砂は今日一番堂々とした表情で答える。
「志波にはクラス全体のことがよく見えてる、し――オレが、こいつの指揮で弾きたいと思うから。です」
 そ、…………れは、さあー……ちょっと、あの、すごく、爆弾発言なんじゃない?
 それ聞いて引き受ける以外の選択肢ある!?
 前半も嬉しいけど、後半があまりにもどストレートにきた。こんなに重たい球を貰ったのはひょっとすると初めてかもしれないくらいに。
 有難いことに、クラスのみんなも「確かに響だったら」「そうだね」「楽しくやれそうだよね」と好意的な表情を見せてくれる。お願いしてもいいですか? という担任の言葉にふわふわした気分で頷いて、おれは唐突にあることに思い至った。
「あっ、髪黒くした方がいいですか!?」
 一瞬の沈黙の後、これ以上無いってくらいみんなに爆笑されてしまった。そんな変なこと言ったかなあ!?
「お前っ真面目か! おまけに今更すぎ!」
「だって注目をさぁー……! 集めるでしょ!? 審査に影響しそうじゃない?」
「んなこと言ったら神原も頭ハデじゃん。カラフル二人で目立っていいんじゃね」
「審査員の印象に残って特別賞狙おうぜ」
 おれの周りがカラフルばっかりだからいまいちおれの危機感が伝わってない……! けどまあ確かに真砂も派手だし、なんならおれより目立つよな。だったらいいかな?
 真砂はというと話の流れで再び前とは別のクラスメイトから「なんで頭の色金とか黒とか銀とか色々変わってたの?」と質問責めされている。そして「え……なんか……気付いたらそうなってて……」とそんなわけない天然発言をかましてこっちも笑われていた。
 ああ、なんだろ。楽しいな。
 こいつを音楽室で見つけてから、楽しいことばかりだ。
「――さて、指揮も伴奏も決まったことですし、みなさんそろそろ戻りましょう。勝手に特別教室を使っていたことがばれたら先生が怒られてしまいます」
「えっやっぱり無許可はだめだったんじゃないですか!」
「生活指導の先生怖いですよねえ。廊下は静かに歩きましょうね」
 クラス全員が夜逃げみたいに音楽室の外へと脱出していく中、おれと真砂はそれを一番後ろから見ていた。音の響く廊下でこっそりと、二人だけの話をする。
「――あの……おれが指揮でほんとによかったの?」
「ん? 嫌だったら推薦なんてしねえだろ」
「だってほら、おれ音楽全然詳しくないよ」
「まあ確かに知らないより知ってた方がいいっつーか指揮者って大体ピアノも弾けるけど。このクラス経験者いねえし、だったら指揮者はクラスの中心になれる奴がいい」
「中心?」
「クラス全員がお前を見る。見られるに値する奴じゃないと駄目だ。それぞれのパートに気を配れる奴だともっといい。……別に友達だから推したわけじゃない。お前がいいと思ったから推した」
 大体こういうのピアノに引っ張られがちだから、ピアノに負けない奴がいい。
 真砂はそんな風に、おれがいいと思った理由を丁寧に教えてくれた。ひとつひとつ、ゆっくりと。
「お前、リズム感かなりいいだろ」
「ど、どこでそんなジャッジが……?」
「前に一緒にピアノ弾いたとき。普通はもっとテンポがズレるもんなんだけど、お前割と長い時間安定して弾いてたし」
 前に、って……『きらきら星』? あのほんの数分のことを覚えててくれたのか? 真砂にとっては何千回何万回演奏してきた中のたった一回のことなのに。おれにとっては最初で最後かもしれない鮮烈な記憶だけど、お前にとってもあの時間がちゃんと思い出になってたってこと?
 というか、おれがちゃんと弾けたように聞こえたのは真砂が隣にいてフォローしてくれてたからだと思うんだけど! でも褒められるの嬉しいから素直に受け取ろう。
 感極まって何も言えないでいるおれに、真砂は目を細めて笑った。
「なにお前、照れてんの」
 黙っていると、今度は「顔真っ赤」と言ってまた笑う。うう、さてはいじわるモードだな。
 やられっぱなしはなんだかくやしい。このままではいられない、と思ったおれは、精一杯かわいこぶった仕草で「上手にできたらたくさん褒めてね」と場の空気を茶化しておく。
 真砂は柔らかい表情を崩さないまま、「えらいえらい」とおれの頭をぽんぽんと軽く叩いた。うわー、やっぱり手がおっきい。
「褒めるのがはやいー……」
「嫌?」
「いやではない」
 いやではないどころか。うーん。嫌ではないどころか……!
 上手く言語化できずにじたばたしてしまう。「お前、動きがうるせえ」笑い混じりの低めの声が耳にやけに残って、今すぐ叫びだしたい気分だった。

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