羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 その公園は俺のお気に入りの場所だった。職場から十五分くらい歩いたところにあって、時間の流れが他よりもゆっくりしているように感じる、そんな場所。いつだったかマリちゃんに連れてきてもらってから、出勤前に時間に余裕のあるときはたまに立ち寄るようになったのだ。
 この近くを歩くときはいつも、もしかしてもしかすると偶然マリちゃんに会えたりもするかも、って思ってた。そんな小さな偶然に期待するのは不思議と楽しくて、どきどきした。
 そして今日、ついにマリちゃんを見かけたわけなんだけど。
 マリちゃんは一人じゃなかった。隣に女の子がいた。遠目だから細かいところまではちょっと見えないけど、綺麗な子だと思う。おそらく脱色しているのであろう髪が腰まであってきらきらしていた。親しそうに喋っているのが分かって、俺は思わず見つからないように木の陰に移動してしまう。そのまま、二人が公園の前を通り過ぎるのをこっそり待った。
 どうしよう、盗み見みたいになっちゃったな。
 誤解されたくはないんだけど、別に浮気を疑っているとかではないのだ。あの子がそういうことをしないのは分かる。それくらいにはあの子のことを見てきたつもり。
 だからこれは俺がただ、マリちゃんにも親しく喋る同年代の異性がいるっていう当たり前のことを再認識して少し不安になっただけ。なんてったってマリちゃんは優しいので、たくさんの人に好かれると思う。マリちゃんのことを狙っている女の子だっている……はず。
 あの子はクラスメイトかな。うちの学校ならああいう派手な頭した女子もそれなりにいるだろう。気になるけど詮索みたいなことはしたくないし面倒な奴だと思われるのも嫌だ。なかなか折り合いをつけるのは難しい。
 それにしても、マリちゃんの周りって意外に脱色頭の奴が多いよね。俺もだし。
 そのことがまたあの子の分け隔てのなさというか度量の広さみたいなものを証明しているように思えて、改めていい子すぎるな……と嬉しくなった。

 マリちゃんが女の子と一緒に歩いているのを見かけて勝手に気まずくなって、勝手に「連絡しづらいな」なんて思ってしまって、しかしそういうときに限ってささやかな偶然は続くものらしい。なんとなくまた公園に向かって歩みを進めていたら、今度は後ろから声をかけられた。
「セツさん?」
 聞き間違えようのない声に振り返る。そこにいたのはやっぱりマリちゃんで、しかしそれだけではない。マリちゃんの隣には、前に見かけたのと同じ女の子が立っていた。近くで見るとやっぱり、目鼻立ちがかなり整っていることが分かる。声を出せないでいる俺に、その女の子は慣れた感じで目を細めて微笑んだ。
「え、っと、こんにちは」
「こんにちは。偶然ですね。お散歩ですか?」
 あまりにも平常通りの態度だったから安心する。当たり前だけど、マリちゃんにとってこの場面は別にやましいものでもなんでもなかったようだ。
「うん。えっと……万里くん、は」
 他の人がいる前で「マリちゃん」と呼ぶのは気が引けたからきちんと下の名前を呼んだ。するとマリちゃんは一瞬不思議そうに目をぱちぱちとさせて、そこでようやく隣に人がいることを思い出したとでも言いたげに一瞬、女の子へと視線を向ける。
「あ、すみません。紹介しますね、こちら――」
 綺麗なグレーの髪を持つ女の子はそんなマリちゃんの言葉を引き継いで、俺に向かって深々とお辞儀をした。頭を下げた拍子に髪の毛が一筋、さらりと彼女の頬を流れた。
「初めまして。お初にお目にかかります、わたくし津軽美影と申します。万里の姉です」
 万里と親しくしてくださってありがとうございます、と、その女の子――マリちゃんのお姉さんは、楽しそうな表情で歌うように言った。
 姉。……お姉さんだったの!? うわ、全然似てないから分からなかった! そういえばお姉さんがいるってちらっと言ってたっけ……。
 慌ててこちらも自己紹介をする。どうやら彼女は俺の顔を知っていたようで、「やっとご挨拶ができて嬉しいです」ところころ笑っていた。悪感情は持たれていないらしくて安心する。自分で言うのもなんだけど俺はそれなりにガラが悪く見えるから、身内に変なちょっかいかけるんじゃねーよみたいな反応も覚悟してたんだけど。そこはまあ、マリちゃんのご家族なだけあってかなり器が大きいようだ。
 おかしな言動しないように気をつけよう……と緊張しつつ会話を続ける。お姉さんは今年で成人だったとのことで、俺の仕事について軽く話すと興味深そうに聞いてくれた。お酒には強い方です、との自己申告にちょっと嬉しくなる。だって、お姉さんがそうだってことはマリちゃんもお酒そこそこ強いかも。アルコールは受け付けない人って本当に一切ダメだから、その可能性が減るのは嬉しい。
「もし機会があれば、由良さんの作られたカクテルを飲んでみたいですね」
「ほんと? ありがとう。俺のでよければぜひ」
 お姉さんはまたにっこりと笑って、マリちゃんに声をかける。「万里。せっかくお会いできたのだから、わたし抜きで少し喋っておいでよ」マリちゃんはぱっと顔を上げて、どうしてか恥ずかしそうな表情をした。
「女性の一人歩きは危ないよ」
「日も沈まないうちから心配性だね、おまえは。大丈夫、何かあったら走って逃げるよ」
「万に一つでも何かあるのは困るんだけどな……なるべく人通りの多い道を選んで帰ってくださいね」
「ふふ、分かっているさ。おまえもお夕飯に間に合うように帰っておいで」
 再度深々とお辞儀をして、お姉さんは俺たちから離れていった。遠くなる後姿は長い髪が夕日をきらきら反射していて、なんだか夢の中みたいな景色だな、と思った。
「セツさん。あの、なんだかお時間取らせてしまってすみません。お仕事間に合いますか?」
「余裕で間に合うから大丈夫。こっちこそごめんね、せっかく一緒に帰ってたのに」
 ふるふると首を振るマリちゃんに、「お姉さんと仲良しなんだね」と言ってみる。「習い事のある日は一緒に帰ることが多いんです」という返事がきた。なるほど、稽古の時間が被っているらしい。
「おれたち、あまり似ていないでしょう。もしかして驚かせてしまいましたか?」
 驚いたというかちょっと妬きました……とは言えない。姉弟だってこと知らずにやきもちとか間抜けすぎる。なので気恥ずかしさを誤魔化すように、「優しそうなところが似てるなって思ったよ」と言った。
 マリちゃんは笑った。なんだか、とっても意味深な笑顔だった。

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