羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 つやつやの生卵を丼に移して黄身を破る。とろりと流れたそれを肉にまぶして米と一緒に食べるとかなり幸せな味がした。動物性たんぱく質が体に染みわたっていく。まもなく冷えたグラスにビールが注がれて、一気に呷ると最高の休日前夜という感じだった。
「なんかさ」
「ん?」
「お前の店に人が集まる理由、分かるわ」
「なんだよ急に」
「急にっつーか……んー、俺はあんま来られねえけど遼夜とかは割と来るだろ、ここ。八代は言わずもがなだし……万里とか、その友達とか? あの辺りも来る」
 身内票ってわけじゃなくて。なんだろうな、『自分の知り合いに紹介したくなる店』ってやつなんだと思う。たぶん。だからこの店に来る奴らは各々知り合い同士だったりすることが多い。それだけ居心地がいいってことだし、味が信頼されてるってことだ。
 そりゃそうだよな、自分の大切な友人に紹介するなら自分の知る限り居心地のいい店がいい。いい店だと思ってなきゃ紹介なんてしない。
 自分なりに言葉を選んで説明してみると、高槻は「マジで急。ありがとう」と言ってまた笑った。ふむ。……こんなに笑う奴だっただろうか。今日は機嫌がいいのかもしれない。もしくは俺の知らない間に好感度ゲージが上がったとか。フラグを立てた覚えは一切ないので何も分からない。
 いや、そうだ。そういえばこいつは料理や食事に関する褒め言葉なら比較的素直に喜ぶタイプだった。その延長線だろう。
 そのまま高槻を相手にとりとめのない話を続け、丼に入った白米を最後の一粒まで綺麗に胃に収めて、俺は「ごちそうさま。美味かった」と箸を置いた。「お粗末様」とすかさず食器が下げられる。いつもだったら下げられた食器の代わりに伝票がくるのだが今日はそれが無い。不思議に思っていると、高槻は俺の視線の動きだけで疑問を読み取ったのか「今日は奢り」と言った。
「は? なんでだよ。メニューに無いもん頼んじまったから?」
 そこまでされると有難いを通り越して困ってしまう。なんならちょっと多めに見積もって払ってもいいくらいだ。
 財布から金を取り出す寸前までいった俺に、何故だか高槻は呆れたような顔をする。
「いや、メニューに無いのは今更……まあそれも少しはあるけど。お前先週誕生日だっただろ。だからと思って……」
 当たり前みたいな顔で言われてびっくりしてしまった。誕生日? マジか?
「マジか……」
「な、なんだよ……悪かったなちゃんとしたもの出せなくて。せめて二時間前に言っておいてくれればもうちょいどうにかなったぞ」
「いや十分すぎるわ。これ以上自分でハードル上げるのをやめろ」
 こいつ、遼夜のプランに乗っかってとかじゃなくて個人的にでも俺を祝う意思があったんだな……。確かに、ちょっと話しただけの趣味嗜好を細かく記憶してるタイプではあるけど。
「遼夜に何か吹き込まれたか?」
 そいつは不服そうな顔をした。「別に…………ともだちの誕生日、くらい、祝うのふつうだろ……」ごにょごにょと、最後には視線すら合わなくなってしまったそいつ。
 いや、お前、お前さ。
 十何年越しに今更こういうの痒すぎるだろ? 俺までなんか恥ずかしいじゃねえか。ありがとう。
 まあ、そんな言いにくそうにしなくてもちゃんと友達だよ。んなこととっくに分かってると思ってたけど。んん、でもそれなら、「遼夜に何か吹き込まれたか?」って言っちまったのは失礼だったな。非常によくない。
「じゃあ今日は有難く奢られとくわ。ありがとな」
 高槻は、ほっとしたような顔をした。……みたいに見えた。錯覚かもしれない。こんなに表情豊かなこいつは、俺にとっては珍しいから。
 いつもとちょっと違う行動をしたことによってルート分岐した世界を見せられているかのようだ。ほんの気まぐれで立ち寄ったのに、なんだかかなりいいものを見てしまった。
 俺は鞄を手に立ち上がる。これ以上いるとこいつのこの後の仕事を邪魔してしまうからだ。ドアベルの音は来たときよりも軽やかに聞こえて、なんだか気分がいい。
 階段の下まで降りて、ふと上を見上げると入り口の辺りにいた高槻と目が合った。まだいたのかよ。というかお見送り付きとかマジで至れり尽くせりだなこの店。
「高槻」
「…………何」
「また来る」
「……ん」
 こくり、と頷いたのを遠目で確認して店に背を向けた。満腹だ。色々と。たぶんあいつは今日のことを八代たちには言わないだろうから、俺も黙っておいてやろう。
 足取りも軽く夜道を歩く。こんな夜も悪くない。
 ……にしても。あいつの好意ってそうと分かるとかなりびしばし来るな。これを常日頃から受けてる八代、あと遼夜も、マジですげえわ。

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