羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「高槻、あのね」
「なんだよ」
「例えばオレが、冷蔵庫の中見て『ロクなもん無い』って言うとするじゃん。そういうときってマジで何も無いときなのね。コンビニで貰ったちっちゃなとんかつソースの袋とかしか無いの」
「お前それどうやって生きてんだよ……っつーかちゃんと買ったとんかつソースですらねえのな」
「だってスーパーとかにあるボトルのソースなんて賞味期限内に使いきれないし。……っじゃなくて! 今言いたいのはそういうことじゃなくて……」
 オレはまた一口パスタを食べる。おいしい。とってもおいしい。
「こんなにちゃんとおいしいご飯が作れる日に、ロクなもん無いとか適当とか言って謝る必要は無いってこと……が、言いたい」
 高槻はちょっとびっくりしたみたいな表情でオレのことを見ていた。そんな驚くことないじゃん。オレはきっと当たり前のことしか言ってない。
「この料理は全然適当なんかじゃないじゃん。寧ろ冷蔵庫の余り物だけでこんなにおいしいパスタ作れるのすごくない? 天才じゃない? オレだったらパスタ茹でて塩振っただけのものを出す自信がある」
「その自信は即刻捨てとけ。……でもまあ塩振ろうとしただけでもよしとするか……」
「ほーらそうやって人にはジャッジ甘い! なんで!?」
「なんでって、俺はこれで金貰ってるし生活してるんだぞ。逆になんでお前と同レベルに甘やかされなきゃなんねえんだよ。自分の作るものに関して一応プライドはあるし、ただ食えるだけのものしか出さないんじゃ料理人としての価値がねえだろ」
「む。そう言われると確かに一理ある……?」
「人よりも得意な自覚があるから、『この程度で十分だと思ってる』って思われるのはちょっと嫌だ」
「ん、んん、んんんー……?」
「お前、試験で『まあ六十点で合格させてやる』って言われたらどうすんだよ」
「ムカつくから百点とる」
「そんな感じ」
 ちょっとニュアンス違うんじゃない!?
 いやしかしなるほど、高槻にとって料理は「ただ食べられるものを作るだけ」じゃお話にならないのだ。美味しいものを作るというのは大前提というか最低条件で、栄養バランスも盛り付けたときの魅せ方も考えてようやく及第点。今日の料理は、最低条件は満たしてはいても高槻の中の及第点には届かなかったのだろう。きっとこいつの中でインスタントのお茶漬けなんて選択肢にすら入らない。思いつきもしないのだ。これまでの人生で一度も使ったことがないのだろうから。
 高槻は、オレに向けて柔らかい笑顔を浮かべた。はにかむように。
「心配して言ってくれたのはちゃんと分かってるし、嬉しい。ありがとう」
「そ――そう! それ! 例えば疲れたときまでそんな『ちゃんと』しなきゃって思ってるなら、そうじゃないよってこと……」
「心配しなくても、一人のときだともっと雑だし。人に食べてもらうならせめてここまでしたいっつーだけ」
「……一番雑なときってどんなもの食べてるの?」
「んー……白米の上にたらこ載せて、バター載せて、醤油かけて食べる」
「おいしそう!」
「あと、コンビニのメロンパンが割とすき」
「なるほど」
「どんどんサイズが小さくなってる気がするんだよな……値上げしていいからサイズ据え置きにしてほしい」
「うーん、ステルス値上げ嫌だよね。分かる」
「自分で食べる分には別に、手作りもコンビニもそこまでこだわりねえよ。どうしても自分で作った方が美味いとは思うけど」
 本当に疲れたときはフライパンも包丁も使わない、と笑う高槻。鮭フレークをごはんに載せて食べたりもするらしい。流石に、疲れているときに鮭を焼いてほぐすところからはやらないみたいだ。ちょっと安心。
「まあ、色々言ったけど要するにだな」
「要するに?」
「お前には、俺の作る『一番いいもの』を食べてほしいってこと」
「……オレって愛されてる……」
「今更すぎるな」
「仰る通りで」
 そこからは、パスタを食べるのに集中した。クリームソースかと思っていたらマスタードクリームソースだったみたいで、言われてみれば確かにマスタードの粒が所々に見える。食感のいいきのこに、皮が丁寧に処理されている鶏肉。改めて感動なんだけど、これが冷蔵庫の余り物でできるのか? 奇跡だ。
「――ごちそうさま。おいしかった!」
「お粗末様でした。美味かったならよかった」
 お皿を下げようと思ったらひょいっと高槻が流しに持っていってそのまま洗い始めてくれたので、高槻の周りをうろちょろしつつ「ありがとう」と言って片付けが終わるのを待つ。ソファに座ったら、高槻が珍しく自分からすり寄ってきてちょっとどきっとしてしまった。
「どしたのお前」
「ん……いや、嬉しかった……から」
 すり、と鎖骨の辺りに頬を寄せてくるそいつ。「俺のこと、考えてくれてありがとう」小さな小さなささやきだった。えーなんなの、そういうことされるときゅんきゅんしちゃうんだけど。今日は抱いていい日なの?
 そわそわしつつ高槻の唇をなぞってみる。ふに、と柔らかい感触がする。明日仕事休みでよかった、と思いながらキスしようとして――視界がひっくり返った。
「――えっ。あ、あれー?」
「今日は俺に抱かせて」
 お前がめいっぱい気持ちよくなれるように頑張るから、と言われてつい期待してしまった。こいつのスイッチどこにあるのかいまいち分っかんねえー。しかしまあ、言葉に偽りは無いはずだ。高槻は色々なことができるし得意だけど、その中でも料理とセックスはずば抜けて上手いのだから。
「優しくしてね?」
「当たり前だろ」
 ちゅ、と優しいリップ音がした。ソファでヤっちゃうのかと思いきや普通に抱きかかえられる。あ、移動するんだ。そうだよね、高槻はそういう奴だ。
 オレはぎゅっと高槻の体にしがみつく。あったかい。
 高槻が微かに笑ったのが体の振動で分かって、なんだかとてもしあわせな気持ちになった。

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