羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「ソース、一応三種類つけといたから好きなの使って」
「えっいいの? やったー、ありがとう」
 明らかな特別扱いはくすぐったい。元はと言えば、オレがいつもいつもソースを決めるのに時間がかかっちゃうからなんだけど……。
 今日の夕飯は白身魚のムニエル。白身魚ということは分かるけど詳しい種類までは分からない。スズキとかかな? ソースはバジルと、トマトと、レモンバター。小さなココットに少量ずつ入ったソースは全部手作りだ。付け合せはきのこのソテーに、ブロッコリーと……なんだこれ。
「津軽、これなんだっけ。知ってる匂いはする」
「うん……? ああ、アンチョビだね」
「ありがと」
 ブロッコリーとアンチョビのサラダだった。「おまえ、なんで高槻じゃなくておれに聞くんだ……?」「いや、当たっても外れても面白いから。高槻は答え合わせする人ね」ちなみに外れたところは未だに見たことがない。
 こういう魚は骨が無いから食べやすくて好き。いただきます、と手を合わせて遅めの夕食だ。
「んー、美味しい!」
 いつもながら絶品である。高槻はこちらを見て、「そりゃよかった」と笑った。はー、この顔面もいつも通り絶品。
「ちなみにこの魚ってスズキ?」
「いや、だからなんでおれに……さすがにただの切り身を見ただけで種類までは当てられないよ」
「た、高槻ー!」
「それはカジキ。白身のわりに脂のってて美味いだろそれ」
「うぐう……美味しいけどスズキじゃなかったかぁ」
「親戚みたいなもんだからほぼ正解」
「ほんと? わーい」
 カジキ……カジキね。覚えておこう。まあ、もう一回食べて当てられるかは分からないけど。
 津軽も、戻ってきた高槻にケーキの感想を話している。こいつの場合は「おいしい」ってそれだけの感想じゃなくて、もっと丁寧な感じ。材料がどうとか、作り方がどうとか……オレには分からないような部分も津軽は拾い上げてくれるのだろう。高槻にとって、それはきっと嬉しいことのはずだ。現に今も表情が柔らかい。
 いやいやいや……流石にちょっと、あの、甘すぎじゃない!? ううー。たぶん、高槻にとって食事とか食べ物とかに気を遣ってる一番身近な人物が津軽だったんだろうけど。オレは言うまでもなくバカ舌だし、涼夏さんも食にこだわりがある感じじゃないからなー。
 高槻は、警戒心が強いけどその分いったん気を許すと基本的にずーっと甘い。自分が優しくしてもらったり助けてもらったりして嬉しかったことをいつまでも覚えていて、ふとした瞬間にそれを口にする。義理堅いのだ。やった側がとっくに忘れてしまったようなことでも、高槻は忘れずにいる。
「……二人が仲良くなったきっかけってなんだったっけ?」
「うん? おれと高槻か? ほら、出席番号が前後だったからね。日直が常に一緒で」
 どうやら、掃除にあまり慣れていない津軽のことを高槻がフォローしつつ、日誌は達筆な津軽が書く……というような役割分担をしていたらしい。そういえばそうだ、日直一緒だったのか。高槻からも話を聞いてみると、実は最初の頃、津軽から若干怖がられていたことに若干ショックを受けていたんだとか。二人はちょっとしたきっかけでなんとなく、少しずつ、打ち解けていったのだ。
 ふと思い出したように、高槻が「昔……お前が言ってくれたこと、ちゃんと覚えてる」と言った。突然の発言だったけれど、津軽は目を細めて笑うと「昔?」と柔らかい声音で返す。
「ん。俺と競うの、楽しいと思うみたいな……言ってくれただろ。部活入らないのかってお前が聞いてきたとき」
 高槻は、ぽつりぽつりと語った。「俺、何やっても特に頑張らずにできてるみたいに見えるっぽくて、嫌味だとか色々、言われること多かったから……『比べられるのが嫌だから隣に並びたくない』とか、言われることもあったし」
 高槻は一拍置いて目を伏せて、微かな笑みを口元に浮かべた。
「『競うのが楽しい』って……そんな風に言ってもらえたの初めてで、本当に嬉しかったから……ありがとう」
 小さな声だったけれど、しっかりとそれは耳に届く。なんとなく分かった。高槻は、そういうところも含めて津軽のことが好きなんだろうな。こいつが何かひとつでも対等に競える相手ってそうそういないから。対等でいさせてくれる相手っていうのは、貴重なのだ。
 津軽は「ま、まさか五年近く前のことを今になっても感謝されるとは思っていなかったのだけれど……」と若干恥ずかしそうにしている。
「俺友達少ないから一人に割く記憶容量が多いんだよな。定期的に思い出して『嬉しかったな……』って思うから余計に忘れない」
「…………、すまない、これは完全な興味なんだが奥のことでは何か覚えてるか?」
「ん、……あいつには言うなよ?」
「約束するよ」
「……たぶん俺、割と昔から……それこそ小学生の頃からこう、あいつに要所要所で気に掛けられてるっつーか、同じ片親だから教師が何か言ったのかもしんねえんだけど、」
 高槻はたっぷり黙って、「……有難い、とは思う。そういうの」と言った。どう表現すればいいか迷っているような口ぶりだった。素直にお礼が言えないのか。こいつ、奥とは純粋な時間だけなら一番付き合い長いはずなのに……。
「……え、待って待ってごめん割り込んでいい? オレの記憶が正しければお前、オレが昔奥絡みの思い出あるか聞いたとき『別に……』みたいなこと言ってなかったっけ?」
「言ったかも。いや、あれだよ、恥ずかしいだろ……たぶんあいつは俺に優しくしたなんて思ってねえだろうし、自意識過剰みたいになるじゃねえか」
「わ、分っかんねえー……!」
「……『普通』に話しかけてくれるってだけで嬉しかったんだよ、あの頃は。あいつは『普通』にしてただけ。他の奴に接するのとまったく同じ態度で俺にも接してくれたっつー話」
 俺が勝手に嬉しかっただけ……と言って、高槻は立ち上がった。どうやらオレたちの食べ終わった食器を下げてくれるらしい。……さては逃げる気だなこいつ。
 引き留めるのは性格が悪いなと思ったので大人しくその後ろ姿を見送る。完全にその姿が扉に隠れたのと同じタイミングで、津軽の思わずといった笑い声が聞こえた。
「言わないって約束してしまったから絶対に言わないけれど、惜しいことをしたなあ」
「なんだかんだ十五年以上の付き合いなのに、あの二人って定期的に不仲ムーヴするよね」
「そうだね。まあ、あくまで表面上の話ということだろう。奥もね、嫌いではないんだよ、高槻のこと」
「まあ本当に嫌ってたら付き合いも断つだろうしね。っつーかお前と一緒のときは意外にあいつも高槻に好意的だったりするの?」
「『ムカつくけど嫌いではない』って」
「ははは……」
「続きがある。『最近は、ムカつくこともだいぶ減った』らしいよ」
 喜んでいいのか微妙な変化だが、喜んでおくことにしよう。この調子だと五年後くらいには超絶仲良しになってるかもしれないし。……どうかな?
「奥は、高槻のマイナス思考というか……自己卑下しがちな部分が気に食わないようなのだけれど。それはつまり、あいつが高槻のことをそれよりも高く見積もっているからということに他ならない」
「あー、確かに。なるほどね、自己評価が正当じゃないと思ってるからムカつくってことか」
 だったら奥のムカつきが完全に払拭されることはたぶん一生無いな。適度にキレてガス抜きすればいいと思う。いやー、自分のために怒ってくれる人がいるって幸せ者だね高槻は。ちょっと意味合いが違うけど。
 津軽はちょっと考え込むようにして、「……二人が今より親しくなったら、ちょっと妬けるな」と真面目くさった顔で言った。えー、意外。津軽もそういうこと考えたりするんだ。
「だって、積み重ねた時間はどうやっても追い越せないからね。ざっと九年分だよ?」
「時間よりも密度が大事じゃない?」
「ん、ん。高槻にも同じようなことを言われたことがある」
「それに奥は割とマジでお前しか見えてないというか見ようとしてないとこあるからね。お前と家族とそれ以外みたいな括りで」
「うぬぼれているみたいに聞こえたらいやなんだが、自覚はしている……」
 恥ずかしそうに両手で顔を覆ってしまった。こんなにあからさまに愛されていてもそれはそれとして嫉妬の材料はあるものなんだな。オレも案外、他人から見たらそんな感じなのかもね。あんなに大切にしてもらってるのに、そんなの見れば分かるのに、ってさ。
「……ねえねえ、オレは特にあいつと約束してないし、奥に情報リークしていいと思う?」
「なんでおまえはそうやってわざわざ怒られそうなことを……」
「楽しそうだから?」
「これ、止めなかったらおれも連帯責任で怒られるんじゃないか……?」
 そうかもね。いや、高槻はなんだかんだこいつに甘いから、許してもらえちゃったりするかもよ?
 高槻の反応を色々と想像してみる。怒るかもしれないし呆れるかもしれないし恥ずかしがるかもしれない。きっとどれも、オレの目には魅力的に映ると思う。そう考えるとますますリークしたくなってくる。
 ま。本物が一番最高ってことに変わりはないんだけどね!
 この場に奥がいればよかったのになあ、と思った。寧ろ今から呼ぶか? いや、疲れているところを呼び出したらそれこそ津軽に怒られる。
「はー、飲み会したいな、飲み会!」
「おまえのそのグラスの中に入っているのはお酒じゃないのか」
「みんなで集まりたいって意味! まあ、美味しいお酒があるに越したことは無いけどさ」
「奥はあと二週間くらいしたら少し時間に余裕ができるはずだよ」
「ほんと!? じゃあ久々に四人で集まりたいね」
 そうだね、と優しく同意してもらえたので嬉しくなる。もうちょっとしたら高槻も戻ってくるはずだから、そしたら提案してみよう。こんな風に、これからもゆるりと付き合いが続いていくといい。
 お互いの生活環境ががらりと変わってからも付き合いの続く友人というのは、生きる上で非常に得難いものだから。

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