羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 それから、俺たちは予定の合う限り、時間の許す限り二人で会った。色々な話をしたし、たくさんの感情を分かち合った。変なこと言ってるかもだけど、マリちゃんと一緒にいるとマリちゃんがαなことも自分がΩなことも忘れてるときがある。そういうのを一切考えないで素で接することができる。
 家に招いて、俺の作ったカクテルを飲んでもらったりもした。おいしい、というたった一言の褒め言葉が何より嬉しかった。
 マリちゃんはあの日以来俺に触れてくることはなくて、あの日あのとき言っていたことがどこまで本当のことだったのか今となっては分からない。我慢している、という自己申告も、俺から見るといつも優しくて気遣いのできるマリちゃんにしか見えないのだ。無理はしてほしくないからしんどいときはすぐに言ってほしい、とは伝えてあるけど。
 そして俺は、当たり前のように今日もあの子のことを好きでいる。
「え、そこまできてなんでまだヤってねえの?」
「は?」
「二人きりで会ってんだろ? 家にも呼んでんだろ? あとヤるだけじゃん」
「いやいやいやいや! その短絡的なのやめろ!」
 恐ろしいことを言ってくる同僚の腹を軽く小突く。そもそも、お互いに好きだとも言ってない。その場の雰囲気的にもうほぼ付き合ってるのでは……なんて思うこともあるんだけど、それでも明確に言葉にしたことは無いのだ。
「マジで謎だわ。ンな頻繁に会ってるくせにセックスしねえ手も繋がねえ、でもお前はその高校生のこと好きなんだろ? 何、遊ばれてんの?」
「そういうんじゃないし……そういうことはしない子だよ。っつーか遊びたいならそれこそヤるだけヤって終わりにするだろーが」
「確かに。でもこのままでいいわけ?」
 短く、端的な問いにぎくりとする。
「まさかこのまま茶飲み友達で満足ですっつーワケじゃねえだろ。……お前、最近ヒートが不定期になってきてる。そのαのせいなんじゃねえの」
 休みの日の取り方で周期がある程度バレてしまっているのだろう。確かにここ数ヶ月、発情期のリズムが崩れてきている。数ヶ月に一回、一週間、というスパンではなく、もっと細切れに、急に始まって一日ほどで治まるタイプのものが多くなってきていた。そしてそれは、大体の場合マリちゃんと会った日のことだ。
 一晩耐えればある程度治まるから騙し騙しやってきたけど、このままだとまたいつ突然発情期に入るか分からない。薬は飲んでいるから、そこまで大事にはならないだろうが。
 きっとαのフェロモンに定期的に晒されているせいだろう。そんなのは分かってる。
 でも仕方ないじゃないか。俺はマリちゃんに会いたい。でも、番になろうとかそういうことは言われないし、俺から言う勇気も無い。
 ……初めて会ったとき。俺が意識半分トんでてとんでもないこと口走ったとき、マリちゃんはなんと言って笑ったんだっけ? 優しい笑顔だったから、俺が傷つくようなことではなかった……と思う。あーもう、思い出せないな。
 明日はマリちゃんと一緒にお昼ごはんを食べる約束をしている。弟は友達のとこに遊びに行ってそのまま泊まるらしいから家事のことは考えなくていいし、何より久々に会える。マリちゃんの学校のテスト期間明けだからだ。
 このままなんとなく関係が続くかなって思ってたんだけど、やっぱり虫のいい話だよな。
 何より、俺自身が徐々に我慢できなくなってきている。
 どきどきするし触りたいのだ。喉が渇くみたいな感覚がずーっと腹の奥でくすぶっている。
「ちゃんとしなきゃいけないの……分かってる、から」
 同僚は呆れたような顔をしてため息をついた。「悪い、別に落ち込ませたかったわけじゃねえの。心配だっただけ」分かってる、ありがとう。
 明日、勇気が出たら聞いてみようかな。いつまで俺とこういう関係を続けてくれるのかってこと。
 αという存在はただでさえ引く手数多だ。俺のワガママでいつまでも縛っておくことはできないだろう。この先一緒にいるなら、そのための保証が欲しかった。一緒にいてもいいという保証が。
 キュ、キュ、というグラスを拭く音がカウンター内に響く。この片付けが終わったら早く帰って、明日のためにゆっくり休もう。


 俺って本当にタイミングが悪い。間が悪い。そういうところが嫌だったのに、やっぱり肝心なときにやらかすようになっている。
 その日も俺は薬をしっかり飲んでマリちゃんに会いに行った。会うのは大体俺の家の近く。今日は、初めて約束をした日と同じ喫茶店。マリちゃんとの今後について考えていたからか待ち合わせで会えた瞬間から心臓がばくばくしていて、いつも以上に体が熱い。ふわふわする。
「こんにちは、セツさん。お久しぶりです」
「久しぶり。ね、マリちゃん身長伸びた? 前に会ったときより目線が近い気がする」
「最近成長期みたいです。ようやく伸びてきて、安心しました」
 嬉しそうにしているマリちゃんと、お昼ごはんを食べながら話をした。たかだかテスト期間中にひと月近く離れていたってだけなのに、なんだか急に大人びたように見える。顎のラインがちょっとシャープになったかも? 子供から大人になりかけている年頃だしな。
 今日のマリちゃんは、気のせいかもしれないけどいつもよりちょっとだけ口数が多かった。俺も、なんだか思考回路がいつもよりふわふわしてたから聞き役ができるのは有難くて。食後の飲み物が出てくるまで、幸せいっぱいな気持ちで話をしていた。
 それが突如中断されたのは、アイスコーヒーを半分ほど飲んだくらいの頃。飲み物を置こうとした手が、マリちゃんの半そでのシャツから伸びる腕に擦れた。つい大袈裟に反応してしまって、耳が熱くなる。おそるおそるマリちゃんの方を見ると目が合った。マリちゃんも、俺のことを見ていた。
 熱を孕んだ視線のように見えたのは、錯覚だったのだろうか。
「――すみません。出ましょう」
「えっ? え、ちょっ……」
 手を引かれて、慌ただしくレジでお金を払って――というかマリちゃんが払ってくれて、俺はもたもたしている間に店の外に連れ出されていた。マリちゃんは足早に歩く。俺と手を繋いだまま。
「――っマリちゃん! マリちゃん、どうしたの。ごめん、腕ぶつかっちゃって……」
 怒っているのだろうか。不安から出た言葉は今にも消えそうなくらいに音量が小さくて情けない気持ちになる。
 マリちゃんは一度だけこちらを振り返った。そして、今まで一度も聞いたことが無いような、唸るような囁きを落とす。
「すみません……正直、あまり、余裕が無いです。ひとまずあなたの家に行きます」
「なんっ、なんで」
「セツさん、ヒートに入りかけてます。このままだとあなたが危ない」
 どくどくと、心臓が早鐘を打っている。確かに体は熱いけど、こんなのマリちゃんと会ってるときはいつもな気がするのに。いや、それより俺のせいでマリちゃんが辛そうにしてる。ごめん。薬ちゃんと飲んでるのに、それでも抑えられない。
 こんな体でいるの、やっぱり苦しい。
 マリちゃんと一緒にいるときは、俺はΩじゃなくてちゃんと、一人の人間だったはずなのに。
「マリちゃんごめんね、俺、いつもうまくいかなくて」
 泣きそうな声になってしまう。迷惑ばっかりかけて、それでも好きだなんて。初めて会ったときよりも今の方がずっと好きだ。運命とかそういうのは関係無く、マリちゃんの優しいところにいっぱい触れて、どんどんこの子のことを好きになった。
「……あなたが謝ることではないんです。すみません、ほんとうは今日待ち合わせ場所に着いたときから少し違和感があったんです。無視するべきではなかった。……久しぶりで、おれも、あなたとお話がしたくて」
 こんなのじゃα失格ですね、と自嘲するような声が聞こえる。そんなことないって言いたいのに、だんだん息が上がってきた。服の擦れる感触に鳥肌が立つ。もう家は見えてるのにたかだか十数メートルがこんなにも遠い。
「マリちゃん……マリちゃん、すき。すきだから、謝らないで。俺、マリちゃんと一緒にいられてたくさん嬉しかったから……」
 涙で潤む視界にマリちゃんの背中がぼやけている。真っ白なシャツが太陽に焼かれている。
 繋いだ手にこもる力が、少しだけ強くなったような気がした。

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