羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「それ明らかに誘われてんだろ! なーんでそのまま帰ってきちまうかなァ」
 同僚でありΩ仲間でもあるそいつは呆れたような表情で、まるで自分のことのように俺の現状を嘆いた。
「で、でも相手まだ高校生くらいだし……弟と変わんないくらいの歳だし……あれから連絡は来ないし……」
 自分で言ってて悲しくなってくる。そう、連絡先は渡したものの電話がかかってくるというようなことは無くて。まだ丸一日経っただけなのに落ち込んでしまう。
「え、そもそもなんで助けてもらったときにホテル行かなかったの?」
「全然そんな雰囲気じゃなかったんだよ……すげー気遣ってくれるし、俺のこと運んでくれた後は指一本触れてこなかったし……っつーかそもそも実家暮らしの子供だから! お兄さんお姉さんもいた……みんないい人たちだった」
「ご家族へのご挨拶既に済ませてますとかウケる。結婚じゃん。にしても生粋のエリートはそーいうとこもちゃんとしてんだな。フェロモンにあてられて襲ってくる奴も多いのに」
 ウケると言いつつ真顔のそいつの首には、金属製の首輪が嵌まっている。昔、αに襲われ噛まれかけて以来自衛のため、だそうだ。この首輪をしてるってことはΩだと言いふらしてるようなものなのだが、望まない相手に噛まれるよりはマシなのだろう。『モロAVって感じだよねー』となんでもない顔で言ってたけど、内心は怖い……と思う。きっと。
「あの子は襲ってくるとか絶対ねーわ。発情期のΩが薬も無しに目の前に転がってても平気ならもうどんな状況でも平気なんじゃね?」
「いやー分かんねえよ? お前、今回正式なヒートじゃなかったんだろ。影響弱かったのかも。もしくはお前じゃ勃たなかったとか」
「……………………」
「……おい、冗談だろ。何あからさまにショック受けてんだよ」
 うっかり冗談を真正面から受け止めてしまった。だって俺もその可能性を薄々考えてたから……。俺はあのとき、あんなに強く『抱いてほしい』って思ったのにマリちゃんの方はそうでもなかったってことだろ。我慢できずに手を出すほどじゃなかったみたいな……。そりゃ、そんじょそこらの適当なαが相手とかだったら発情期にかこつけて手出されるとかキモすぎて絶対無理だけど、あの子が相手ならきっとすごく嬉しかったと思う。知り合ってほんの少ししか経ってないのになんでこんなこと思うんだろ。これがΩの性ってやつなのか?
 ……そういや抱いてほしいみたいなこと口走ったけど普通に断られたんだった。泣きたくなってきた。
 俺の気分がどん底までオチたのを察したらしいそいつが、「今日は早く帰れば? 片付けはやっとくし。イレギュラーっつってもヒート来たばっかで体だるいだろ」と気遣わしげな顔をしてくる。
 確かに、通常なら一週間は続くものだ。言われた通り若干のだるさが残っている。ここは同僚の気遣いに甘えて、さっさと帰ることにしよう。
 ……なんというか、まあ、あっさり振られちゃったけど……あの場面でちゃんと断れるマリちゃんはほんといい子だな、って思います。うん。


 で、次の日。電話がかかってきたのは夕方の四時頃だった。プライベート用の携帯のディスプレイに表示されたのは見知らぬ番号。俺は、どきどきしながら電話を取る。
 相手はやっぱりマリちゃん。その後いかがですか、と真っ先に体調を心配されて、その声の優しさに心臓が高鳴った。電話越しなのがもどかしい。直接声が聞きたくなってしまって、困る。
 口頭で連絡先を交換して会う約束を取り付けた。昼間は起きられるか怪しかったから仕事が休みの日の夕方以降だ。マリちゃんも部活があるみたいで、自然と夕飯を一緒に食べるってことになった。
 会う場所はどこでもいいよ、って言ったらあなたの家の近くにしましょうって言われて、あっそこは俺の家とかじゃないんだ? と思いつつオーケーする。最終的に目的地となったのは駅前の喫茶店。喫茶店だけど料理も美味しいのだ。弟が教えてくれた。
「あの……電話、ありがとう。楽しみにしてます」
 思わず微妙に敬語になってしまって笑われた。『おれも楽しみにしています。どうかご自愛くださいね。……では、失礼致します』と、そんな言葉を最後に投げかけられて通話は終了する。最後まで丁寧で優しかった。ツー、ツー、という電話口からの音すら名残惜しく思って、散々うだうだした後に電源ボタンを押した。
「αと会うの?」
「ん? うん、迷惑かけたお詫びしてくる」
 携帯をしまった瞬間に声をかけてきたのは弟だ。弟には一連の出来事は既に説明してある。予期せぬタイミングで発情期がきて外でぶっ倒れたとか、普通にやばいし。『だから薬は小分けにして持ってろっつったろーが』と怒られてしまった。
 夕飯食べてくるけどちゃんと家のは作ってくから、と言うと、弟はからりと笑う。
「デートのときくらい家のことはほっとけよ。っつーかさ、兄貴のこと助けてくれたそいつ、めっちゃイイ奴っぽいね」
「いやそういうんじゃねーって。全然違う。あの子がいい子なのは確かだけど」
「ふうん。かなり気遣い慣れしてる感じ。会うのも家の近くなんだろ?」
 俺の電話での応答が耳に入っていたからなのかある程度の事情は把握しているらしい弟は、すらすらとマリちゃんに対する好印象を連ねる。
「夕飯外で食うならそれなりに帰り遅くなるし、お前があんま長い間外出歩かなくていいようにしてくれたんだろーな」
「……えっ、そーいうこと?」
「は? それ以外に何かあるか? やっぱΩは一人で歩いてると危ないだろ、比較的」
「家に上がるのが嫌なのかなって思ってた」
「その危機管理能力の無さ時々マジで心配になるわ。お前ただでさえ前触れ無しにヒート入ったばっかだろ。そのαと一緒にいるときにまたなったらどーすんだよ。密室だぞ」
 二人っきりだとお前が不安になると思ったからある程度開けた場所で会ってくれるんじゃね、なんて、当たり前みたいな顔で言う弟にかなり動揺した。え、そこまで考えてくれてたの? そこまで考えて、その上で何も言わないでいてくれたの?
 確かに俺のような番を持たないΩの立場からするとαは警戒対象に入る。ちょっと怖い……と、思ってる。でも、そう思っていることを公言したりはしない。自意識過剰みたいで恥ずかしいし、αだってαというだけで警戒されたら嫌な気持ちになるだろうから。
 マリちゃんはきっと、俺がαに対して抱いてしまう恐怖心を慮ってくれたのだろう。そして、俺が気に病まなくてもいいようにしてくれたのだ。
「やば、めっちゃいい子じゃん……」
「惚れた? それとももう惚れてる?」
 弟の軽口に思わず黙ってしまう。そしたら、「ガチじゃねーか……黙るなよ……」とドン引きされてしまった。だってこんなの好感度が留まるところを知らないでしょ……俺だってまさか高校生の男の子にこんなあっさり落ちると思ってなかったんだよ。
 ……でも、こうやって感じるのも全部、俺がΩであの子がαだからなのかな。だとしたらそれは……嫌、かも。
 だってそんなの、体目当てっつーか遺伝子目当てみたいじゃん。
「っあー! わっかんねー!」
「うわっ急になんだよ情緒不安定か?」
「自分の体のことなのに分かんねーからもやもやする」
「今更思春期ってお前マジか。ま、これを機会に兄貴に番ができたらめでたいじゃん」
「他人事だと思って適当言いやがって」
「あん? お前がヒートに入るたびに身の回りの世話してやってんのが誰か忘れたか? 割と真面目な感想だぜ今のは」
「それはマジでごめん……」
 そう、特に番もいないし両親もいないこの家で、俺がひたすら発情期に耐えている間こまごまとした雑事をこなしてくれているのはこの弟なのであった。どういうわけか弟は他人に対するフェロモン耐性が異様に高くて、同じ家にいても問題無い……というか、問題が起こったことがこれまで一度も無い。『女の生理気遣うよりよっぽど楽だわ』なんて言って花粉症用のマスクの向こうで笑いながら洗濯とかしてくれる。βだからってだけじゃなくて、これは個人の資質だろう。この歳まで番無しで生きてこられたのは半分以上こいつのお陰だ。
「……とりあえずちゃんとお詫びして、改めてありがとうって言う」
「おー。頑張れ」
「ん。あと、お前もありがとな」
「何が?」
「いつも、色々」
「べっつに。家族が具合悪そーにしてたら看病すんのは当たり前なんじゃねーの」
 いちいち言わせるな、と軽く蹴られた。ごめん、ありがとう。
 こんなに沢山迷惑かけて、家族だからってだけで寄りかかって、それでも『当たり前』って言ってくれる弟は家族のひいき目抜きにしても優しいと思う。
 いつか弟も相手を見つけるのかな。見つけるんだろうな。
 その日がきたら、思いっきり祝福したい。
 もし俺に番ができるなんてことがあっても、こいつは同じように祝福してくれることだろう。

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