羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 今日の暁人は宏隆くんと映画を観に行っているらしい。平日にやり残した家事を終わらせて、ちょっと早いけど夕飯の買い物にでも行こうかなと家を出る。あいにくの曇り空だ。まあカサはいらないか……とのんびり歩いていると、ちょうど高校の裏門の辺りで嬉しい偶然があった。
「マリちゃん?」
「こんにちは、セツさん。偶然ですね」
「こんにちは……って、あれ、今日土曜日だよね?」
「部活があるので、お昼くらいまでは学校にいるんです。今日は特に遅かったんですが」
 そっか、そういえば土曜も学校って言ってたね。でもそしたらなんでマリちゃん一人だけなんだろ。佑護くんも同じ部活じゃなかったっけ。
 尋ねてみると、どうやら大牙くんの部活が終わるのを待っているらしい。午後に何か約束があるんだとか。剣道部は今日も練習が盛んなようだ。マリちゃんはほんの少し首をかしげて、「お出かけですか?」と笑う。
「ちょっと早いけど夕飯の買い物しとこうと思って。この道の向こうにちょっと大きいスーパーあるの知ってる?」
「いえ、実は学校周辺はあまり詳しくなくて。いつもそちらでお買い物されてるんですか?」
「まあそんな感じ、かな。うん。俺、暁人がちっちゃい頃から家事はしてたからさ、高校時代もよく裏門から出て買い物行ってたんだよね」
 マリちゃんは地元民ではないからか、この辺りのお店事情には疎いようだ。俺は内心でほっとする。実はこの辺りにはもう一件小さなスーパーがあって、さっきまでの俺はそこに行こうと思ってた。でも、マリちゃんの向かう先――駅とは完全に道が分かれてしまう。大きい方のスーパーなら、途中までは一緒に行ける。ほんの数分だろうけどそれでもよかった。一緒にいたかったから。
 そんな気持ちでいると、マリちゃんはちょっと黙って、おずおずと「あの……もしご迷惑でなければ、ご一緒してもいいですか?」なんて言ってくれた。
「えっ! いいの?」
「せっかく、偶然お会いできたので……あの、でも、断っていただいても全然」
 恥ずかしがっているマリちゃんの気が変わらないうちに、俺はマリちゃんの隣に並ぶ。もしかして、同じ気持ちだったって思っても許される?
「えっと、マジで普通の買い物だけだから面白くないかもだけど……」
「あなたと一緒なら楽しいですよ、きっと。それにおれ、スーパーとかはあまり行かない場所なので新鮮です」
 にこにこしているマリちゃんは嘘を言っているようには見えなかった。そっか、スーパーに縁が無い……改めて考えるとスゲーなこの子。
 他愛ない話をしながら歩いて五分くらいの距離を進んで、スーパーに到着する。この辺りは都会の中のちょっぴり田舎って感じの場所で周囲も住宅地だから、それなりに広さを確保したスーパーもあるんだよね。入り口には焼き芋を売ってるコーナーが設置されていたりして、ほんのり甘い匂いが漂うなんてことはないスーパーだ。今日はどうやら豚肉が安いらしい。
「最近めちゃくちゃ野菜高いよね……あ、ごめん、こういう話興味無いか」
 そもそも買い物はお手伝いさんに任せてそうだよなーと別世界っぷりを妄想してしまう。それにきっと、マリちゃんちのお手伝いさんはキャベツが一玉五百円しようが買うのを躊躇ったりはしないだろう。
 妄想をたくましくしていたのだが、マリちゃんは意外にも「いえ、そんなことないですよ」と微かに笑ってそれを否定した。
「おれの家、住み込みのお手伝いさんもいるんです。就業時間外の食事は各々お金を出しますから、近頃お野菜が高くて、とか、話を聞いたりすることがあります」
「そうなんだ……そっか、住み込みで働いてる人もいるんだね」
「はい。最近だと、その住み込みの方のお子さんが大学に進学されて。他のお手伝いさんたちも一緒に、みんなでお祝いしたんです。料理長が腕をふるってくれて――」
 そこまで言って、「あ、すみません、おれの身内の話ばかりで……」と恥ずかしそうに俯くマリちゃん。そんな顔しなくていいよ。血が繋がってなくても家族みたいにみんなでお祝いするんだなって俺まで幸せな気持ちになった。血が繋がっててもいまいち上手くいってなかった俺の家とは大違いだ。
 ……まあ最近はかなりマシになって、まとまった休みがとれたときは帰って来るようになったけど。少しずつ会話も増えたし、昔のような居心地の悪さも薄れてきている。これはたぶん、マリちゃんに出会って俺の精神面がかなり安定したから……っていうのが大きい。あの親はなんだかんだ頭のいい人たちなので、俺との対話が普通にできるということに気付いてからは切り替えもそれなりに早かった。
「マリちゃんのお母さんって料理とかする?」
「いえ、基本的には……というか、しているところを見たことがないですね。お茶を点てたりはしますよ」
「お茶って茶道?」
「はい。お抹茶です」
 なんか……あれでしょ、お茶碗ぐるぐる回すやつ。どっち向きに回せばいいのかは知らない。正座が辛そうだなーと思う。マリちゃんと一緒にいると、自分の教養のなさに危機感覚えるんだけど……流石に茶道や華道を習う暇は無い。せめて字くらいはもうちょっと綺麗に書けるようになった方がいいかな。
 俺の親も料理をするタイプではなかった。おそらく方向性は全然違うもののちょっとした共通点を見つけてほっとした俺は、マリちゃんと一緒に店内を練り歩く。金髪ピアスに真面目そうな高校生って一緒にいるにはめちゃくちゃアンバランスだろうけど、案外他人は俺たちのことそこまで気にしてない。何より、俺が一緒にいたいなって思うから一緒にいるのだ。こうして隣を歩くことを素直に楽しめるようになってきたのは、純粋に喜ばしいことだと感じた。
 別れるのが名残惜しくて、つい時間をかけて買い物をしてしまう。買う予定の無かった果物や、そういえばあると便利だな、っていうお徳用のプロセスチーズ。あれもこれも……と細かいものを買っていたら、ふと、店内を流れる音楽の向こうに微かな水音。
「あ――うそ、やば。洗濯物」
 ほぼ同時にマリちゃんも異変に気付く。「セツさん、もうレジに行けますか?」「うん。ごめん時間かかって! 急ごう」
 半端な時間だったので会計自体はすぐに済む。自動ドアを通り抜けて外に出ると、予想通り。
「雨降ってきちゃったね……」
「一時的なもの……ではない、みたいですね。ここって傘とか売っているでしょうか」
「食品メインだから無いと思う。ごめん、真っ直ぐ帰ってたら降られなかったのに……」
 学校からマリちゃんの家まで、電車を乗り継いで四十分くらい……だと、思う。立ち話とか、買い物の時間とかそういうの諸々抜いたらぎりぎり濡れずに済んだはずだ。なんだか落ち込んでしまう。
 雨脚が徐々に強まっていくのが分かる。こうなったらタクシー呼んでマリちゃんにはそれで帰ってもらって……なんて思っていると、優しく腕を引かれた。
「セツさん。走れますか?」
「え、うん……えっ!?」
 買い物袋を持っていかれ、代わりに頭の上に何かが被さってくる。「落とさないでくれると助かります」その重たい布がどうやら学ランであると気付くより先に、俺の足はマリちゃんにつられて駆け出していた。

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