羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 頭痛は一晩ゆっくり眠ればすっかり和らいで、俺は幸助になんと言って謝ろうか別の意味で頭を痛めていた。
 元々お互いに全然タイプが違うから、噛み合わないときは激しく噛み合わないんだよな、俺たち。だからこそちゃんと話をしなくちゃいけないのに、今回は感情が先走ってしまって上手く伝えられなかった。本当は顔を見て謝りたいけど、忙しいからって断られたらどうしよう。
 ぐずぐず考えている間に一日が経ち、二日が経ち。ああもう、俺が考え込むと大体ロクなこと起こらねえっつーのに。
 大学から帰宅して夕飯を終えて、自分の部屋でスマホとにらめっこする。会えないならせめて電話したい……と唸っていると、突然持っていたスマホが震えた。相手が今まさに思い浮かべていた相手だったので、大慌てで通話ボタンをタップする。
「ど、どうした!?」
『うわっ、拓海? 体調はもう大丈夫なのか?』
「あ、大声出してごめん……ありがと、一晩寝たらよくなった。元々ちょっと寝不足だっただけだから」
 そっか、と安心したような吐息が電話口から聞こえる。そのことに嬉しくなる。それにしてもこんな、突然電話してくるなんて珍しい。そんな風に思っていると、予想もしていなかった言葉が飛び出してきた。
『なあ、今時間あるか? 夕飯は食べ終わった?』
「え、うん。食べ終わって後はもう風呂入って寝るだけ」
『……実は俺、今、拓海の家の最寄り駅にいるんだ』
「えっ!?」
 思わず大きな声を出してしまった俺に、幸助はまた笑う。
『どうしても会いたくて。……駄目か?』
 駄目なわけない。すぐに行くから。そう叫んで、俺は財布とスマホだけをズボンのポケットに突っ込んで、「ちょっと出かけてくる!」と母親に向かってまた叫んで、駅までの道を走り出した。
「なっ、んで、きゅうに」
『なんでって、あの、会いたかったから……あと、言いたいことがあって』
 というか拓海、もしかして走ってる? 別にゆっくりでいいからな? と慌てた様子の幸助に構わず走る。一秒でも早く会いたい。
 それにしても言いたいことって、もしかして別れ話だったりしない? だとしたら俺冗談抜きで泣くかもしれない。でも、会いたいって言ってくれてるし、別のことだよな……? そうだと思うんだけど。夜、もう夕飯も終わるような時間になって、授業で疲れてるはずなのにわざわざ自分の家の最寄り駅通り過ぎてまで、会いに来てくれたんだから。
「っ、幸助!」
 駅前のロータリーにそいつの姿を見つけて通話を切った。そいつはゆっくり手を振って、笑って、「やっぱり走ってくれてたのか。ごめん、ありがとう」と言った。
 抱き締めたかったけどいくら夜とはいえ外だ。ぐっと堪え、幸助は夕飯がまだだったので駅前のファミレスに入った。夕飯と言うにはちょっと遅い時間だからか割とすいてる。
 幸助は、周りに人の座っていない、店内の隅のテーブル席を選んで座った。
「拓海、あんまり病み上がりで無理しちゃ駄目だぞ?」
「病み上がりって……ただの寝不足だっつの。ちゃんと寝たからもう治ってるし」
「ならいいんだけど……」
 幸助は肉味噌炒め定食を、俺はドリンクバーを注文して、注文した料理がサーブされて、その間俺たちは他愛のない会話をして過ごした。幸助はなんだかそわそわしている気がする。言いたい事がある……って言ってたから、それに関係してるのかな。
「……拓海」
「な、なに……」
 幸助は真剣な目でこちらを見た。真っ直ぐな視線だった。
 そいつは自分の鞄から何か薄い紙の束を取り出して、ばさっと机の上に広げる。一体なんだ、と思って一番上の紙を手に取る、と。
「…………駅近徒歩五分、東南角部屋……?」
 なんだこれ。不動産のチラシ?
 文脈が掴めずにそいつの様子を窺うと、幸助は恥ずかしそうに笑って小さく囁く。
「あの……お前さえよければ、なんだけど」
 え、待って、分かったかもしんねえ。これって、
「……一緒に住まないか? 俺たち」
「…………一緒、に?」
 一緒にってつまり、同じ家に「ただいま」って言って帰ってくるってこと?
 慌てて机の上と幸助の顔を交互に見る。薄い紙の束は、全て物件情報だった。ちょうど俺と幸助の大学の中間地点くらいのとこ。ルームシェアOK、という文字に黄色いマーカーで線が引いてあって、こんなとこまで真面目だ、と場違いに笑ってしまいそうになる。
「大学入ってさ、あんまり時間合わなくなっただろ? でも、同じところに帰ってくるなら毎日会えるし……お互い個室があれば、一人でいたいときは邪魔せずにいられる。どうだ?」
「ど、どう、って」
 毎日、俺と会いたいって思ってくれてたのか? 高校のときと同じみたいに、毎日顔合わせて。ちょっとでもいいから喋って。そういう風にしてくれるのか?
 なんだか夢みたいで、でも、だったらこの数ヶ月寂しい思いをしていたのはなんだったんだ……と思ったりもして。だから、「えっと、なんでこのタイミングで……?」と聞いてみた。それこそ、高校卒業するときに言ってくれてもよかったはずだ。
 幸助は真面目くさった顔で、当然とでも言いたげに説明してくれる。
「だって、あのときは引っ越し資金が溜まってなかったんだ。敷金に礼金に……家電も新しく必要だろ? それに俺、高校まで部活ばっかりで家事もあんまりやったことなくてさ。それじゃ駄目だと思って料理とか練習して、アルバイトして、お金溜めてた」
「……ん!? いやいや、そこは俺にも半分持たせろよ……なんで一人で全部賄おうとしてんだ」
「え、でも、俺がやりたいなって思ったことだから……」
 なんでだよ! 俺だってお前と一緒にいたいのは同じなんだけど!
 不思議だったのだ。授業と大学の部活で既に十分忙しい幸助がバイトまで始めて、日曜もそれで潰したりして。おまけにかなりハードな肉体労働だ。引っ越しのバイトってキツい代わりに短期でかなり稼げるっぽいから、こいつはそれを理由にバイトを選んだのだろう。
 まあ、俺と一緒に暮らすため頑張るあまり俺と過ごす時間を削ってるっつーのは随分と不器用っつーか、空回り野郎っつーか……マジでなんで相談してくれなかったんだ。俺だってバイトしてるの知ってるだろお前。
 言いたいことはあったけど感極まってしまって、「俺も、お前と一緒にいたい……」とだけやっとの思いで言う。幸助はぱっと嬉しそうに笑った。くそ……好きだ……。
「……頼むからそういうのは相談して……俺ばっか、何も知らないで勝手に不安になって八つ当たりとか、マジで恥ずい」
「ごめんな、俺もつい視界が狭くなってた。急に一緒にいられる時間減って、焦ってたんだ。拓海は大学でもたくさん友達できるだろうし、そういう奴らと一緒にたくさん遊びに行ったりするんだろうなって……ちょっと、不安で」
 独り占めしておきたいなんて、ガキみたいだな。幸助はそう言ってやっぱり恥ずかしそうに笑った。
 どうしよう、めちゃくちゃ嬉しい。そうだ、こいつあんまり表情に出ないしすらすら喋ったりもできないんだった。俺みたいに頭空っぽで色々言うんじゃなくて、たくさん考えて、たくさん悩んで、その上で俺に伝えてくれる奴だった。
 抱き締められないのがもどかしい。周りに人がいないのをいいことに、そいつの手をぎゅっと握った。
「うれしい。……ほんとに、嬉しい。ありがとう」
「俺だって嬉しいよ。お前だけじゃない」
「うん。ありがとう……」
 そいつの骨ばった手が俺の手の中から抜け出して、逆に俺の手を上から包んできた。相変わらず大きくて、豆がたくさんある手だ。小さい頃から続けていた剣道で、すっかり豆が日常となったらしい。何度も皮が剥けて硬くなった皮膚は、それでも触れられているとあったかくて柔らかくて優しい気持ちになる。
「今度の休みの日、不動産の内見しに行かないか?」
「じゃあ、その次の休みは家電とか家具とか買いに行かねえと」
「はは、忙しくなるなあ」
「お前と一緒の忙しさなら、全然いいよ」
 俺もだよ、と耳元で聞こえた。泣きそうになる。こいつになら独り占めしてほしいなんて思ってしまう俺は、もう完全に骨抜きだ。
 この中途半端な時期に実家を出るということを、親にはなんと言って説明しようか……なんて贅沢な悩みを抱えつつ、俺はそいつの手にこっそり指を絡める。ほんの指先、数センチ。
 ……玄関を開けて「おかえり」と言って幸助を出迎える自分を想像してみたなんてことを、白状するのはもう少し先でいいだろう。

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