羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 心配していたほど痛みは続かず、店内に場所を移してからは時折ぶり返す程度で我慢できる範囲内だった。安心しつつ、明るい場所で見る幸助にどきどきしつつ……という感じ。はー、かっこいい。
 ソファ席に通された俺たちは、大学に入学してからのお互いの生活について話をした。テーブルは他の客から十分に離れていて落ち着いた空間で、その雰囲気も手伝って話のタネは尽きず。幸助はどうやら大学に入ってバイトも始めたらしく、だから日曜も微妙に予定合わなかったりしたのか……とちょっと残念だったりもして。
「なあ、バイトってどんなの?」
「ん? 今は引っ越し屋さん。あんまり長期間はできないバイトだけど」
「うわっキツそう。部活もあるのに体力もつ?」
「高校のときほど部活はきつくないから問題無いな。アルバイト、やってみたかったし」
 拓海は高校のときのアルバイトまだ続けてる? と穏やかな表情を向けられる。それは、まあ。元々、知り合いに頼まれて不定期に入っていたバイトなので無理せず続けられている。ざっくり言うと美容院のカットモデルとか、そういうやつだ。HPの宣材になったり雑誌に載ったり。大学生になったから今度はコンテストのモデルでも……と言われてるけどまだ悩み中。あんまり突拍子も無い色にされたら流石に困るし。髪切ってもらえて報酬も出るからお得なんだけどな。割とバイト代も高いから、無駄遣いしなければ十分小遣いまかなえるし。
 なんだか大っぴらに言うのは恥ずかしかったから、高校のときから詳しいバイトの内容は周囲には言ってなかった。バレても別にいいけど、自分から積極的に喧伝はしない……という程度。例外で、幸助にはちゃんと言ってある。
「拓海はバイトもきらきらしてるな。華やかというか」
「や、別に……雑誌に載るっつってもいわゆる専門誌だし。普通の奴は見ないって」
「それでもすごいよ。見てみたい」
「……目の前に俺いるのに?」
 幸助は一瞬きょとんとして、おかしそうに笑った。「勿論、実物が一番だけど」あっくそ、笑われた。
 なんだか恥ずかしくて、パスタをゆっくり咀嚼する。幸助と喋ってると、子供っぽい感情が出てしまうことがあって焦る。実は、こいつに昔『一人っ子だろ』と見抜かれたのをちょっと気にしているのだった。別に、『お前我儘だな』って言われたわけじゃないけど……そういう意味じゃないって分かってるけど、それでも気になる。
 バジルクリームの味の余韻が消える頃、ふと幸助がこちらをじっと見ているのに気付いた。そいつは俺よりも少し早く食事を終えていて、何かこちらに注目するようなものがあっただろうか? と若干不思議に思う。高校の頃から、何度も食事を共にしているのだから今更新鮮味は無いはず。どうしたんだ。
「なんかついてる?」
「いや……そうじゃないけど」
 なんだよ煮えきらねえな。
 最後の一口を飲み込んで、追加で出てきた食後のコーヒーに口をつけた。もうすっかり夜だけどそこまで遅い時間じゃないし、この後はどうしよう。幸助はどうしたいかな……と思って話を振ってみると、返ってきたのは意外な返事。
「なあ、せっかくだけど今日はもう帰ろう。早めに寝た方がいいよ」
「は……?」
 持っていたコーヒーカップがソーサーに当たって、カシャン、と僅かに音を立てた。
 もう帰るって、まだ一緒に夕飯食べただけなのに? 喋るのも触れるのも全然足りてないのに?
「だって拓海、あんまり体調よくなさそうだ」
「そ、れは」
「最近課題の締切が続いてるって言ってただろ? 俺が誘ったから無理させちゃったかもな。ごめん」
 ばれてたのか、と苦い気持ちになる。別に幸助のせいとかじゃない。俺が幸助に会いたくて、勝手に無理して、勝手に体調崩しただけ。こいつは何も悪くない。それなのに、俺はものすごく悲しくなってしまった。
 俺のこと気遣って『早く帰ろう』って言ってくれてるのは分かる。分かるけど。
 俺は今日、久しぶりに会えて嬉しかった。たくさん、色々なことを話したいと思ったし、今だって全然時間足りてない。でもこいつはこんなにあっさり『帰ろう』って言える。俺を気遣う余裕がある。
「……もしかして、一緒にいたがってるの俺だけ?」
「え?」
「俺、すごく楽しみだったのに……確かにちょっと頭痛いなとは思ったけど、こんなん我慢できるし、そんなことよりお前ともっと喋ってたかった」
 こんな鬱陶しいこと言うようなキャラじゃなかったんだけどなー、俺……。なんか、気持ちに差があるみたいで落ち込む。
 幸助は表情はあまり変わらないながらも確かに慌てているみたいで、必死で言葉を練っているのが分かる。こういう一生懸命なとこ、好きだ。こんな下らないことに真剣になってくれる。疑いようも無くお前が正しいのにな。体調悪いならさっさと休めって話だし、これで本格的に悪化したらこいつにも罪悪感を与えてしまう。
「俺……は、ただ、お前が心配で」
「ありがとう。それはちゃんと伝わってる……けど、俺たち大学入ってから全然会う機会無かっただろ。お前土日も都合つかないし、仕方ないことだけど」
 ああもう、マジで駄目すぎる。考えて一呼吸置いてから発言すればいいものを、余計なことを言ってしまった。こいつの生活を縛りたいわけじゃないのに。俺に会うよりバイトかよなんてそんな、面倒な女みたいなこと言いたいわけじゃないのに。
 置いて行かれそうだと思ってしまった。
 こいつの日常から俺が消えるんじゃないかと思ってしまって、それが怖い。
「…………悪い。お前の言う通りだわ。今日は帰る」
「拓海」
「ごめん……めちゃくちゃなこと言ってる。頭冷やすから……」
 ずきり、と頭が痛む。散々だ。せっかく心配してくれてるのに。こんな、嫌な雰囲気で思い出を上書きしたりはしたくなかった。
 幸助はやっぱり言葉に悩んでいるみたいで、俺にもこいつのせめて半分くらいの思慮深さがあればな……と場違いな感想を抱く。これ以上この話題でこいつを煩わせたくなくて、コーヒーを飲みほした。努めて明るい声音で言う。
「帰ってちゃんと休むから! ごめんな、せっかく会えたのに本調子じゃなくて」
「や、俺は全然……お前が早く元気になってくれる方が嬉しいよ」
 そっか、『全然』か。……そっか。
 体調が悪いと考え方もマイナスに傾くようだ。俺と一緒にいる時間が減ることも、こいつにとっては『全然』なんだな……とか一瞬浮かんでしまった。そして勝手に傷ついた。
 今日は本当に駄目な日らしい。俺は幸助の投げかける心配そうな視線から逃げるように立ち上がる。会計して、帰って、休んで――頭を冷やそう。
「拓海。俺、今日、楽しかったよ。久々に会えてよかった」
「……ごめん、ありがとう」
 俺も楽しかったよ。これはマジだから。でも、足りなかったんだよ。
 帰り道はお互いに言葉少なで、けれど幸助はずっと隣を歩いてくれた。その気遣いが余計に寂しかった。
「じゃあ……また」
「……うん」
 幸助の家の最寄り駅に先に到着して、そいつがホームに降りて。幸助は、俺の乗る電車がホームを遠ざかってどんどん速度を上げていくのを、じっと見ていた。小さく手を振り続けているのが見えていた。
 俺もちゃんと手を振ったけど。
 気付いてもらえてたかどうか……今の俺には正直、分からなかった。

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