声をかけたり、かけられたり、一緒に昼飯食ったり、移動教室のとき並んで歩いたり、そういうことを当たり前にするようになって。
他人と一緒に居てこんなに心休まることがあるなんて知らなかった。鬱陶しくて面倒くさいと思っていた沢山のことが、万里相手だと穏やかで待ち遠しいものになった。
家に呼んだりもした。暁人は全然嫌がらなかったし、俺も嫌だと思わなかったから。いつもより頑張って掃除をして迎えた土曜日、万里は期待通りに『わあ、きれいなお家だね。掃除も雪人が? すごいなあ』と笑ってくれた。それだけじゃなくて、『今度はおれの家にもぜひ。広いばかりで面白いものは無い家だけれど』と言ってくれた。
嬉しかったのが、『もちろん暁人も一緒にね』と迷い無く提案してくれたこと。あまり長時間弟を一人にしておきたくはない。休日の暁人は、基本的に友達と外で遊んでいるとは言っても食事時にはきちんと帰ってくる。なるべくなら食事は一緒に摂りたかった。
万里は、『弟の面倒を見ながら生活している俺』のことを自然と受け入れてくれる。『もう小学生じゃん、少しくらいほっといてもいいんじゃね』なんて絶対に言わない。俺の意地とか、決意とか、大切にしていることとか、そういうのを丸ごと全部尊重してくれる。
「お前、最近津軽とよくつるんでんじゃん。真面目ちゃんデビューでもすんの?」
そんな話を振られたのは、朝、ホームルームが始まる前のこと。万里は弓道部で朝練をしている時間だ。なんとなく言葉にトゲがある気がして居心地が悪い。複数の視線がこちらに向いているのも。
別にそういうつもりじゃないし真面目とか関係無い、とだけ言うとそいつらはにやにやと笑った。……なんか嫌な感じだ。
「別にどうでもいいけどさー。なーんかあいついい子ちゃんぶってるっつーか」
――なんだよそれ。『ぶってる』とかじゃねーよ。あいつは根っからいい奴なんだよ。
「津軽いまいちよく分かんねえよな。放課後も部活無くったってさっさと帰るし……あんまり自分のこと話さないし?」
――さっさと帰るのは習い事があるからだし、家が遠いからだよ。お前らに聴く気がねーから万里も何も言わないんだろ。
「あいつの姉貴ってここの卒業生だろ? 頭キレててかなりヤバイ女だったって噂だけど。あいつもどっかオカシイのかもよ」
――そんなことない。万里のおねーさん、髪の色はちょっと奇抜だけど話してみたらめちゃくちゃいい人だった。万里のことすげー大切にしてるってすぐ分かった。何も知らないくせに何言ってんだ。
「そういや津軽んとこってなんかめちゃくちゃ金持ちなんでしょ? なんの苦労も無さそうでいいよな、バイトなんかしなくても全部家の金でどうにかなるんだろうし。ぜひともあやかりたいっすわー」
今、身をもって理解した。あいつは『これ』が嫌だったんだ。こんな、無遠慮に詮索されて。勝手な想像で勝手に羨ましがられて。何も知らない奴が、自分のことを『なんの苦労も無さそう』なんて、『羨ましい』だなんて、そんな言葉でバカにしてくる。
何か言い返さないと、と思った。少なくとも俺の知っている万里はそんな奴じゃないって言いたかった。なんでだろう、俺、こういうの今までは割と流すタイプだったんだけど。揉めるのって面倒だし後に響くしロクなことねーと思ってたから。でも今はダメだ。
これを曖昧に流したら、俺は自分のことが許せなくなる。
それでもまだ理性は働いてたから、冷静に、あんまり刺々しくならないように万里についての誤解を解こう……なんて思ってた。そんな風に考える余裕はあった。
それすら消し飛んだのは、俺が何か言葉を発するよりも先に割り込まれた、あまりにも酷い暴言のせいだ。
「――ああ。もしかして由良、既にあいつに色々出してもらってたり?」
からかうような、きっと発言した本人にとっては大したことのない冗談なのであろうことが分かる声音。悪ふざけの延長。いつものテキトーなノリ。本気で言ってるわけないし、周りも当然それを共通認識として持ってる。だからこんなの、本気になって返す方がシラケる。全部、頭では理解できるのに。
「ッ……ふざけんじゃねーよ! テメーらに何が分かるんだ、何も知らねーし分かろうともしねー奴に!」
気付いたら立ち上がっていた。ふつふつと、脳も腸も煮えている。俺は、あいつの優しさが嬉しかったから一緒にいたいと思っただけだ。家がどうとか金がどうとか、そんなもので量られたら汚れてしまう。せっかく一緒にいられて嬉しかったり楽しかったりしたことが汚されてしまう。
言葉はぐるぐると頭を巡っているのにうまく言葉にできなくてもどかしい。俺の大声に驚いているらしいそいつらの視線が鬱陶しい。泣きそうだ。大騒ぎしてしまった。こんな、こんな、俺らしくもない。めちゃくちゃだ。万里のことを考えるようになってから、こういうことばかりだ。
「雪人!」
突然、背後から声をかけられると同時に腕を掴まれて驚く。初めて聞くような鋭い大声にも、振り返ったときに見えたその真剣すぎる目つきにも。
こんな風に俺のことを真っ直ぐ見てくれる友達、こいつだけだ。
どうやら朝練が終わって教室に戻ってきていたらしい万里は、少し悩むような表情になって、けれどすぐ「行こう。ごめんね、大声を出して」と俺の手を引いた。もうすぐホームルームが始まるのに、どこに行くんだろう。
でも、万里が連れて行ってくれるならきっと俺にとって嫌な場所ではないはずだ。少なくとも、この最悪な空気の教室よりは。
俺はおとなしく、手を引かれるまま歩き出す。他の奴らに俺がどう思われたっていい。お前が分かってくれてれば。でも、お前は疑う余地無くいい奴なんだから、俺以外の奴にだってきっと分かるに違いないから、万里がこんなにいい奴なんだってこと伝えたい。
歩調の速いそいつの後を追いかけながら、俺はばれないようにそっと一粒、涙をこぼした。