羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 次の日の俺は定時ぴったりにPCを消すという優等生っぷりで退社した。今から帰る、と電話をすると潤は少し慌てた様子で、『ごめん、ちょっと準備に時間かかっちゃってる』と言う。そんなに急がなくていいのに。帰ったら俺もちゃんと手伝うからと返して電話を切った。
 電車の遅れも無くスムーズに帰宅し、準備中だろうから、とインターホンは鳴らさず自分で鍵を開けて玄関に入る。
「ただいま!」
「あっおかえり孝成さん! 鍵開けられなくてごめんね、インターホン鳴らしてくれてよかったのに」
「いいって別に。今そっち行くわ!」
 キッチンにいるのであろう潤といつもより大きな声で会話をする。スーツをハンガーにかけて、手を洗っていざキッチンへ。どうやら丸焼きは焼き目をつける最後の段階に入っているらしく、「あと十分くらいで焼きあがるよ」と潤が食器を洗いながらこちらを振り返って笑った。
 なんだ、結局手伝えそうなこと無かったな。いつも通りコップとかを並べるくらいか。
 下手に手伝って失敗するよりはいいかと思い直し、潤が洗った食器を拭く役目に立候補する。ちょっと広い部屋に引っ越したときにオーブンレンジを買ったのがこんなところで役に立つとは……と嬉しい。型落ちのやつだけど、俺にとっては割と高い買い物だったからな。
 やがてオーブンのタイマーがゼロになり、扉を開ければハーブと皮の焼き目の香ばしさの混ざり合ったいい匂いがする。丸ごとの鶏肉の周りにはじゃがいもやきのこが敷き詰めてあって、ものすごく豪華な見た目だ。食事にカメラを向ける気持ちはこれまであまりよく分からなかったが、なるほどこういうのなら記念に残しておきたくなるかもしれないな、と思う。
「うわぁあ、漫画みたいだね!」
「ふは、お前が作ったんだろ」
「そうなんだけど、いざ完成したら感動しちゃった」
 冷めないうちに食べなきゃ、と包丁を取り出す潤の手つきは何故だか妙に危なっかしく見える。おかしいな、いつもはそんなことないのに。
「潤、どうした? なんか手つき危なそうだけど」
「やー、流石に鶏一匹丸ごと解体したこと無いから……おれが作れるの、オーソドックスなやつだけって孝成さん知ってるでしょ」
「もし大変なら代わるぞ」
「何言ってるの……大根おろしで指の皮剥いちゃう孝成さんじゃ心が休まらないってば」
 仰る通りで。
 指を切らないようにな、と念のため声をかけて、「うん、ありがとう」と返ってきたので油断していた。一瞬目を離した隙に、耳に差し込まれたのは思わずといった風な声。
「熱っ……」
 慌てて振り返ると、潤は自分の指の背の部分を唇にあてて眉根を寄せているところだった。慌ててその手を取ると、どうやら鉄板に触れてしまったようで薬指が赤くなっている。
「指冷やさねえと」
「え、でも、冷めちゃうよ」
「バッカ、火傷してるだろ。オーブンの中に入れとけば保温できるだろうしお前の指冷やすのが先」
 こういうのはすぐに冷やすのがいいと聞いたことがある。最初の五分から十分でも冷やすだけで完治までの時間が随分と短縮されるらしい。今は寒い時期だし、氷は無くてもいいだろう。冷たいだろうが我慢してくれ。
 鶏肉を再度レンジに突っ込む。少しでも冷たくないように潤の手の甲側を自分の手で覆って、患部の周辺にだけ水が流れるようにした。
「孝成さん……ありがとう」
「いいって。俺も少しは家事覚えねえとなー、潤がやってくれるのについ甘えちまうけど」
 あ、今『ごめん』じゃなくて『ありがとう』って言ったな。
 こういう、些細かもしれないけど嬉しいことが潤と一緒にいるとたくさんある。
 そこまで酷い火傷ではなかったようで、水膨れにはならないうちに患部は落ち着いたらしい。「もう大丈夫だよ」と笑った潤は、再び悪戦苦闘しつつ鶏肉を切った。……切るっつーか、切り落とすっつーか?
 絆創膏は貼らなくていいだろうと判断し食卓につく。鶏肉はまだ余裕で温かいし、腹に詰めた米は肉汁を吸ったのかなんとも言えないいい匂いだ。それだけでなく、焼いたときに染み出した肉汁は周囲に並べたじゃがいもも生まれ変わらせていた。
「なんか全部いい匂いすんな」
「孝成さんの感想面白いね」
「なんだよ、ボキャブラリー貧困だって?」
「そういう意味じゃないよぉ」
 笑いまじりに手を合わせて「いただきます」と言う。二人一緒に。そして、ちょいちょい、と潤の頬をつついた。
「潤、ほら」
「えっ?」
「手、火傷してるから」
 なんてな。ただの口実だ。
 潤の口元に肉を持っていくと、そいつはちょっとだけ悩むそぶりをしたものの素直に口を開けた。きのこに、じゃがいもに、腹の中に詰まっていた米。順番に口に運んで、それを素直に食べる潤が面白い。
「んむ、孝成さんもちゃんと食べなきゃ」
「食ってるって。お前、雛鳥みたいで可愛い」
 潤は食べるのが遅いので、こいつが咀嚼している合間を縫って食えば問題なく食事は進む。もきゅもきゅと擬音が聞こえてきそうな食べっぷりだった。ん、もしかして俺が食うのと同じような量じゃこいつの口には多いか。気が利かなかったな。
「……おいしい」
「うん。お前の作る飯はいつも美味いよ」
「んんん、そうじゃなくて……あの、孝成さんが食べさせてくれるの、いつもよりおいしい気がする……」
 でもやっぱり恥ずかしいから自分で食べるよ、と耳を赤くしている潤。仕方ない、俺としてはかなり楽しかったんだが引き下がることにしよう。
「二人だとちょっと多かったね、やっぱり」
「明日の朝にチンして食えばいいんじゃねえ? 美味いわこれ。初めて食ったけど写真撮っときゃよかったかも」
「ふふ、また作るから」
「そのときは怪我しないように」
「わ、分かってるよー」
 こっそりそいつの右手を確認する。皿に添えられた薬指はまだうっすらと赤かったけれど痛々しくはない。これなら、明日か明後日くらいまでには落ち着くだろう。
「潤」
「なあに?」
「今日、一緒に風呂入るか? 頭洗えるか?」
「た、孝成さん……こんな大したことない火傷でおおげさ……」
「実は一緒に風呂入りたいだけだったりするんだけど」
「! 入るっ」
 こいつ、もしかして俺に似て単純になってきてねえか? ちょっと面白くなってしまう。患部をあまりお湯に当てたくないのは本当なので、可能ならちゃんと頭も洗ってあげたいと思う。
 今日のこいつの右手の役目は、俺が予約しておこう。
 それは……そう、鳥の丸焼きなんてすごいものを作ってくれた潤へのせめてものお礼の気持ちだ。

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