羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「孝成さんっ、見て見て!」
 潤のはしゃいだ声につられて隣を見ると、目に入ったのは肉屋だった。いつもなら気にせず通り過ぎるのだが、どうやら今日は違うらしい。
「どうした? 潤」
「丸々一匹の鶏肉だよ、これ。珍しい」
「うわっマジだ」
 脚のついたままの鶏肉がショーケースの一番目立つところに鎮座していた。肉屋のおじさんの話によると、クリスマス用に仕入れたものの残りらしい。「その一匹で終わりだよ。安くしとくからちょっと豪華な夕飯にどうだい?」と言われて若干興味がそそられる。
「俺、丸焼きって食ってみたかったんだよな……」
 何の含みも無く、無意識に口に出していた。それを聞いた潤が嬉しそうな声をあげる。
「おれも食べたことないからいい機会だし作ってみよっか? 今日の夕飯にすぐってわけにはいかないかもだけど、明日とか」
「いいのか?」
「うん! あのね、あんまり上手にできないかも、だけど……」
「いいってそんなの。ありがとな」
 外だから大っぴらに触れることはできなかったけど、潤がにこにこ嬉しそうにしていたのでこちらも嬉しくなる。
 鶏肉を一匹丸ごと購入して、荷物は俺が持った。別にいいのに、って恥ずかしそうにされたけどこのくらいはいいだろ。甘やかしたいんだよ、潤のこと。
 潤は携帯で丸焼きの作り方について熱心に調べていて、「お腹の中に詰めるの何がいいかなあ……」なんて言っている。二人で相談して結局一番メジャーらしい米を使うことに決めた。にんじんに玉ねぎ、じゃがいも、きのこ、ハーブなどを追加で買って帰路につく。
「ほんとはハーブとかスパイスとかもっとたくさんあった方がいいみたいだけど、ちょっと風味がきついみたいだから少なめでやるね」
「おう。手伝えることあるか?」
「孝成さんはゆっくりしてなきゃ。明日はまたお仕事でしょ」
「今日はのんびり休んだから平気だけど」
「お休みの最終日はゆっくりしなきゃ。あ、でも、明日は早く帰ってきてね! 一緒に食べたいから」
 きゃっきゃとはしゃいでいる潤は楽しそうだ。料理より掃除とかの方が得意だと言うわりに、俺のために色々な料理に挑戦してくれる。そりゃ、たまに「ごめんね、ちょっと失敗しちゃった……」なんて自己申告されることがあるけれど俺は正直どこがどう失敗しているのかよく分かっていなかったりするのだ。のびのび料理をしてほしい。そして俺はそれをうまいうまいと言って食べる。
 家に到着して、潤は真っ先に鶏肉を袋から出した。「ふふ、楽しみ」宝物を抱えるようにしてそれを冷蔵庫に収納しているさまは子供のように無邪気で。俺は、今日あの肉屋の前を通ってよかったな、なんて思う。
 二人で共有できる「初めてのこと」があるのは嬉しい。潤も俺も、二人ともが新鮮な気持ちで楽しめる。そういうことは大事にしたいと思うのだ。
 潤は昔に比べるとかなり明るくなった。感情を表に出すようになったし、もし不安なことがあったとしても俺に対してそれを隠さなくなった。たまにわがままを言ってくれたりするときはとても嬉しくなる。達成感、というか。俺がこいつを変えたんだと自惚れてみたりする。
「楽しみだな、丸焼き」
「うん!」
「まあ、その前に今日の夕飯だけど。ハヤシライスだろ? 久々に食うわ」
「すぐ作っちゃうから待ってて。カレーとかハヤシライスとかってたまーに食べたくなるよね」
「だよな。あ、そういやつまみ用のチーズまだ残ってたんじゃなかったか? 使う予定無いなら食いたいんだけど」
「はーい、用意するので少々お待ちください!」
「ふは、チーズ取るくらい自分でできるって。ありがとな」
 ほっぺたを手で挟むと照れたような笑顔。たまらなくなって、鼻の頭にキスをする。
 口元をふにゅふにゅさせて潤が喜んでいるのが分かって思わず笑った。
 明日は仕事をさっさと終わらせて、早く帰ってこよう。こいつはきっと張り切って料理を頑張ってくれる。一緒に食卓を囲んで、熱々の料理に箸をつけて、それでこいつに「美味い」と伝えるのだ。
「孝成さぁん、そろそろ離してくんないと料理できないよ」
「うわっ悪いつい」
「おれからは離れられないから、ふふ、孝成さんがびしっとしててね」
 俺だってくっついていたいのは一緒なんだけどな。潤がそう言うなら我慢しよう。
 今日はたぶん、夕飯が終わった瞬間から明日の夕飯について思いを馳せる気がする。そうに違いない。
 確信に近い予感を抱きつつ、俺はキッチンに立つ潤の後ろ姿を見ながら喜びをかみしめた。

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