羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 そういえば随分と長い間セックスはご無沙汰だったが、まさか自分が女役をやることになろうとは。
 俺は、隣で満足そうにすやすや寝ている恋人の髪を撫でる。こいつは面倒だと風呂に入りっぱなし濡らしっぱなしの髪で寝ようとするので、ちょっとしつこいくらいにドライヤーの便利さについて語ることになるのだ。最終的には俺が乾かしてやるってことで落ち着くんだけどな。
 きちんと後始末はしたものの、未だに穴が若干広がっている気がして据わりが悪いというか……まあ、うん、八代はやけに嬉しそうにしていたので、俺としては構わない。
「気持ちよかったかって言われるといまいち分かんねえけど、めちゃくちゃ嬉しかったのは確かだな……」
 思わず独り言を呟いてしまった。いや別に貶してるとかじゃねえよ、正直異物感が凄まじかったんだよ。でもそういうの差し引いても嬉しかったし、こいつが望むなら二回目以降もありかなと思う。珍しく、面倒臭そうにしてなかったし。最初から最後までびっくりするくらい丁寧だった。普段あんなに雑だから、もうちょい痛かったりすると思ってたのに。
『ふは、お前ほんと体硬いね』
 いざ挿入するってとき、太腿を広げて支える体勢が普通に痛くて泣き言を吐いたら文句も言わず笑ってくれたのが一番嬉しかったかもしれない。
 別になんてことはない一言だったのだろうが、白けたり萎えたりされたら流石に傷ついただろうと思うから。
 俺の知ってる八代は、合理的で、効率のいいことが好きで、目的のための手の抜き方を分かっている奴だ。合格点六十点のテストで百点とって合格するのが大好きだけど、それはそれとして六十二点くらいで合格する時間の使い方もできる奴である。そんな八代が『次は満点をとります』なんて宣言したのだから、そういうことだと思っていていいのだろう。ものぐさなこいつがここまでしてくれるくらいには、俺は好かれているのではないか、と。
 勝手に恥ずかしくなってしまったので頭を振って気持ちを切り替える。八代は体力を使い果たしたらしく爆睡してるし、俺も明日は仕事だ。仕事か……マジか……。まあ幸い明後日は定休日なので、どうにかなるだろう。ともかく今は体を休めるために寝るのが一番だ。
 半裸のくせに羽毛布団をはねのけていた八代に、それならとブランケットをかけてやる。こいつ寒がりなはずなんだけどな。運動してあったまりすぎたか?
 こいつは色々と手がかかるけど、そういうところが好きだ。嬉しそうに世話を焼かれてくれるので有難いとも思う。
 ベッドにもぐりこんで、いつもより若干狭い……と思いつつ目を閉じた。隣、あったかいな。誰かが傍にいてくれるというのはこんなにも安心するものだっただろうか。
 閉じた瞼の裏に、今日起こった色々なことが思い返される。八代が最中ずっと俺のことを見ていてくれたのは正直興奮したな、とか。ぱっちり二重の女顔を裏切る声の低さが実はかなり好き、とか。ちょっと掠れた感じでエロい。それと、別に耳触るなっつったのはネタ振りとかじゃなかったんだけどな……とか。八代が楽しそうだったので文句も殆ど言えなかった。こいつ、くすぐったがりで脇腹とか掴もうものならめちゃくちゃキレるくせに。
 ――ああ、そうだ。あとひとつ改めて思ったこと。八代は、俺の父親と仲がいい。今日みたいな日は必ず『お父さんも呼ぼっか?』って言ってくれるし。俺に気を遣ってくれているのかと思いきや普通に二人で食事とかしてる。なんでだよ。謎すぎる。
『涼夏さんめちゃくちゃ酒強くない……? オレ自分より量飲める人初めて会ったかも』
『それはまあ仕事柄……っつーかお前はいつの間にあいつと酒を飲み交わす仲にまでなったんだよ……?』
『誘ったら快くオーケーしてもらえたしご馳走してもらっちゃった』
『誘ったのお前からかよ!?』
『うん。アルコールには強い方ですよーみたいな話になって、「俺も割と強いよ」って言われたからじゃあご一緒しませんか、と。割とどころじゃなかったけど』
 そんな会話をしたのも記憶に新しいくらいだ。八代はさくらともすぐ仲良くなってくれたから、本当に嬉しかった。俺の大切な家族と、こいつは積極的に関わろうとしてくれる。きっと、そういう奴だから好きになった。
 完全に眠りに落ちる直前の、体がゆっくり沈んでいくような感覚に身を任せる。なんだかとても幸せな気分で、隣から聞こえてくる寝息すら大切にしたいと思った。
 あと一週間もしないうちにさくらの月命日がやってくる。
 八代が親父とも仲良くしてくれているということを、さくらに報告したらあいつはきっと喜ぶだろうと思う。ひょっとすると、俺の母親もそうかもしれない。……そうだったらいいな。


 朝は基本的に俺の方が早い。
 今日も例に漏れず先に目が覚めた。若干睡眠不足である感じは否めないが、平日夜は店はあまり混まないしなんなら少し早めに店仕舞いしてもいいだろう。
 洗濯機を回し、いつもより洗濯物が多いことにまた気恥ずかしくなりつつ洗顔と手洗いうがい。髪を整えて仕事着に着替えて、さて八代はどのタイミングで起こそうか、と一瞬悩む。たぶんいつも起きる時間に比べると早すぎるのだが、昨日はこいつにしては早寝だったはず。何にせよこいつも仕事だろうし、俺が店に行く時間には一緒に家を出てもらわないといけないだろう。……起こすか。
 カーテンを開けて、換気のために出窓も開けた。「おい、朝だぞ。さっさと起きて顔洗え」「…………んぅ……いま何時……?」「七時」「えっ早すぎ……むりなんだけど……」口の中でもごもごむにゃむにゃ言っている八代は全身で「まだ寝たい」と主張している。
「なあ。俺今から朝飯作るけど食う?」
「食う……」
「いつまでも寝てるとせっかく作った飯が冷める」
「起きるぅ……」
 よしよし。えらい。
 寝起きだと尚更声が低いな。そんな些細なことすら面白く感じてしまう。
「なあ、朝飯パンとご飯どっちがいい?」
「オレ白米食えるコンディションじゃねえんだけど……お前元気だね……」
「じゃあホットサンドにするか。ハムチーズと、玉子と……野菜系も適当に何か作るから」
「うまそ……ふぁあ、顔洗ってきます」
「いってらっしゃい」
 ほっそい体がふらふらしてるのは見てて危なっかしいが、しっかり食べて元気に仕事に行ってくれればいいなと思う。
 味が何種類もあるホットサンドは、きっと八代好みの食事だろうから。

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