羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 それから一週間経ち、ライブの当日。俺は約束の時間の十分前に待ち合わせ場所に着いた。そこは待ち合わせ場所としては定番も定番で、休日の夕刻ということもあって人が多い。
 暫く周りを見回していると、後ろから「朝倉」という声と共に肩を叩かれる。
「うわっ……びっくりした」
「すぐ分かってよかったよ。俺、早く来すぎちゃって」
 その言葉に、白川も今日のことを少しは楽しみにしていてくれたんだろうかと嬉しくなる。まあ、こいつは真面目だからどんな用事でも遅刻なんて絶対にしないんだろうけど。
「お前、俺の後ろから声かけてくること多いよな」
「それは、朝倉が目立つから……いや、」
「ん?」
「……理由があるのは、お前じゃなくて、俺かな」
 なんだろう。白川はやっぱりたまに変なことを言う。俺が悪目立ちしてるってわけじゃ……ないよな?
 と、俺は白川がじっとこちらを見ていることに気付く。どうしたんだろう。どこか変なとこ、あったかな。居心地の悪い思いで「なに?」と尋ねると、そいつは慌てたように表情を崩す。
「いや、私服だと印象変わるなと思って」
「そうか? ……どこか変?」
 冬なので、白川から見えているのは灰色に細かい千鳥格子柄のコート、暗い色の細身のパンツという恰好だけだ。そこまでおかしいものではないと思うのだが。
 俺は相当不安そうな顔をしていたらしい。白川は「変なんかじゃないって。一度見てみたかったんだ。……朝倉は私服だと、制服よりも細く見えるな」と柔らかい声で言ってくれる。
「そ、そんな貧弱じゃねえし……」
「別にそういう意味で言ったんじゃないって」
「……白川は、私服だとなんか……なんだろ、雰囲気が結構変わる」
「それっていい意味? 悪い意味?」
「っいい意味!」
「はは、なんでそんな食い気味? ありがとう」
 雰囲気が変わる……なんて言葉で誤魔化したけれど、実際は、あれだ、有体に言うとかっこいい。と、思う。思った。
 母親が買ってきた服そのまま着てそうとか思っててごめん。そう心の中で謝罪する。いや、もしかして全部姉貴に選んでもらったりとかしてそうだけど。反抗期とかなさそうだし、素直そうだし。
 うちの学校の制服はブレザーだけど、白川って、ブレザーよりも学ランの方が似合うんじゃないかな。ちょっと見てみたい。
「でも一番はなー……」
「うん? どうかしたか?」
「白川は部活のときが一番かっこいいなって」
「え」
「お前が着てるとこ一回だけ見た。なんつーの、剣道着? あれ、かっこいいよな。すげー重そうだけど」
 言いつつ、白川が固まっているのを見て俺は話題の選択を誤ったな、と思った。俺が白川の剣道着姿を見たのは、こいつがおそらく好きな女子にひっぱたかれたときのことだ。思い出したくないことだったかもしれない。
 俺は咄嗟に白川の腕を掴んで引っ張り、「早く飯食って行こうぜ」とやや強引に話を切り替えた。
 白川は僅かに動揺したようなそぶりを見せたものの、すぐに柔らかい笑顔を浮かべる。
 俺はそのことに安心して、思わず掴んでしまった白川の腕が、コートの上からでも俺より鍛えられているのが分かるということに妙な気恥ずかしさを感じつつ先を急いだ。



「俺、こういうの来るの初めてなんだ」
 軽い食事を終え、開場を待っているときに白川はそう話をしてくれた。
「あんまり煩いところとか苦手でさ、これまでは寧ろこういうところは避けてたんだけど……朝倉と来られてよかったなって思うよ」
 好きな奴と来るなら楽しいんだな、こういうのも。そんな風に言った白川は、二人きりのときですら滅多に見られない楽しそうな笑顔をしてみせる。俺はそんな白川を見て、ほんの少しだけ苦しくなる。
 あんまり簡単に「好き」とか言わないでほしい。
 俺の、我儘だけど。
 白川は、好きな奴ができて自分勝手になった、みたいなことを言っていた。でも、俺から見ると白川はいつも穏やかだし、優しいし、俺が授業で習ったことを理解してなかったとしても嫌な顔しないで教えてくれるし、全然そんな風に見えない。きっとこいつはあんまり出来た人間だから、自分への要求水準が高いのだ。
 こいつから好かれてる奴ってすげー幸せだろうと思う。
 だって、こうしてほんの「恋人のふり」してるだけの俺でも、こいつが優しいってことすごく感じる。白川はきっと、好きな奴のことを大切に大切にするんだろうな、って想像できる。
 こんなことを言うと嘘っぽく聞こえてしまうかもしれないけれど、俺はこいつの恋が成就すればいいと思っているのだ。本当だ。寧ろ、こんな優しい奴はちゃんと報われなきゃだめだと思う。
 開場して中に入って席に着くまでの間、俺はそんなことをとりとめもなく考えていた。席の間隔が結構近くて、隣に白川がいることに緊張したりもした。
 けれどそれも、ライブが始まるまでの間だけ。俺の緊張は、演奏や周りのファンの熱気に押し流されてどこかにいってしまう。
 元々ひとつのことを長時間悩むことができないタイプだというのもあり、初めて生で見たそのライブに年甲斐もなく興奮してはしゃいでしまったというのもあり。体の芯に直接響くような振動と音が気持ちよくて、俺はたっぷり三時間弱、白川と一緒に思う存分、好きなアーティストのライブを楽しむことができたのだった。


「楽しかったー!」
 俺も白川も物販にはあまり興味がなかったので、演奏が終わって割とすぐに会場を後にした。未だ興奮さめやらぬ俺は、白川に「なあ、誘ってくれてほんとありがとう」と改めてお礼を言う。
 白川は、ゆっくりと頷いて「一緒に来てくれてありがとうって、俺が言いたいくらい」とまた表情を和らげる。
「……テスト返却のときも思ったけどさ。朝倉って、嬉しいとか楽しいとかそういうの、はっきり言ってくれるからいいなって思う」
「え、そ、そうか?」
「うん。きらきらしてる」
「きらきら……」
「なんか、朝倉が友達多い理由、分かるよ。男子も女子も、みんなお前のそういうとこが好きなんだろうな」
 のんびりとしたペースで紡がれる褒め言葉にくすぐったさを感じて、「お前も……優しいから、お前のこと好きって奴たくさんいると思う」と返す。そして、その発言に引っ張られるように、ライブ前になんとなく考えていたことを口にした。
「あの、さ。白川は優しいから、俺、大丈夫だと思う」
「大丈夫……って?」
「お前の好きな奴も、お前のことちゃんと……好きになってくれると、思う。俺、応援してるから」
 ちょっとつっかえてしまったが、概ね言いたいことは言えて俺は満足していた。これはライブに誘ってくれたお礼というか、いつまで経っても行動を起こしているように見えない白川への発破というか。本当だったら俺なんかよりもっとその好きな奴を誘って色々なところへ行くべきなのだ。
 白川は優しいから、気持ちが伝わればきっと上手くいく。
 頬を撫でる夜風が冷たくて気持ちいい。と、俺はそこで、ずっと気になっていたことを白川に尋ねてみる。
「なあ。『話しておきたいこと』って何? ライブ終わったら教えてくれるって――」
 途中まで口から出かかった言葉が途切れる。
 視線を向けた先、何故だか、白川の表情がさっきまでと一変して強張ったものになっていた。
「え……ど、どうした?」
「いや、なんでも……うん、なんでもない」
 強張っていた表情はすぐいつもの仏頂面に隠れてしまって、そしてまた柔らかい表情へと変化する。
「――寒いだろ。なんか、あのとき変なこと言ってごめん。風邪ひくとまずいし、今日は帰ろう」
 俺は、白川にしては無理やりな感じの話題転換に戸惑う。促すように先を歩く白川に慌ててついていく。
 そいつは歩いている間も、電車に乗ってからも、自分の家の最寄駅までずっと、ライブの感想だとかを穏やかな様子で俺に話してくれた。
 でも、さっきのことだけは説明ができない。
 なんであのときあんなことを言ったのか、あんな表情をしたのか、分からない。
 分かることはひとつだけ。
 俺はたぶん、何かこいつを傷つけるようなことを言ってしまったのだろうという、それだけだった。

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