羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「結局、オレが信じられなかったのってオレ自身なんだよな」
 風呂場で体を洗いつつ、春継は無言で首を傾げてオレの言葉の続きを促してくる。
「なんかさー……もし周りにバレたりしたとき、オレって真っ先に保身を考えちゃうと思うんだよね。そういう自分のことがもう全然信用できねえの。自分のことは自分が一番分かってるから」
 周りから侮蔑とか差別とかの目を向けられたとき、オレは春継をちゃんと守ってやれるんだろうか。そんなことを考えてしまう。
「オレめちゃくちゃ適当な人間だからさ。その点アンタはすごいね……アンタの言葉聞いてると安心するもん」
 二年経ったらオレのこと忘れてるかも、とか、オレのこと忘れたらどうせ女を好きになるんだろ、とか、そういうのって全部保険なんだよ。馬鹿みたいだ。自分のことを一番信用してないから、そんな自分が好きになった人のことまで道連れに蔑ろにしてしまう。
 たぶんね、春継がテレビの中の人とか、そうじゃなくてもオレ以外の誰かを好きになった知り合いの子とかだったら――オレは春継の言葉にただ安心して、この子は凄いな、こんな風に想ってもらえたら相手は絶対幸せに違いない、って思ってたんだと思う。
 相手が自分だってだけでこんなに不安になるのは、結局オレが弱いからだ。相手の愛情を疑っているわけではなくて、それが向けられる自分のことを疑っている。本当にそんな価値があるのか? 同じものをきちんと返せるのか? いつか応えられなくなって全部投げ出して逃げたりなんてしないよな? って。
 春継は分かったような分からないような顔をした。まっすぐ生きてる奴には難しかったかな。
「要するに、オレはアンタのことが好きなのと同じくらい、オレに好かれてるアンタを運が悪いなと思ってるってこと……」
「聞き捨てならんな。おれほどの強運はそうそう無いぞ」
「そういうこと言えるのがもうね、すごい……別世界……」
「まったく、冬眞くんのそれは生来のものなのかそれとも後から獲得した性質なのかどっちなんだ? あんまり後ろ向きだと前が見えなくて転ぶよ、気をつけなね」
 人生は考え方次第だ、と快活に笑うそいつ。「おれだって家の会社に興味なんて無いが、学費の高い大学に奨学金なしで行かせてもらえているしアルバイトもせず日がな一日絵を描いていられるしそこはいいところだと思っている」
「金絡みのことばっかりなんだな」
「何言ってるんだよ。家がお金持ちで得することってお金があることくらいだぞ」
「貧すれば鈍するって言うじゃん?」
「なんで零か百なんだ。七十くらいがいいと思うよ、こういうのって」
 なんだか達観した台詞だった。「生粋のお金持ちならまた違ったのかもしれないが、おれのところは家業が大当たりして栄えた家だからなあ。貧しい下積み時代に戻るのが怖いのさ、誰も彼も。まあおれには経験が無いんだがね……一度贅沢を知ってしまうとなかなか戻れんのだろう」おれの家はどうも、無理して金持ちらしくしようとしているところが好かない……と、そいつは冗談めかしてそう言った。やっぱり不思議と説得力のある言葉だった。
「オレと一緒に暮らしてて嫌になったりしなかった?」
「何もかも楽しかったよ。あなたがいてくれたからだね」
 浴槽の縁ごしにキスされた。びっくりして固まっていると、「……さあ、本題に入ろうか。おれは何をすればいいか、教えてくれるんだろう?」と微笑まれる。
「え……と、あの、とりあえず準備するので見ないで……目つむってて……」
「えええー……」
 不満そうな声を出すな! 流石にちょっと、冷静になって考えるといきなりケツの穴弄らせるとかめちゃくちゃハードル高いんだよ!
 春継には交代で浴槽に入ってもらって、オレは風呂用の椅子に深く腰掛けて前かがみになる。ローションは無いけど、前に酔っ払ってシャンプーと間違えて買ったリンスだかコンディショナーだかがほぼ未使用で残ってるからこれを使おう。なんかぬるぬるしてるしいけるだろ。それはそれとしてオレはマジで酒飲むのやめた方がよさそうだな。
「っ、んっ……」
 これまで、一度も自分で試してみたことが無いと言えば嘘になる。興味はあったし。でも、実際に「これから挿入する」という目的で触るのは初めてだ。それに、一人で弄るのが癖になってしまったらいよいよ何かが終わる気がしたのでそこまで本腰を入れて弄ったことは無くて、気分的にはまったくの初心者である。
 事前にお湯でふやけていたのかそれとも想像以上にリンスが有能だったのか、圧迫感は覚えたものの比較的スムーズに指が体内へと飲み込まれていく。気持ちよさとかはまだ無い。そのうち慣れるんだろうか。まあ、少しくらい痛くても我慢するけどさ。好きな人に抱いてもらえるならそのくらい全然平気。
「んっ、んっ、……っは、ぅ、んん」
 くちゅくちゅと音がするのが恥ずかしい。見られてたらとてもじゃないけど解すの無理だったな……と思いながらふと視線を上げると、何故か春継と目が合った。――えっ、なんで目が合うの!?
 珍しく顔を真っ赤にして目を逸らしてしまったそいつに「みっ……見るなって言ったのに!」と抗議すると、「いや無茶言わないでくれよ! ここものすごく音響くんだぞ、見るだろそりゃ!」ととんでもない開き直りをしてきた。なにこれオレが悪いの? ううう、恥ずかしくて死にそう。後片付けが楽だろうと思って風呂に誘ったけど、普通にベッドにしときゃよかった。よく考えたら声も何もかも響くじゃん。
「っはー……、冬眞くん」
「な、なに」
「ベッド行こう」
「ソウデスネ……」
 リンスのボトルとありったけのバスタオルだけ持ってベッドに移動した。ちなみに春継はオレの体についた水滴を丁寧にバスタオルで拭いてくれた。そういうことをされるとまた恥ずかしくなってしまう。「あ、ありがと……」と掠れた声で言うのが精一杯だ。
 どうやら春継はオレに主導権を握らせてもロクなことにならないというのを早くも学習したらしい。「ゆっくりするから、駄目なところがあったら教えてくれ」出来のいい子で助かりますほんと……。
 とりあえず今のオレから言えるのは一つだけ。
「電気……一番小さいのに、して」
「お安い御用さ。おれ、夜目は利く方だからね」

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