羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 ……のぼせてしまった。
 ああもう、オレの馬鹿。何かしら失敗しないと気が済まないのか?
「ほら、水飲んで。長風呂だったからね……もっと早く気付いてあげられればよかったんだが」
 ごめん長風呂とはあんまり関係無い……とは言えず黙って首を横に振り水を飲む。春継はスケッチブックを使ってオレを扇いでくれていて、申し訳なさがはんぱない。
 部屋のクーラーの涼しさと水のお陰で十分もすれば湯あたりのような症状は無くなった。でも、根本的な問題は何も解決していないのである。絶対にロクなことにならないと分かっていたのにやっぱり好きになってしまって、というか、極論を言うと初めて会ったときから好きだったんだけどいよいよ誤魔化しがきかなくなった。顔が好みってだけならまだ、まだ、我慢できたかもしれない。でもこんなに優しくて、一緒にいるとほっとするんだ。顔が好みっていうのがほんの些細なことに思えるくらい。
 オレはきっと、いつかこいつの優しさに殺されるのだろう。
 今まで一人で抱えてきたプライドとか誰にも何も相談できなかった虚しさとか一生独りでいいやっていう諦めとか、そういうの全部殺されてしまうのだ。あったかくて柔らかいものが代わりにどんどん入ってきて、オレは昔とは比べ物にならないくらい弱くなってしまうのだろう。
 そう、独りでいられなくなるくらい。
「ありがと……もう大丈夫」
「ほんとうに? 無理しないでくれよ?」
「へーきだってば。スケッチブック、そんな風な使い方させちゃってごめん」
「気にしないでくれよ。おれも、自分で扇いだりすることもあるから」
 こんなことで謝られたのは初めてだよ、とちょっと嬉しそうにするそいつ。「冬眞くんは、おれの絵をとても大事にしてくれている。有難いことだ」当たり前だろ、好きな奴が大事にしてることはオレだって大事にしたい。……なんて、調子のいいことを内心で呟く。
「さて。まだ歩き回れるほど本調子ではないだろう? 夜は長いし、話をしようか。お望みとあらば百物語でも構わんよ」
「なんで突然怪談だよ……」
「夏の夜だからね」
「もっと普通のさあ……普通に、アンタの話聞きたいな」
「ふむ。おれの話か。そんな波乱万丈な人生は送っていないが……どんな話がいい? なるべくご希望に副うようにしよう」
 え、何がいいだろ。いざ聞かれると困る……と悩んでしまう。修学旅行の夜みたいだね、と春継はにこにこしていたけど、何年前の話をしてんだよ。
「修学旅行の夜ってどんな話すんの? 恋愛?」
「うわっ、冬眞くん……一応ね、言っておくけれどおれが話した後は冬眞くんにバトンタッチするのだからその辺りも考えて発言してくれ」
「あ、一応避けてくれてたんだ、その辺りのこと」
「だってあまり言いたくなかったら困るじゃないか……おれは気にならないけれど、冬眞くんは相応の経験があったから隠してきたんだろう?」
 あー、オレの場合情報源がほぼネットだったからな。インターネットって割と口調とか思想とか過激な奴が目立つし、オレもガキだったからそれが普通の奴の総意なのかと思っちゃって今でもそれを若干引きずってる。気持ち悪いとかさ、ノンケに擦り寄ってくんなとか、生物の摂理から外れてるとか、もうほんとボロクソ言われてたからね。今は流石に、みんながみんなそう思ってるわけじゃないって分かるけど。思春期の身にはつらかった。
「今オレが話してる相手はアンタだから、大丈夫だよ」
「おや、それは光栄だ」
 まあこれで彼女持ちですとか言われたらめちゃくちゃショックだけどね! なるべく傷が浅いうちに諦めたいものである。ちなみに、既に致命傷は確定してるけど。
 さながら判決を待つ罪人のような気持ちで春継の言葉の続きを待ったのだが、そいつは「ううん……とは言え、おれもあまり話せるような経験はしてきていないのだよなあ」と軽い口調で言った。
「そうなんだ」
「そうなんだよ。ふふ、驚いたか?」
「まあ、割と……アンタ女にモテそうなのにね。優しいし、気が遣えるし、色々器用だし」
「褒めたって何も出ないぜ冬眞くん。冬眞くんこそ、恰好いいから男女問わず好かれるだろう?」
「何その謎の高評価」
「だって、急に飲み会に誘われても付き合ってあげられるのだし……おれと初めて会った日も、会社の人のお仕事を手伝っていて遅くなったって言っていたよね? 確か。人のために何かできるって恰好いいよ」
「いや遅くなった原因半分以上酒だから……オレ、外面いいだけなんだよ。嫌われたくなくてそうしてるだけ。優しいアンタとは違うと思うよ」
 せっかく褒めてもらえてるのにこんなことを言ったら駄目だよなと思うものの、どうしても素直にありがとうと言えない。オレ、打算ばっかりだから。
 春継はちょっと黙った。かと思えば、「……優しい? おれが?」と苦笑い。
「え……だって、優しいでしょ。さっきもずっとオレのこと扇いでくれたし」
 何か嫌なことを言ってしまっただろうか、と不安になる。謝った方がいいのか、でも何について謝ればいいのか分からないし……と焦っていると、「そんな不安そうな顔をしないでくれよ」とそいつはオレの肩を励ますように叩いた。
「……おれが優しいとかではなくて、相手があなただからなのだと知っていてほしい」
「えっ」
「おれが『優しくしたいな』と思う相手はそうそう多くはないということさ」
 幻滅したかい? と悪戯っぽく笑うそいつに何も言えない。涼しい室内なのに顔が熱くなっていく。いや、だって、それ、勘違いさせたくて言ってんの? だとしたらかなり性格悪い。素で言ってるんだったら、タチが悪い!
 こいつは同性相手だから別にいいと思ってるのかもしんねえけどオレは同性が恋愛対象なんだぞ。分かってんのか。くそー、振り回しやがって。
「……幻滅なんてしない」
「それを聞いて安心したよ。ありがとう、優しくすることを許してくれて」
 幻滅どころか、特別扱いされてることが分かってもっと好きになってしまった――とは、言えなかったけれど。
 そして、『優しくすることを許す』という物言いがなんだか不思議な響きに聴こえたけれど。
 オレはとんでもない奴を好きになってしまったんだな、と、今はそれを噛み締めるのにただただ必死だった。

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