羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「白川、最近朝倉と仲良いよなー。どうしたの、心境の変化?」
 そんな言葉が耳に入ってきたのは、予鈴の鳴る直前も直前だった。俺はそのとき久々に朝の時間を音楽を聴いて過ごしていたのだが、音楽を止めた瞬間に自分の名前が聞こえてイヤホンを外すタイミングを失ってしまう。
 どうやら朝練帰りの白川に誰かが話しかけているらしい。普段、俺が喋らないグループの奴だ。
「心境の変化って何がだ?」
「え、白川ってあんま賑やかすぎるの苦手だって言ってたじゃん。朝倉と一緒にいるの意外だったから」
「ん? いや、あいつは俺と喋るときは俺に合わせてくれる奴だよ。苦手じゃないよ」
「え、あ、そうなんだ。なんか勘違いしてたかも……さっき言ったことは気にしないで。朝倉といるとき、ちょっと表情が硬い気がしただけだから」
 白川が、どうやら俺の方を気にしながら「ほら、俺、無愛想だからだろ」と慌てた声をあげている。聞こえてんだよ、おい。
 やっぱり周りから見ても、あいつの俺に対する普段の態度は硬いらしい。俺は聞こえていないふりをして目を閉じ、音なんて本当は出ていないイヤホンからの音楽に集中しているように見せかける。
 確かに、これまでは会話すること自体まれだったし、接点が増えたのは恋愛指南などというふざけた約束を交わしてからにすぎない。今でこそ、恋人ごっこをしているときは俺に対して甘ったるいくらいの態度で接してくるけれど、それ以前は仏頂面以外が思い出せないくらいの表情しか見せてもらっていなかったのだ。
 苦手な奴に頭を下げて、にこにこして、そうまでするくらい好きな奴がいるんだな、あいつ。誰なのか教えてもくれないけど。
 と、ここまで考えて、別に白川はそこまで俺に口出しされることなんて望んでないのだろうなということに思い至る。むなしい。
 なんで俺がこんな気持ちにならなきゃなんねえんだ。
 あいつの言動に一喜一憂する自分がいることに悔しくなる。チャイムが鳴って白川たちの会話は途切れたけれど、俺はその後テスト返却の間もなんとなく胸にしこりを残したまま過ごす羽目になったのだった。



「なあヨーコ、お前、もし『女の扱いを勉強したいから期間限定で彼女のつもりで接させて。んで駄目出しして』って言われたらどうする」
 自分一人で考えこむのは性に合わない。ので、放課後白川が部活に励んでいるであろう時間帯に、世間話を装ってそんな話題を女友達に振ってみた。
 ヨーコは俺を一瞥して眉をしかめると、すぐ視線を自分の爪に戻して端的に言う。
「殴る」
「殴る!? それは凶暴すぎるだろ」
「はァ? なんでよ、寧ろ殴るだけで済ましてやるんだから優しいでしょ。馬鹿にしてんの? 何、『勉強したいから』って」
 アタシはそんなに暇じゃないんだけど、とラメの入ったマニキュアで指先を飾りながら言うヨーコ。だよなあ、と思っていると、言い足りなかったのかヨーコが更に続けて憤慨する。
「大体さぁ、その相手のこと少しでも異性として意識してたらんなこと言わないでしょ。どうでもいいって思われてること丸わかりでムカつくわ。そのバカの存在に駄目出ししたいくらい」
 うわあ。
 成程。そうやって客観的に見てもらってちょっと理解した。
 なんであいつがよりによって俺に話を吹っかけてきたのか分かった気がする。ずっと不思議に思ってきたのだが、やっと分かった。
 こんなこと、あいつの妙なところで硬い性格からして女子にはまず頼めない(本気で好きじゃないのにそんなこと失礼だろ、とか言いそう)だろうし、だからと言って親しい友人に頼むのも、面倒事を押し付けるようで心が痛むだろう。下手したら友人関係にヒビが入りそうだし。まあ、あいつの周りにあまりそういう経験の豊富な奴がいないというのも一因なのだろうが、ともかく。
 俺が適任だったのだ。そんなに仲がいい訳でもなく、どう扱っても特に今後に影響なさそうで、ついでに女に慣れていそうな奴。
 やばい、これはかなり傷付く。
「んー……さんきゅ、ヨーコ」
「なによぉ、そんな奴がいんの? 拓海の友達?」
「や、別に。全然そんなんじゃねえよ。関係ない」
 関係ないって自分で言って心臓が痛くなった。馬鹿かよ俺は。自分で言って自分で傷付くとか、ありえねえ。こんなこと思うのも嫌なのに。
 結構仲良くなれたと思ってたんだけどなあ。
 白川も楽しそうにしてくれていると思っていたのだが、もしかして俺の勘違いだったのだろうか。
 そもそも俺は、色恋沙汰で悩むような性質ではないのだ。ぐちゃくちゃどろどろしたのは嫌いだし、後腐れなく、が信条だった。付き合う彼女とは早く終わることも結構長続きすることもどちらもあったけれど、別れるときには(俺がそう思っているだけかもしれないが少なくとも表面上は)さっぱり笑顔で終わらせることができたし、その後もいたって普通に友人関係を継続させることができていた。それなのに。
 俺は今、女々しくも勝手に傷付いている。あー、俺が一番嫌いなタイプ。陰湿で面倒。最悪だ。このままだと自分が嫌いになりそう。
「……拓海? 大丈夫?」
「え? あ、ああ……悪い、ちょっと考え事」
「考え事っていうか、悩み事ってカンジだけど」
「う……いや、大丈夫」
「そぉ? なーんか元気ないみたいだからさ、無理しちゃ駄目よ」
 からからと笑うヨーコは本当にいいやつ。カラフルなマニキュアも派手でキツめのメイクも盛った髪も、男ウケはあまりよくないのだろうがヨーコが本当に好きでそういう風にしているのが分かって俺からすると印象がいい。ただ右に倣えで男好きのしそうな黒髪清楚ナチュラルメイクとかよりも魅力的だと思う。
 こいつは今の俺と違って、自分に正直に生きている。
「っていうかさ、」
 爪に息を吹きかけながらヨーコは呆れたように笑った。
「アンタそんな頭よくないんだし、机の前で唸ってるより行動した方が早くない? ダサいよ、悩みっぱなしは」
「…………ごもっともで」
「アハハ! 特に拓海は思い込みが激しいから。……でもさ、アンタ最近ちょっと、変わったよね」
「そうか?」
「うん、どこがどうとは言えないんだけどー……女の勘?」
「なんだよそれ」
 思わず笑みがこぼれる。ヨーコはそんな俺を見て満足そうに口の端を引き上げた。
 そうだよな、こうしてうじうじ考えてたってどうしようもない。
 あいつと話をしよう。
 でも、もしかして鬱陶しがられたら悲しいからせめて一緒にライブに行った後にしよう。
 あいつの返答や、「話しておきたいこと」の内容によっては、この年末のライブが白川と過ごす最後の時間になるかもしれないから。

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