羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「冬眞くん、ちょっとまって……」
「アンタ流石に体力なさすぎじゃねえ……?」
 一泊二日というささやかな旅だったので、飛行機で一時間くらいの場所を旅先に選んだ。お盆休みと言いつつちょっとずらして平日だ。
 せっかくだから有名どころを巡ってみようとのことで赴いた観光地は、到着してみればオレたちくらいの年頃の奴はあまりいなくて。というか平日だからなのか人自体あんまりいなくて……「若い子が来るなんて珍しいねぇ」と道行きで御年輩の方に言われながらひたすら歩いていたのだが。
「はー……こんなに運動したのは久しぶりだ」
 膝に手をついて大きく息をしている春継は、さっきからずっとこんな調子だ。女でももうちょいマシだろ? ってくらいに体力が無い。完全インドアだとは言ってたが、まさかここまでとは。
 目の前には先の見えない階段。別に嫌がらせとかではなく、この階段自体が名物なのだ。階段で山登りをするのである。全部で千段以上あるらしいのだが、まだ半分にも到達していない。
 道の途中途中に鳥居やお社や施設のようなものがあってそれを見物しつつなのでかなりののんびりペースではあるものの、いかんせんずっと階段というのが大変なようだ。
「そんなきついなら途中まででやめとく?」
「ええー、いやだよ。一番上からの景色を見たいじゃないか」
「舗装された石段ですらひーひー言ってるくせに……ほら、水飲めば」
 普通に買うよりもちょっとだけ高かった、観光地価格のスポーツドリンクを差し出す。春継は素直に受け取ってそれを飲んだ。流石に、コップが欲しいとは言わなかった。あまり日に焼けていない白い喉が晒されてどきっとしてしまう。
「いいところだね、ここは」
「ん? ああ、なんかのんびりしてていいよな」
「言葉もやわらかいし」
「あ、確かに」
 なんでこんなに優しい感じがするんだろう? 不思議だ。
 特に縁もゆかりも無く決めた旅先だったが、ここにしてよかった。オレがしみじみしているうちに春継は少しだけ復活したらしい。「よし、行こうか」と笑顔を向けてくる。こういうところ、いいなと思った。大変そうではあるけど嫌そうな顔は絶対にしないから。オレと一緒に楽しもうとしてくれているのが分かる。
「アンタはここでよかったの? 旅行先」
「え?」
「運動苦手なのに反対しなかったから……ごめん、階段上るだけなら大丈夫だろって軽く考えてた」
 春継はなんでもないような口調で、「体力を使うことは確かに苦手だけれど、あなたと一緒なら楽しいだろうと思ったんだ」と言った。「それに、おうどんも食べたかったし」今日泊まる旅館で出るらしいぞ。
 かなり嬉しいことを言われた気がして恥ずかしくなる。つい、「階段上るだけでも運動カテゴリに入るんだなー」なんて憎まれ口を叩いてしまった。春継は気にした様子も無く、「自分でも体力のなさに驚いてしまったよ」と笑っている。
「そういえば、あんなにあったお店もなくなってしまったね。気付かなかったなあ」
 階段を上り始めてすぐの頃は両脇に売店がずらっと並んでいてお土産だの水だのを売っていたのだがそれも既に見えなくなっている。春継は途中で買った、というかオレが買ってやったべっこう飴を舐めていて、さっき水飲んだばっかなのに喉渇かねえのかな……と余計な心配をしてしまった。
 とりあえずこのあとは、一応の目標地点である御本宮というところと、最終目的地のてっぺんに到達できれば……という感じだ。今はきちんと舗装されている階段だけど、御本宮から先はもっと森の中のような場所を通るらしい。春継、大丈夫だろうか。
 今日は幸い真夏にもかかわらずカンカン照りというほどでもない、長時間歩くにはぴったりの曇り空だ。水分補給をしっかりすればどうにかなると思いたい。
「水足りてる? 大丈夫?」
「冬眞くんこそおればかり気にしていてはだめだよ。ほら、ちゃんと飲まないと」
 こいつ、オレがゲイってこと都合よく忘れてない? 自分が飲んでたのと同じペットボトルを差し出すんじゃない。まだ未開封のやつがあるから大丈夫だっつの。
 そんなこんなで体力の無い春継を励ましつつ、急ぐ旅でもないのでのんびりと階段を上っていく。何回か休憩を挟んでひたすら進むと、目的地が見えてくる。……どうやらひとまずの目標は達成できたらしい。
 隣を歩いていた春継が途端に元気になったのが分かって、なんだか微笑ましくなる。
「冬眞くん、あれを見て。氷がある」
「ん? うわっ、マジだ」
「雲が晴れてきたね。せっかくだから涼んでいこう」
 休憩所のようなベンチで周りを囲まれているその氷は、日常生活ではまずお目にかかれないくらいの大きな氷だった。えーっと……デスクトップパソコンの本体を二つ重ねたくらい? 春継の言う通り雲間から光が差してきていて、氷はその光を反射してきらめいている。
「ふふ、冷たい」
「すげー勢いで解けてってる」
「氷細工とか、いいよなあ。儚くて」
「作る人って虚しくなったりしねえのかな……どんだけ細かいところまで頑張って彫っても数時間で原形分からなくなりそうじゃねえ?」
「解けてしまうまでの一瞬の間にたくさんの賞賛を浴びるのではないかな。それさえあれば頑張れるんだよ、きっと」
 なるほど、そういうもんか……? 見てくれる人がいるから頑張れる、ってやつ。
「それに今は、こうやって便利なものもあるだろう?」
 そう言って向けられたのはスマホのカメラ。撮ってもいいかな、と聞かれたのでなんでオレに聞くんだと思いつつ頷いたらそのままカシャリとシャッター音。あれ、撮っていいかって氷じゃなくてオレのことだったの?
「ただの直方体の写真を撮っても面白くないじゃないか。メインは冬眞くんだよ」
 旅の思い出はきちんと残さないと、と嬉しそうにしているそいつ。そのまま展望台とか境内とかぐるっと回って、春継が「やっぱりもっと先まで行こう。ほら、今の時点でもこんなに見晴らしがいいんだよ」とすっかり乗り気になったので、日陰のベンチで少し休憩してから再度出発することにした。
 体力無いくせに先頭きって進もうとする春継は、ちょっと可愛い。

 ここから先は、おまけのようなゲームのやりこみ要素のような道程だ。人通りも更に無い。太陽は出ていたけれどその代わり木が頭上に生い茂り、むせ返るような緑の深い匂いと意外なくらいの気温の低さが道を歩きやすくしてくれた。それと嬉しい誤算で、足元もしっかりしている。獣道とかじゃなくてよかった。
「嬉しいな、冬眞くんとこうして旅行ができて」
「な、なにいきなり」
「やっぱり楽しかった。おれの予想は間違ってはいなかったということだ」
「まだ一日目じゃん……」
「いやあ、おれは家を出る瞬間からわくわくしていたよ? もちろん、この先もきっと楽しいだろうと思う」
 そんなのオレだって、旅行が決まった日からわくわくしてたし……と、謎の対抗心を心に秘めつつ。嬉しかったので余計なことは言わないように「オレも……」とだけ言った。
 オレ、どうしたいんだろう。一体こいつとどうなりたいんだ、旅行にまで誘ったりして。
 我ながら思い切った行動をしてしまったものである。別にこいつとどうこうなりたいなんてとんでもないことは思ってない……はずなんだけど、だって、春継が期待を持たせるようなことを言うじゃん……ねえ……。
 避けられたり気持ち悪がられたりするのはショックだけど、それはそれとしてまったく一ミリも意識されてない風な対応をされるのも複雑な気分なのだ。危機感無いな、大丈夫かな、って思ってしまう。たとえそれが、オレを信用してくれているからだったとしても。
 分かってるよ、こいつはなんとも思ってないから普通に接してくれてるんだって。有難く思わなきゃ。
 オレの秘密を知っててもこうやって隣で笑ってくれる奴なんてそうそういないだろうから。
 風で木がざわざわと葉を鳴らしているの以外は、ささやかな鳥の声がどこからともなくするくらいでとても静かな山道だ。春継の息遣いがとても近くて、ああ、心臓が痛い……とほんの少しだけ思う。
 できれば少しでも長く一緒に歩いていたかったけど、まあ、階段も無限ではない。手水舎で手と口を清めて更に階段を上って、「なんだか赤いのが見える」と歩調を速めた春継の後を追って、オレはその背中を記憶に焼き付ける。
 ……ああもう、眩しいな。

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