羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 情を移してつらくなるのはオレの方だ。これ以上深入りするべきじゃない。理性ではそう思うのに全然割り切れなくて、寧ろあいつのことをもっと知りたいと思ってしまう。もっと、もっと。

「冬眞くん、今日の夕飯は茄子とほうれん草の小鉢に豚肉のソテーにわかめと豆腐のお味噌汁だよ!」
「え、なんかアンタ急激に料理上達してない……? なんで……?」
「料理楽しいじゃないか。まあ、おれは割と器用だからね。時間もあるし」
 問題無く食えるし普通に美味い。少なくとも、コンビニを選ばなくていいくらいには。
 春継は最初やけにジャンキーなものばかり食べたがっていたものだが、やがて「味が濃い……」と自分で味を調節できることの尊さに気付いたらしい。まあこいつ、元々超健康的な食生活送ってそうだったしな。本来は薄味が好きなのだろう。
 ジャンクフードはたまに食べるから美味いのだ。外食も然り。
 そんなわけで、春継が作る料理は基本的に薄味。タレよりは塩派。焼き魚も、元々軽く塩味がついているとかで殆ど醤油をつけない。天ぷらも天つゆじゃなくて塩をつけるかそのまま食べる。抹茶があると尚よし、とのことだが抹茶塩なんて洒落たもんはこの家では出せないので我慢してくれ。
 料理は楽しそうにこなす一方、片付けはあまり好きではないようなのでオレがやろうかと言ってみるのだが大体断られる。居候の身分だからと気を遣っているのだろうか? まあ、その割に一緒に買い物に行くときは必ずアイスを所望するけど。そのくせレシートは一枚も漏らさず保管してにこにこ帳簿をつけているので謎だ。あまりにもちぐはぐな生活態度である。
 一体こいつはオレが仕事でいない間何をしているのか、そこも謎。でも全然ミステリアスって感じじゃないのは、春継がお喋り好きでこちらと積極的に関わろうとしてくるからだろう。
「――春継はさ」
「うん? なんだ?」
「あー……えっと、初対面の人間信用してのこのこ家までついてくるとか、それでよかったわけ? 色々」
 結局、本当に聞きたいことははぐらかしてしまうオレ。春継はそんなオレの本心を知ってか知らずか、呆れたような声をあげる。
「え、それはそっくりそのまま冬眞くんに返すよ……? 知らない人に合鍵まで渡して、危機感が無いよなあ」
「オレに危機感があったらあのときアンタは野宿確定だっただろうが!」
「そうだね。でも、どうして受け入れてくれたんだ?」
「えっ」
「だって冬眞くんは優しいけれど、無差別に人助けするタイプではなさそうじゃないか」
 うわっバレてる。オレ、外面はいいから知り合いの頼みごととかは極力引き受けるようにしてるんだけどまったくの他人に対してってなるとそこまでお人好しじゃない。会社の奴とか知り合いとかの頼みを引き受けるのは、人間関係を円滑に回すためとオレが困ったときに手伝ってもらえる確率が上がるから。あとは同期のよしみとか、世間体とか、まあ色々。
 初対面のこいつを受け入れたのは、とにもかくにも顔が好みだったからだ。ぶっちゃけた話をすると今だってこの顔面がオレの方を向いてるってだけで若干テンションが上向きになる。
 でもそんなの絶対言えねえだろ……言ったらオレの方が不審者だ。
「そ、れは、えーと…………こう、びびっときた、から?」
 やばい、あまりにも苦しい言い訳をしてしまった。いやまあ嘘は言ってないんだけどさ。びびっときましたよ、確かに。雷に打たれたような衝撃だった。でもこれじゃ、嘘は言ってないけど本当のことも言ってないみたいな、そんな感じだ。
「びびっと……? ああ、フィーリングが合っていたんだね」
「んんん……そ、そうかも」
 春継がにこにこ嬉しそうに笑っているので思う存分罪悪感が刺激される。というかこいつオレとフィーリングが合うって言われて嬉しいの? 謎なんだけど。
 実はオレ、本来ならこういう純度百パーセントですって笑顔よりもちょっと冷たそうな、というか何か企んでそうな笑い方の方が好きだったりするんだよね。我ながら趣味が悪い。知ってる。好きっていうかたぶんそっちのが興奮するんだと思う。……ますます変態じゃん。げんなりしてきた。
 でもなんか、こいつが嬉しそうにしてるのを見るのは悪くないなって思う。なんだこれ、庇護欲? 推定同年代の男に? マジで?
「春継は最初の頃と比べてちょっと印象変わったね……」
「そうかな?」
「胡散臭い雰囲気が和らいだ。あー、喋り方が若干雑になったからかも?」
 気安く喋ってもらえるようになったってことかな。最初のうちはもっとこう、芝居がかった感じの喋り方だったし。まあ、そうは言っても今でもちゃんと名残があるのは、この喋り方が癖になっているというのが本当のところなのだろう。
 春継は薄く笑って目を細める。そうするとぐっと雰囲気が落ち着いて、こっちは緊張してしまう。
「――堅苦しいのがお好みかな? あなたが望むなら演じて差し上げようか」
「うわっ、マジで切り替えはちゃんとできるんだ……」
 無駄にどきどきしたっつーの。
「人前に出るときは『きちんと』していないといけないからね。偉そうに喋るのは得意だよ」
「それ得意って言っていいのか?」
「ん、んん……偉そうに、というか、それなりの人間に見えるように、かな」
「……前から思ってたんだけど、アンタってどっかの偉い人だったりすんの?」
 いい機会だと思ったのでいくらでも誤魔化せる範囲で質問したら、にっこりと有無を言わさぬ笑顔で返される。「全然! おれにそんな価値は無いよ。いっそ本当にそうだったら諦めもついたかもしれないね」朗らかな声音と内容があまりにもちぐはぐでぎくりとした。どうしよう、オレ、地雷踏んだかも。
「ご、ごめん……」
「……いや、今のはおれがいけなかったよ。ごめんね、嫌な言い方をしてしまった」
「や、誰にだって言いたくないこととか、あるし……オレにもそんなこと山ほどあるのに、聞いちゃってごめん」
 そいつは優しく表情を緩めて、「不誠実だって分かっているんだよ、今の状況は」と小さく言う。
「何も説明していないのに、冬眞くんはおれをこの家に住まわせてくれているし……この優しさに報いるにはどうすればいいんだろうっていつも考えているんだ」
「え、そんなこと考えてたの? 意外なんだけど」
「ひどいな! おれだってそこまで面の皮を厚くはできないよ」
 あ、よかった、ちょっと笑ってくれた。ほっとしつつ話を続ける。
「オレは、アンタがいてくれるだけで結構気分が上がるから別にいいんだけど」
 正直な気持ちを伝えてみた。マジで存在しててくれるだけでいいよ、なんてったって顔が好みだし眺めてるだけで幸せ。後はまあ、一緒にいると明るい気持ちになる……から。こいつと一緒に過ごすのは楽しい。
 オレのこの発言に何故だか春継はかなり驚いたみたいで、珍しく黙って固まってしまう。やがて、「……何も為さないのに?」と小さな声でこわごわ尋ねてきた。いや、料理作ってくれたりするじゃん。オレの愚痴面倒臭がらずに聞いてくれるし、絵を描いてるとこを見るのも楽しい。そもそも顔が好みだと生きててくれるだけでありがとう! って感じだからね。なんなら写真でも効果あるよ。実物の六割くらい。
 後半部分はまるっと削って伝えると、そいつは恥ずかしかったのか俯いてしまった。かと思えばちらりとこちらを見て、一言。
「…………ずるい」
 ずるいのはアンタだよなんだその可愛い表情は? とはまさか言えるはずもなく、よく分からないうめき声を噛み殺すみたいな事態になる。こいつ、不意打ちで妙にガキくさい反応することがあるんだよな。普段とのギャップがぐっとくる。
「冬眞くんはずるいひとだ」
「な、なんだよ……」
「……『いてくれるだけでいい』なんて、そういうことはちゃんと大切なひとに言わなければいけないよ」
 割ともうアンタのことが『そういう意味』で大切になりつつあるって言ったらどんな顔するだろう。見たくないから言わないけど。
 初見でびびっときた。やばい、と思った。傍に居ると後戻りできなくなるんじゃないかってこと、オレは薄々分かっていたんだろうな。だって現時点でこんなにも離れがたい。
 もし綺麗さっぱり清算して出て行くつもりなら早めがいいよ、と心の中で念じる。じゃないとオレ、みっともなく引きとめちゃうかもしんねえし。
 今ならまだ、オレの優しさとか忍耐力とかそういうの全部使って、笑顔で送り出してやれるから。
 声には出さずに好き勝手まくしたてて、結局実際に口に出せたのは「大切な人とか見つかるのかな……」という後ろ向きな言葉だった。それでも春継はそんなオレに笑顔で言う。
「冬眞くんなら見つけられるよ。だってこんなに優しいひとだもの」
 寸分の迷いもなく断言してもらえたことが嬉しくて思わずオレも笑った。
 でも、まさか自分がその候補だなんて春継がまったく思っていないであろうことは、少しだけ寂しかった。

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