羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 オレの叫び声は無事に高級カーペットに吸収され事なきを得た。あまりにもオレが驚いていたものだから先輩は部屋を間違えたと思ったらしく、『けっして怪しい者では!』と必死で弁解していたのがちょっとかわいかった。やばい、なにこれ夢?
「――で、二年のフロアから俺だけはみ出してこっちに来ることになったらしくて……」
「はああ……そんなことがあったんですね……」
 話によると件の転校生はどうやら二年生だったようで、先輩と同室だった人を気に入ってしまったため元々そこにいた先輩がはじき出されるかたちになったんだとか。転校生、学園長の親戚らしい。ちょっとどころじゃなく横暴じゃない!? ゆ、許せん……先輩になんて酷い仕打ちを……。
「前の部屋よりこっちの部屋の方が広いし落ち着くからそれは別にいい」
「いいんですか!?」
「ほら、俺『一条』だろ。二年で一番出席番号早くて、だから一年で一番出席番号が後ろの渡くんと同室になるっていう表向きの説明を受けた」
「ひええ……渡でよかった……」
「あと、一年で出自とかまったく関係無い純粋な特待生が渡くんだけらしい。すごいな」
「え、えへへ……」
 なんか普通に褒められてしまった。照れる。
 間近で見る先輩はやっぱりかっこよくて、短くさっぱりと切られた髪も奥二重の切れ長の瞳もがっしりとした体つきも何もかもすてきだ。先輩、ギリシャ彫刻みたい……かっこいい……。
「でも、渡くんがっかりしただろ。俺は元々二人部屋だったからいいけど、きみはせっかく頑張って一人部屋貰ってたのに。すまん」
「いや全然! そんなことは! まったく! 先輩のせいじゃないですし、むしろオレみたいな庶民にこの部屋は広すぎっていうか、ほぼリビングしか使ってないんで! 先輩はお好きなように部屋使っていただければ……!」
 首をぶんぶん振ってそう主張すると先輩は少しだけ笑った。あっ今えくぼができた!? できたよね!? んんんかわいい……!
「渡くんは、なんか、喋ると印象変わるなあ」
「えっ、お、おかしいですか……?」
 何か失礼なことをやらかしていたらどうしよう。いや、顔見て叫んだだけでも十分失礼なんだけど! おそるおそる尋ねると、先輩はちょっと気まずそうに「あ、いや、えーと……あー、すまん。かなり失礼な話になるんだが」とぼそぼそ呟く。
「学業の特待生って聞いていた、から、ちょっと意外だったんだ。髪も綺麗に染めてるし、ピアスがあいてて、それもたくさん……」
 だから最初部屋を間違えたかと思って焦ってしまった、と先輩は言った。見た目で偏見を持ってしまってすまなかった、と謝られてこっちが恐縮してしまう。
「喋ってみたらちゃんと敬語を使ってくれるし、丁寧だったから二重に驚いた」
「お、オレ中学まではほんと勉強しかしてなくて……! 黒縁眼鏡だしぼっさぼさの黒髪でもう完全に陰キャって感じで、だから高校は見た目だけでも誤魔化そうって思ってて」
 今も、コンタクトを外すと実は目の前の先輩の顔すら見えない。この学校でそんな、いかにも「勉強しかしてません」って外見でいるのは恥ずかしかった。クラスメイトとは違って、当たり前みたいに家に執事がいたり、海外旅行をしたり、リムジンの中に冷蔵庫があったり、そういう生活はできなかった。要するに特待生だということがばれたくなかったのだ。本来だったらオレはこの学校にいる資格のない人間なのだから。
「まあ、見た目だけこんなんしてても人と喋るのそんなに得意じゃないし、運動も苦手なんですけど……」
「俺も喋るのは得意じゃない。一緒だな」
 ねえ聞いた!? 『一緒だな』って! お揃いだなって言われた!
 先輩の優しさが胸にしみる。ああ、やっぱり先輩はすてきなひとだ。たった三ヶ月の間だけでも同室になれてよかった。
 先輩は、「『いんきゃ』ってなんだ?」と首を傾げている。ストレートに説明するのは虚しかったので、「教室の隅っこで一人で本読んでる感じの……はは……」と半分笑って誤魔化しておいた。
「今日は突然来てしまってすまなかった。先に挨拶だけでもと思って……あと、新しいカードキーを試してみたくて」
 このフロアに来るの初めてだ、と照れたように笑った先輩にまた心臓を撃ち抜かれた。もしかして先輩、ちょっと天然入ってるかも。正式な引越しは今週末らしいので、それまでにきちんと部屋を整頓しておこう、と心に決める。
「えっと、じゃあ、三ヶ月の間だけどよろしくな」
「は、はい! よろしくお願いします!」
 ぎゅっ、と握手を交わして未だ夢の中のような気分で先輩を見送る。先輩が来る日、せっかくだし一緒に夕飯食べたりしたいなあ、なんて、さっそく考えてしまったりするのだからオレってかなり現金だ。

 先輩の私物はとても少なかった。大きなスーツケースに収まってしまう程度の量の服と、四十センチほどの高さの本箱に教科書や弓道関連の本、ノートに筆記具、そして、大量のタオル。目立った私物はそのくらい。オレもそんなに物を持つタイプじゃなかったから、先輩のためのスペースは問題なく確保できた。
「渡くんの部屋、とても綺麗だな。ちゃんと掃除していてすごい」
「いやそんな……いっつも部屋にいるからついでにしてるだけですよ」
「部屋にいるといっても、勉強しているんだろう。そういうのもすごいと思う」
「せっ、先輩の方がもっともっとすごいです……」
 まずい、心身共に陰キャだった頃の名残でキョドるとすぐ言葉がつっかえる。やはり人間見た目だけ誤魔化しても中身まではすぐに変えられないということか。
 先輩は、オレがどんなにどもってもけっして馬鹿にしたりはしなかった。先輩自身もあまり人付き合いが得意な方ではないようで、同じようにしどろもどろになって同じように二人で笑った。
 どんなに髪を染めてピアスをあけて眼鏡をやめて粋がっても、オレのメンタルは教室の隅っこや図書室で本を読みつつ日々をやり過ごしていた頃のままだ。部活は無所属。放課後は先輩の部活を遠くから眺めるのが唯一の癒し。勉強に関して天才ってわけじゃないので毎日こつこつやらないと成績がキープできない。土日も、あんまりお洒落な街に出る勇気は無い。そんな感じ。
 先輩は、こんなつまらない人間にも「すごい」って言ってくれるんだな。
「渡くん。せっかくだから、夕飯は一緒に食べよう」
「いいんですか?」
「勿論。でも今から米を炊くんじゃ遅くなってしまうだろうか……学食に行くか?」
「あ、ご飯あるんでよければオレ何か作りますよ。レストランのディナーみたいなのは作れないですけど……」
 実はちょっと期待していたから食材は用意してある。先輩は、「こっちがお邪魔する立場なのに、料理までやらせてしまって申し訳ないな」と遠慮がちだ。
「実家ではよく作ってたんで大丈夫ですよ。お口に合うといいんですが」
「じゃあ、お願いしよう。俺も何か手伝わせてほしい」
 オレに任せっきりにしないで手伝ってくれるところも本当にかっこいい。先輩の近くにいられる幸せを噛み締めつつオレはキッチンに立つ。先輩は和風のイメージだったから、豚汁と小松菜の白和えと、メインはから揚げを作ることにする。
 隣で豚汁の鍋の様子を見ている先輩を横目に、今日何度目か分からない感謝の言葉を捧げた。どこに捧げたらいいのかいまいち謎だけど、たぶん学園長室の方向とかに拝めばいいと思う。
 いくら自由に決済していいカードが支給されているとはいえ普段は真面目に慎ましやかに生活していたオレだけど、今日くらいは贅沢したっていいはずだ。からりと美味しそうに揚がったから揚げを大皿に盛って、久々にこんな真面目に自炊したな、と自分でも感心してしまう。一人で食事をするには広すぎたテーブルは、先輩と一緒ならちょうどよかった。
「美味しい。急だったのに、冷蔵庫の中のものでこんなに作れるなんて……家事が得意なんだなあ、渡くん」
「あ、あはは……それほどでも……」
 なんだか先輩の中でのオレの家事スキルがうなぎのぼりになっていそうだけれど、まあ、好きなひとの前でちょっとかっこつけるくらいなら、いいだろ。
 先輩はとても姿勢がよくて、「いただきます」と「ごちそうさま」をちゃんと言ってくれるひとだった。イメージに違わずきちっとしていて、こんなんじゃますます好きになってしまう。今までずっと遠くから見るだけで自分を慰めていたのに、突然こんな近くにこられると心臓が爆発しそうだ。
「これまで同室だった奴とはあんまり一緒に飯食べるって感じじゃなかったから、こういうのなんかいいなあ」
「オレでよければいつでもご一緒しますよ」
「じゃあ、俺の部活が早めに終わるときは一緒に食べよう」
 別に遅くなる日でも待ってるのに! と思ったけれど、それを口に出すにはまだまだ対話が足りない。突然じゃキモいだろ、どう考えても。
 いつかちゃんと、「部活で遅くなっても待ってます」って言えるようになればいいのにな。あと三ヶ月で間に合うだろうか。
 未来の自分に期待しつつ、かなり奮発して買った鶏もも肉のジューシーさに舌鼓を打って、オレは誰かと一緒に食べるご飯の美味しさに感動を覚えたのだった。

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