羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 ずっと憧れているひとがいた。
 この、山奥にある男しかいない学校で唯一の潤い。オレは今日もあの人を見つめるために、足繁く弓道場へと通うのだ。
「お前、ほんっと一条先輩のこと好きだよな」
「え、だってめちゃくちゃかっこいいじゃん!」
 弓道場のすみっこで小さくなって、その人を見つめる。ああ、今日もかっこいい。姿勢がよくてきりっとしてて、矢を射ればまっすぐ的を射抜く。品行方正、生徒の模範のような先輩。
 先輩と同じく弓道部の友達は、うっとりと先輩を見つめるオレのことが相当気持ち悪かったのか半笑いだ。もうすぐ一年経つのになんで慣れないんだろうこいつ。というか練習サボるなよ。先輩を見習え、先輩を。
「もっとかっこいい人いくらでもいるじゃん。ほらあそこ、生徒会の副会長とか。ファンがすげー」
「せ、先輩をバカにするなー! 先輩は生き様がかっこいいの! 硬派で実直で誠実なんだからな!」
「あーハイハイ……そんな好きならそれこそファンクラブとか立ち上げればいいのに。認知してくれるかもよ」
「先輩、そういうチャラチャラしたやつ嫌いそう」
「んなチャラチャラした見た目で何言ってんだお前? 大丈夫か?」
 友人の心無い言葉にあえなく撃沈する。先輩に憧れてるのは確かだけど、オレがああいう見た目になりたいわけじゃないんだよー。せっかく努力して今の見た目を作り上げたのに、もう一回方向転換するなんてムリすぎる。寧ろ見習いたいのは先輩の心根のほう。
 一条千弦先輩。弓道部の二年生。大会ではいつもかなりの好成績で、けれどそれを驕ったりしないすごい人。毎日、毎日、毎日、毎日、欠かさず練習をしてそれを結果に繋げている。一言で表現するならストイック。娯楽大好きで自分に甘いオレとは大違いだ。
 なんでオレが先輩を好きかというと、理由は単純。新入生の部活勧誘期間に客引きをしていたのが先輩だったから。慣れない手つきでチラシを手渡してくれた先輩のことがなんとなく気になって、グラウンドを一周してから戻ってみると『愛想が無い! 顔が怖い!』と先輩が同じ部の人に呆れられているところに偶然出くわしたのだ。すごすご弓道場へと戻っていった先輩をこっそり追いかけて、そこで先輩が弓を引くさまを見た。
 あんまり綺麗だったから、きっと息をするのも忘れてた。
 好きだ、と思った。弓を引いて、矢を射る。これだけの動作がまるで祈りみたいに綺麗に見えた。これを傍でずっと見ていたい、と思った。
 じゃあなんで弓道部に入部しなかったのかって、オレが運動苦手だからなんだけどさ。いいんだよ、遠くで見つめてるだけで満足。足繁く通ってはいるものの長時間いるわけじゃないし、話しかけたこともない。集中を途切れさせてしまったら嫌だから。……実は話しかける勇気が無いだけ。本当は、見てるだけじゃちょっと物足りない。もっと近付きたい、って思うけど、それと同じくらい、近付いたら迷惑だよな、って思う。
「っと、オレそろそろ帰るわ。お邪魔しました」
「はいよ。お気をつけて帰ってね」
 手を振って別れ、寮のある建物へと急ぐ。五分ほどで到着し、生徒一人ひとりに支給されるカードを取り出した。黒くてぴかぴかのそれをエレベーターに通すと目的の階まで連れて行ってくれる。というか、自分の部屋のある階以外には止まれないようになっている。ハイテクだ。
 部屋に入ると自動的に施錠された。今日の夕飯は簡単にスーパーのデリだ。レンジで温めてもくもくと口に運びながらオレは鞄から封筒を取り出した。表にはこの学園の校章のマークが印刷されている。
 ――よし、大丈夫。
 三つ折りの紙に印字された内容を確認し、ほっと息をついた。それは、オレが来年も無事特待生としてこの学園に在籍し続けることができるという証明書だった。
 やるべきことはやってきたつもりだけど、こうしてきちんと身分が保証されると安心する。
 この学園は基本的に、とても身分の高い人間かとてもお金持ちの人間しか入れない超エリート校だ。一見普通にしてる奴らもどこそこの御曹司とか、なんとかの会社の重役の息子とか、そんなんばっかり。オレはそんなお坊ちゃまばかりの高校に学力だけでどうにか入学した。学費、生活費、その他、諸々免除。夢のような環境だ。家が貧乏だったから元々学費免除の特待生は狙っていて、学費だけでなくオレが生きるための諸々まで負担してくれる学校はここだけだった。入学できただけでも将来ある程度の地位を保証されるという触れ込みのエリート排出校。おまけに、二週間に一回実家に米を送るくらいなら見逃してもらえる。まだ小さい弟がいるオレの家庭にとって、この学園への入学はまさに光明だったのだ。
 夕飯を終えて、パックは洗ってからゴミ箱に捨てる。勉強するための環境を整えつつなんとなく再度書類に目をやると、
「――ん? なんだこれ?」
 書類には続きがあった。なんでも、転校生がやってくる関係で一部屋暫定的に空けたいので、新学期が始まるまでの三ヶ月間だけ相部屋を承諾してくれないだろうか――とのことらしい。えー、せっかく一人部屋だったのにな。なんでピンポイントでオレなんだと思ったら、厳正な審査の結果なんだとか。なるほど、身分に見合わぬ一人部屋は明け渡せということか。
 この学校で一人部屋を許されているのは、金ぴかのカードを持つ特権階級である生徒会役員と、生徒会と双璧をなす風紀委員の上層部。銀色のカードを持つその他委員会の役員や特に社会的地位の高い家出身の奴。そして、黒いカードを持つ各種特待生。どうせオレが一番みそっかすな家柄だったんだろうな。分かる。
 なんとなく釈然としないものを感じつつ、オレは現状この学園に完全に養われている立場なので頭を垂れて従うしかない。というか、頭を垂れるだけで生活していけるならオレはいくらでもそうするよ。靴も舐めるよ。勉強もするけどね。
 と、玄関の方からコンコンと扉を叩く音がする。おや? 誰だ。エレベーターは各々が持つカードと連動して動き、たとえ生徒会役員であっても好き勝手なフロアの移動はできない。それができるのは教師と、風紀委員長と副委員長だけだ。
 もしかして制服着崩しすぎって偉い人直々に注意されるのかな……なんてびくびくしながら「い、今あけまーす……」と玄関へ急ぐ。
 ガチャリ、と重たい扉を押すと、そこには。
「渡伸矢……さん、の部屋って、ここで合ってるか……?」
 つい一時間ほど前までオレの熱視線を浴び続けていたひとが、いた。
 わたりしんやさん、とオレの名前を呼んで、それで、不安そうっていうか若干挙動不審みたいなそわそわした様子で、所在なさげに立っていた。
 なんで、と思考が止まる。ここに来るのは転校生か、もしくは同じ一年じゃなかったのか。いや、そんなことより!
「キャー!!!!」
 オレ今憧れの先輩の前で、色も素っ気も無いTシャツ半パンなんですけどぉ!

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