羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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『わあ、そうしていると藤の花がヴェールに見えます。花嫁さんみたいですね』
 今回のプチ遠出で俺が動揺した台詞ナンバーワンがこれだ。
 マリちゃんの学校の創立記念日に合わせて平日の真昼間に行ったからか、満開シーズンにもかかわらずそこそこ落ち着いてその観光スポットを見て回ることができた。基本的には花畑とか庭園とかそういうカテゴリの場所だったらしいんだけど、中でも藤棚は圧巻だった。太陽の光が藤の花の隙間から漏れて、辺り一面ほんのりと淡い紫に輝いて見えるのだ。場所によっては顔のすぐ横まで花びらが降りてきているところもあって、マリちゃんの発言はそこでのことである。
 いや、なんかもう、自分でもよく分からないくらいに動揺してしまって危うくこけるところだった。周りの人に聞かれてないかななんて心配もしてしまった。俺は別にいいんだけど、マリちゃんまで変な目で見られたらやだな、って思って。
 マリちゃんはいつも通りにこにこ穏やかな笑顔を浮かべていたので他意は無いのだろう。藤の花が顔の傍に垂れ下がっているのを『花嫁さんのヴェールみたい』と表現できるマリちゃんの感性はとっても素敵だとも思う。いや、分かってるんだって。深い意味は無いんだよね?
 でも俺は動揺してしまったのだ。マリちゃんってもしかして、俺に女の役割を求めてたりするのかな? どうなんだろ。よく考えたら初めて会った頃に比べて「恰好いい」って言われるよりも「かわいい」って言われることの方が増えた……気がするかも。気のせい?
 ぶっちゃけ俺は男同士でのヤり方も知識として知ってる。知り合いにもそういう奴はいるし、一切意識してませんでしたって言っちゃうと完全に嘘になる。でも俺はなるべくならマリちゃんをそういう目で見たくはなくて、純粋で綺麗な世界に生きてるマリちゃんのことを汚してしまう気がしてそれが嫌で、これまで頑張ってそういうことを考えないようにしてきた。
 暁人には、『万里だって男だぞ』とかなんとか言われたんだっけ。そういえば。
 ちょっぴりではあるけれど身長は抜かされてしまって、体重なんて筋肉量の差のせいか完敗で、力じゃ絶対に敵わないだろうなという情けない自信だけはある。それに何より、俺がマリちゃんとそういうことをする……かも、しれない、って考えたとき、俺が受け身の方がなんだかしっくりくるのだ。
 ……いや、この言い方だと誤魔化してるみたいになっちゃうか。要するに俺って、もしかしなくてもマリちゃんに抱かれたいと思ってるんじゃない? って最近考えてしまう。こういうことに不慣れだろうマリちゃんが一生懸命俺に優しくしてくれて、俺のことだけ見てくれて、そういうのがもし実現したらと思うと驚くほど心臓の鼓動が激しくなる。触れてくれる指先の温かさを想像すると体の芯が痺れる気がする。普段から十分優しくしてもらってるくせにこれ以上欲しいなんて、俺は一体どれだけ我儘なんだろう。でも、二人っきりで特別なことをするなら、もっともっと甘やかしてもらえるかもしれない、なんて思うのだ。
 ほんとは認めたくなかった。マリちゃんのことそういう目で見てるって。
 自分の気持ちを騙し騙しやってきたけど、『花嫁さんみたい』なんて明確に女を意識させられるような形容に否が応でも反応してしまったから。だから、思い知らされた。
 俺、男なのに、マリちゃんに組み敷かれて「そういうこと」をされたいって思ってる。優しくしてほしいし甘えさせてほしい。
 物凄く恥ずかしかった。こんな気持ち、伝えられるわけがない。相手からの優しさばかり求めてしまう自分の浅ましさが嫌だった。一方的な関係は嫌いだったはずなのに、俺はもうマリちゃんから受け取ったのと同じ量を返せなくなってきている。
「セツさん」
「えっ、な、なに? マリちゃん」
「いえ……あの、なんだか顔が赤い気がしたんです。もしかしてあまり具合がよくないのかなと思って」
 大丈夫ですか? 疲れちゃいましたか? とマリちゃんの指先が気遣わしげに俺の髪を掻きあげた。やましいことを考えていたからなのかそれともマリちゃんが普段よりちょっとだけ大胆だったからか、指が耳の後ろまで滑った瞬間思わず声が漏れた。噛み殺すのに失敗しましたって感じの微かな声。
 急激に頬が熱くなっていくのが分かる。辺りに人がいなかったのがせめてもの救いだけど、その分静かだったからマリちゃんには確実に聞こえてしまっただろう。
「え……と、ごめん、マリちゃん……」
 おそるおそる顔をあげて、驚いた。だって、マリちゃんがこれまで見たことないくらい真っ赤になっていたから。
「す、すみません……周りに人がいなかったので、つい触れてしまいました」
 真っ赤になって俯くマリちゃんはめちゃくちゃかわいくて、素直すぎる謝罪も全部愛しくなって、「そんなことで謝らなくていいよ! ごめんね変な声出して」と目の前の体に抱きついてしまう。流石にすぐ離れたけど、ついさっきまで死ぬほど恥ずかしかったのが嘘みたいだ。やっぱりマリちゃんに触ってもらえると嬉しい。あったかい気持ちになる。もっと触ってほしい、って思うし、俺もマリちゃんのこともっと触りたい。
 ただ気持ちいいことがしたいからマリちゃんとのセックスを望んでるわけじゃない。もっと深い部分まで、柔らかいところまで知りたいと思うから。強く結びつきたいと思うし分かり合いたいって思うから、そういうことをしたいんだ。
 や、勿論気持ちいいことしたいってのもあるけどね? そこは認める。だってマリちゃんと、あの、お付き合いするようになってからマジでご無沙汰なんだもん。こんなに長いこと誰かとセックスしてないとか童貞のとき以来だよ。
 やっぱり俺にはお綺麗なふわふわした精神論とか向いてないっぽい。まあ俗世間にどっぷりな人間だからね……。
 まあ、いくら俺がこんなこと思っててもマリちゃんがしたくないことはさせられないんだけどさ。初めてが男相手って普通に可哀想じゃない? しかも俺だよ、俺。柔らかいおっぱいと尻を持ってる女に敵う気がしない。あんまり脂肪つかないタイプだからどっちかっつーと骨ばってて痛いと思う。あ、どうしよう、なんか落ち込んできた……。
「マリちゃんごめんね、俺の体全然柔らかくなくて」
「えっ? え、あの、何の話ですか?」
 マリちゃんは俺を見てきょとんとしている。ふふ、まだちょっとほっぺた赤いね。かわいいなあ。
「いや、あの、抱き心地が悪いかなって……クッションみたいにふわふわじゃないし……」
「それを言うならおれもふわふわではないですよね……? いや、あの、おれはセツさんのこと抱き心地悪いなんて思ったことないですよ。寧ろ、収まりがいいなあって思います」
「収まり?」
「……お気を悪くされたらすみません。セツさんって……その、細いじゃないですか。なので、おれの腕の中にすっぽり収まるんです。ちょうどいいサイズなんです」
 ちょうどいいんです、と手をぱたぱたさせて必死に伝えようとしてくれるマリちゃん、国宝指定するべきだと思う。あまりにもかわいいもん。それに、ちょうどいい、って言ってもらえて嬉しい。マリちゃんにそう言ってもらえるなら俺、平均よりちょっと貧弱な自分のことも好きになれそう。
「マリちゃん、ありがと」
「あの、嘘じゃないですよ、ほんとうに」
「分かってるって! 俺いっつもマリちゃんに元気づけられてばっかりだわ。マリちゃんはすごいね。俺が単純なだけかな」
「セツさんは、まっすぐなんだと思いますよ」
「ふは、褒め上手」
 思わず笑う。改めて実感した。こういう時間が本当に好きだ。この子と一緒にいられて、この子の優しさを一番近くで実感できて、一緒に笑い合える時間が。
 周りに人がいないので調子に乗って手を繋いでみる。マリちゃんはちょっと驚いたような顔をして、でもすぐに優しそうな表情で笑って、俺の手を握り返してくれる。
 沢山のしあわせを教えてくれてありがとう。
 今度は家に来てもらおうかな、人目を気にせず抱きしめ合ったりしたいな、と勝手すぎる計画を練りながら、繋いだ手から感じる体温の高さに頬が熱くなるのを感じた。
 ……もう、夏だなあ。なんてね。

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