羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 ヤンキーなんてダセェ。そう思ってた。タバコに酒に、ルールをわざと破って粋がって、周りを威嚇するみたいにして歩く。頭が悪いからそういうことをするんだと思ったし、拳で語るとか野蛮すぎてドン引き。いっつも徒党を組んでいるところも、群れなきゃ何もできねえんだなって正直見下してた。
「おい、てめぇそこどけよ」
「……は?」
 だから、突然そんなことを言われ睨まれたときも別に恐ろしいという感情は無かった。ただ、「いつも群れてるくせに今日は一人なのか」と思っただけだ。
 名前は知らない。グループで一番偉そうにしてる奴の隣のポジションの奴。オレから言わせてもらえれば要するに腰巾着。グレーっぽい色味の髪をざっくりと斜めに流して、よく分からないじゃらじゃらしたピアスやアクセサリの類をつけている。大きく開けた口から鋭い犬歯が見えた。八重歯だろうか。背は高い方だろう。
 意外なことに、靴のかかとは踏んでいなかった。
「おい、聞こえてんのか!? どけっつってんだよ!」
 ここは学校の保健室前のロータリーだ。掃除当番なのだがごみと葉っぱの区別がつかずただいたずらにほうきで地面を撫でていた。それにも飽きて、植え込みのつつじで既に枯れてしまっているものをせっせと間引きしていたところだ。誰に迷惑をかけてもいないし、通行の邪魔にもなっていないはずである。
 別にお前にどけと言われる筋合いはねえよと言い返すべくそいつの方に向き直ろうとしたら、「あっ」という声と共に突き飛ばされた。何しやがる。不良が相手なんて関係無い、流石に文句を言ってやろうと思ってよろめいてしまった体勢を立て直した――その瞬間、そいつの視線がどこを向いているか気付いてぎくりとする。
 そいつの視線は先ほどまでオレが立っていた場所に釘付けになっていて。
 そこには、小さなたんぽぽが咲いていた。
 まったく気付いていなかったが、オレはきっとこのたんぽぽを踏んでいたか、踏みかけていたか、そのどちらかだったのだろう。そいつはもはやオレには見向きもせず、たんぽぽの首の部分をそっと手で支えて持ち上げる。そして、たんぽぽをためつすがめつした後ほっとしたように笑った。
 その笑顔と優しい手つきに、一瞬でオチた。
「――悪い、踏んでたの気付かなかった」
 声をかけてみると、思いの外穏やかに「あ? 茎は無事だからたぶん平気。こいつ強いし」と返答がきて安心する。そいつは続けて、「この辺り、花壇とか植え込みからはみ出して花が咲いてるし足元注意だぞ」と忠告をくれた。なんだこいつ、こんなちっちゃな花を踏まないように気を配りながら生きてんの? いかにも弱い者いじめやっちゃいますってツラしてるくせに? なんだよそれ、めちゃくちゃ意外。めちゃくちゃイイ。めちゃくちゃときめいた。
「なあ、名前教えて」
「は? たんぽぽだろ。知らねえのかよ」
「お前バカなの? 誰が花の名前を聞いたよ。お前の名前を聞いてんだよ」
「誰が馬鹿だてめぇこら! 喧嘩売ってんのか!」
 こいつはバカだ。間違いない。この瞬間沸騰っぷりもそうだし、そもそも「足元の花踏んでるから移動して」って言えばいいのに「てめぇそこどけ」って言っちゃう辺りほんともうバカ。本来だったら一秒たりとも会話をしたくないタイプなはずなのに、今のオレはこいつと話がしたくてしょうがない。
「オレの名前、坂下」
「はあ? 坂下?」
「うん。なあ、お前の名前は」
「……片桐」
「ふうん。片桐ね。花、気付かなくて悪かった。教えてくれてありがとう」
「お、おう……?」
 とりあえず名前を教えてもらうところまではクリアした。名前っつーか名字だけど、これは俺が名字しか言わなかったからだろう。痛恨のミスだ。まあ後から挽回するので問題無い。
 よく分からないですって顔をしながら校舎裏の方へと歩いていくそいつの後姿を観察しつつ、オレは今後の方針について考えるのだった。やべーわ、なんで今まで気付かなかったんだろ、あんな奴がいるってこと。


 片桐佑志。二年四組。身長はギリ百八十いかないくらい。女子からの人気はそこそこ。不良グループのあの一番偉そうな奴とは、中学からの付き合いで普通に仲がいいだけ……っぽい。不良とかヤンキーとかそういう類の人種だけど、あんまり派手な髪の色にしたことはなく、その代わりとでも言うかのようにアクセサリーがじゃらじゃら。最近は、髪を切ろうかどうか悩み中。
 そして、実家が花屋なのだそうだ。
 地道に情報を集めて、本日はちょっと行動を起こすことにした。片桐は毎週水曜に急いで家に帰るっぽい。なんと、店番をしているんだとか。あいつの家は、学校の最寄り駅から徒歩五分、駅前の商店街の中。
 その店の名前は「フラワーショップかたぎり」だった。看板が見えたのでどきどきしながら歩く。ひんやりとした店内に足を踏み入れると、「いらっしゃーせー」という記憶に新しい声がした。
「――、」
 どういう風に声をかけてやろうかなんて何回もシミュレーションしたはずなのに、いざとなると全部頭から吹っ飛んでしまう。そいつは濃い灰色のエプロンをつけていた。あんなじゃらじゃらのアクセサリーをつけて一体どうやって接客をしているのだろうと余計な心配をしていたのだが、なんのことはない、接客中は一つ残らず外しているようで少しだけ顔が幼く見える。
「あ? お前あれじゃん、たんぽぽの奴じゃん」
 そいつはオレを見てそう言った。名前覚えられてねえ……。
「……あー、ここお前の店だったの」
「知らねえで来たのか? 俺はただの店番。ここはおふくろの店だけど、手伝わねえと小遣い減らされるんだよ」
 小遣い、という響きがなんだかミスマッチで思わず笑うと、そいつは気を悪くしてしまったらしい。「俺が花屋の店番してたら何かおかしいかよ? ああ?」とメンチを切ってくる。基本的にガラが悪いな。品の無い奴だと思うのに、どうしてかそれがあまり不快ではない。
「誤解だ誤解。別にバカにしたわけじゃねえよ。確かにイメージとはちょっと違うけど、いいと思う。お母さん思いなんだな」
 片桐は、オレの答えに機嫌を直してくれた。ちょっと照れてるっぽい。いいな、こういうとこもすごくいい。「母親思い」と言われて、羞恥心からの否定をしないところがいい。
 今度はなんだかそわそわとした様子で「花、好きなのか?」と聞いてくるそいつ。ん? 花?
「……なんで?」
「いや……わざわざ花屋とか来るし。こないだも、つつじ、綺麗に見えるように手入れしてただろ」
 見てたのか。別に、花が特別好きってわけじゃない。咲いてりゃ綺麗だとは思うけど積極的な「好き」ではないのだ。あのときはただ、枯れて汚くなった花がいつまでもあると不愉快だし掃除もやる気出ねえしと思って暇つぶしにやってただけだ……けど。
「うん。花好き。超好き」
 思いっきり下心込みでそう答えた。すると案の定そいつは嬉しそうに――いや、なんだこれ、得意気に? 得意気に「そ、そうかよ! ふん、てめぇさては良い奴だな!」と言う。やっぱこいつバカだ。
「おい、そういやご用件は? どんな花をお探しでしょうか?」
 あっやばい、用事をでっち上げるのを忘れてた。にしてもこいつ店番のくせに客に「おい」って呼びかけるし、その後は普通に丁寧語だし、めちゃくちゃか?
 どう答えようか迷っているうちにそいつは何事か勝手に早合点したらしく、八重歯を見せて笑う。あ、かわいいな。
「この時期っつーとあれだ、母の日だろ? カーネーション! お前も母親思い? ってやつじゃん」
 屈託の無い笑顔に一瞬どきっとして、すぐに気まずくなる。あー、そういやもうすぐ母の日か。笑顔でオレの返事を待ってくれている片桐にどう誤魔化していいか分からず、オレはつい知り合ったばかりの奴に本当のことを言ってしまった。
「あー……いや、オレの母親、もう……」
 身内に対して「亡くなってて」と言っていいのか、だからと言って「死んじゃってて」は流石にどうなのか、と思っているうちに片桐はオレの言葉の続きを察してくれたらしい。はっとしたように俯いてしまう。オレの母親は産後の肥立ちが悪くて、オレが産まれて十日もしないうちに体調が急変して帰らぬ人となった。母の日は、どう過ごせばいいか分からないイベントのひとつだ。
 もし片桐に気を遣わせてしまったら嫌だな、と思っていると、そいつは何を考えたのかオレを店の隅へと促す。ショーケースの中から出してくれたのは――白いカーネーションだった。
「……会えないところにいるおふくろさんには、白いカーネーションを贈るんだよ」
「え……」
「もしかして贈るの初めてか? なら、喜んでくれるんじゃね」
 大きなお世話だと思ったら無視しろ、と片桐は言った。そんなの、できるわけねえだろ。敢えて謝ってこないところも好印象だ。別に同情されたくて言ったわけじゃないから。
「ありがとう。買ってくわ」
「ん。百五十円です」
「百五十円な。分かった。……なあ、領収書くれよ」
「領収書? レシートじゃ駄目なのかよ」
「うん。手書きの領収書がいい」
 首を傾げつつ、それでもちゃんと領収書を切ってくれる片桐。「宛名は? 上様? 空欄?」今そういうの駄目だろ確か、と苦笑いして小さく答えた。
「『坂下樹』様宛で」
「坂下……えーと、イツキ様? 字は?」
「樹木の樹でイツキ」
「坂……下……樹、様。よし。書けたぜ、ほら」
 自分の名前が書かれた領収書を見て満足する。お前、ちゃんとオレの名前覚えろよ。っつーか絶対覚えこませてやる。
 綺麗にラッピングしてもらって、リボンまで巻いてもらって、オレは片桐にお礼を言って店を出た。白いカーネーションの意味は分かる奴には分かるって感じらしく、電車の中ではオレの持つカーネーションに目を留めて、申し訳なさそうにふっと目を逸らす奴が何人かいた。
 もっと見てくれていいのに、と思う。これは、あいつがもうこの世にはいないオレの母親のためを思って薦めてくれたものだ。リボンのついたラッピングは有料だとレジの横に書いてあったのに、特に何も言われなかった。ちゃんと気付いてた。あいつの優しさだと思うから、気付かないふりをしたけれど。
 ――うん。やっぱあいつすごくいい。
 すごくいいの、見つけた。

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