羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 試合は接戦だった。相手のチームとは経験者と素人の割合が一緒だったので、なるべくパスを取りやすい位置に回して経験者にがんがん点数を決めてもらう。バスケずっとやってる奴ってさ、まるで手にボールが吸い付いてるみたいに扱うよな。膝や肘の黒いサポーターは正直見た目がめちゃくちゃかっこいいと思うけど、それだけ負担がかかっているのだと思うとただかっこいいだけのものではないのだと感心するばかりだ。
 白川と喋るようになってから、昔ならスルーしていたであろうことに気付ける機会が増えた。例えば誰かが頑張っていること。努力のかたち。
 前半が終わって束の間の休憩タイムに恋人のことを思い出すってなんか贅沢だ。試合中はまったくコート外を見ている余裕が無くて、それでもきっとどこかにいると信じられるからそんな自分がくすぐったくなる。
 ふと顔を上げると視線の先に白川がいた。今度は背後じゃない、ちゃんと真正面。そいつは笑って、「頑張れ」と口パクで伝えてくる。腹から声出せよ。二人だけの秘密のサインっぽくて悪くはねえけどな。
 そして汗だくで迎えた後半、その終了三十秒前。
 バシッ、と手のひらに衝撃が走る。最高のタイミング。俺は経験者じゃないし前半は殆どサポートに徹していたから相手チームからあまり警戒されていなかったらしく、マークも薄い。
 考えるよりも先に体が動いた。あんまり遠くからシュートしても入らない。ダンクなんて絶対無理。ドリブルして、ジャンプして、シュート。一番簡単なこれが時に試合をひっくり返すんだってなんかの漫画でも読んだことある。――そんな思考が働いたのは、ボールが俺の手を離れてネットを揺らした後のことだ。遅すぎて脳みそついてる意味ねえじゃん。俺のシナプス、マジで役に立たないんじゃねえ?
 くらくらしそうな高揚感を味わったまま、試合終了のブザーを聞いた。点差は三点差。汗やべえ、水飲みたい。っつーかめちゃくちゃ疲れた。楽しかった。俺たちのチームの勝ちだ。
 お疲れ、と遠慮なしに背中を叩かれて普通に痛え。加減しろ、運動部。お前ら自分で思ってるよりもずっと馬鹿力だからな。それに今俺が一番欲しいのはこの手じゃない。もっと厚みがあって、豆がたくさんできてて、何度も何度も皮が剥けてるせいで所々皮膚が硬くなってる。そんな手が欲しい。
「――見つけた」
 コートの外に出る。そいつは驚いたように笑って、「お疲れ、おめでとう。近くで見ると汗すごいな」と言った。剣道やってるときのお前の方が数段汗やべえから! 夏の剣道場は地獄なんだろ? これから大変だ。汗だくの俺と、そんな俺にタオルを手渡してくれる白川というのがいつもと間逆すぎて笑ってしまう。水まで貰ってしまって至れり尽くせりだ。
 白川は優しそうに笑って俺のことを見ていたけど、突然「……ごめん」と言って俺の手を引いてどこかに歩き出す。思いの外強い力で引かれてどきっとしてしまった。この「ごめん」はたぶん悪い意味じゃない、気がする。なんとなく。連れてこられたのは部室棟の裏の、簡易シャワールームとかがある場所。人っ子一人いない。なんだよ、まさか風呂入れっつーんじゃねえよな?
 シャワールームの壁と部室棟の壁との隙間、いわゆるデッドスペースに体を押し込まれてそのままぎゅうぎゅうに抱き締められる。「うわっ馬鹿汗つくだろ、っつーか俺今汗臭いから」恥ずかしいのにやっぱり嬉しくて、焦ったような上擦った声が出てしまった。なんだこれ、運動したのと関係なく心臓ばくばくいってる。
 白川はあろうことか、俺を抱き締めるだけでは飽き足らず首筋をべろりと舐めてきた。
「ぎゃっ! お、おまっ、汗……!」
「ふは、朝倉声大きい。せっかく人目につかないところに来たんだからちょっと我慢してくれ」
「テメッ学校で何してんだ色ボケ野郎!」
 小声で叫ぶという新たな技を会得した俺はそう抗議してみたが、当の白川はどこ吹く風。「ごめん、俺が我慢できてなかった」と困ったように笑う。
「部活の後にさ、俺いつも汗だくなのに朝倉は気にしないで傍に来てくれるだろ。あれ、いつも不思議だったんだ」
「はあ? 何がだよ」
「ほら、だって、汗臭いだろ。べたべたしてるし。そういうの嫌がられたらやっぱり悲しいから、お前がくっついてくると正直不安で」
「そ、そんなこと考えてたのかよ……」
「お前がちょっと潔癖なことくらい気付いてるよ」
 確かに汚いのは嫌だけどお前のこと嫌だと思ったことなんてねえよ。汗臭いのは部活頑張ってるからだろ。尊敬こそすれ嫌がるなんてありえねえし。
「朝倉はいつもいい匂いするから余計に自分のが気になってさ」
「もしかしてお前最近やけにコンビニで制汗スプレー見てたのってそのせいかよ。よく女がつけるようなやつはスプレー自体のにおいがキツいから寧ろやめとけ、混ざってテロだぞ」
 素直に頷く白川は、もう一度俺の首筋に顔を寄せてすん、と鼻を鳴らした。馬鹿、汗臭いだろ。
 いつもいい匂いだと思われていたなんて恥ずかしい。別に意識したことなかった。帰宅部で特に激しい運動をすることが無かったからだろうか? でも今はそうじゃないから、嗅ぐのやめろ。いや、マジで恥ずかしいから!
「……俺、勘違いしてたかも」
「な、なんだよ」
「いい匂いのするものつけてるからいい匂いなんだと思ってたけど、朝倉ってこういうときでもなんかいい匂いするっていうか……俺、お前自身の匂いが好きなんだろうな、きっと」
 実はかなり興奮しちゃってやばいんだよ、と言いながら、白川は俺の下唇をそっと舐めた。「はは、唇もちょっとしょっぱいな」あまりにも優しい声だったから怒る気にもなれなくて、離れろだなんて言えなくて、白川の腕の中でされるがままになってしまう。
「試合終わった後のお前見てたらなんか我慢できなくなっちゃって、ここまで連れてきた。……嫌だったか?」
「っそ、れを、聞くのは駄目だろ……」
「うん。分かってて聞いたんだ、ごめんな」
 朝倉が全身エロくて色々無理だった、と再度抱きすくめられて顔が熱くなった。なんだこいつ、なんだこのむっつり! っつーか俺は早くユニフォーム返却しなきゃなんねえんだっつの。そう言わなきゃいけないはずなのにこの腕の力強さに逆らえない。どきどきしてくらくらしてぼうっとしてしまう。
「…………っお前、午後は出番あるだろ。さっさと飯食わねえと」
「それもそうだな。……うん、でも、きっと負ける」
「え?」
「こんな煩悩だらけで勝てる試合とか存在しないと思う」
「お、お前、マジで何考えてんだ……」
「健全なことかな」
 嘘だろ絶対。この変態が。
 白川は、最後に一層力を込めて俺を抱き締めてきた。それはちょっと苦しいくらいで、でもその苦しさが気持ちよく感じてしまう俺も変態なのかも。こいつが相手だったら別に変態でもいいや。だから、お前も俺のこと好きすぎて頭おかしくなりそうだって言って。
 触れ合っている間に、風のお陰ですっかり汗も引いてきた。離れていく手のひらが名残惜しいと思ってしまうなんてなんだか悔しくて、結局俺は最後までそのことを言えなかった。


 そして午後の卓球の試合、白川は宣言通り面白いくらいにボロ負けしてた。「えっ白川卓球弱っ!? なんで立候補したの!?」と同じ剣道部の奴にこてんぱんにされた白川は、それでも「たまには剣道以外も楽しいな」と笑っていた。
「剣道以外で勝てても全然意味ねー! 次は部活で勝つからな!」
「はは、剣道だったら負けない」
「かーっムカつく!」
 その手のひらは、小さいラケットを持つにはやっぱりちょっと無骨すぎる。
 ユニフォームから着替えて白川がコールド負けするさまを見ていた俺だけど、そいつの意味ありげな笑顔が恥ずかしいやら何やら、とにかくこっちまで妙な気分になってしまって、内心でこっそり抗議したのだった。
 ……この、むっつりすけべめ。大好きだ馬鹿。

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